8

 轟音がやんだ。だが今回の静寂に底なしの恐怖は伴わなかった。

「さぁてさんしょう十児とうじよ。処理される覚悟はできましたかな?」

 妙に甲高い、六部の声。奇妙にねじれて出所がわからない。周囲はきっと機甲猟兵が固めているだろう。罠を突破してきたのだ。底なしの恐怖は伴わなくとも、焦りはつのる。

「隠れて、とどめは機甲猟兵に刺させるんだ。僕のこと臆病者って言ってたけど、六兄のほうが臆病者じゃないか」

「今、――今、なんと言いましたか?」

 引きつった声が響いた。必ず、六部が挑発にのってくることを十児は知っていた。人一倍プライドが高く、劣等感の塊である六部は人に馬鹿にされたまま黙っているようなやつではない。それはこの場に限らず、軍人としては致命的な性格であった。しかしそんな六部が今まで生きてこられたのは、その性格に勝る、形成者としての能力を持ち、それを活用できたからだ。

 うまく行けばいいのだが――彼はそう思わざるを得ない。だがもう迷っている暇はなかった。

りくけいは臆病者、って言ったんだよ」

 六部が現れた。白い顔がひきつっている。

わたくしはあなたとは違う! 裏切り者のあなたになにがわかる!?」

 六部は声を荒げて近づいてくる。彼は汚水まみれの身体を引きずるように後退する。もう少し。あと、少しだ。

猊下げいかを裏切った不敬なやからに! ひとりではなにもできない臆病者にっ!」

 遠近感が狂ったのか、六部の腕が伸び、十児の顔を捉えた。射程外だった。そのはずだった。六部の腕が文字通り伸びたのだ。衝撃に十児の視界が揺れ、口の中に温かい血が広がる。

「臆病者のあなたに、わたくしのなにがわかるというのです!」

 足が伸び、腕が伸びた。二回、三回と衝撃に揺さぶられ、彼は汚水の中に倒れこむ。

「なにが――」

「そう僕は、」

 十児の呻きに、六部の動きがぴたりと止まる。

「僕は――〝晴眼〟がいないと、なにもできない」

「だから、だからなんだと言うのですっ!」

 衝撃が再開した――いや、この衝撃は、振動は足元から来ていた。汚水の水面が波打ち、天井からは細かいちりがばらばらと舞い降りてくる。

「なんなのですかこれは!?」

「僕は〝晴眼〟がいないと、なにもできない――だからぁ!」

 すばやく立ち上がると、歩道へと駆け寄り、

「〝晴眼〟!」

 友の名を、十児は力の限り叫んだ。と、同時に今までで最大級の衝撃が、下水道を貫いた。最後の連鎖チェーンが発動した。〝晴眼〟は約束を護ってくれた。疑うまでもなかったのだ。

下水の水面にさざ波が立ち――轟音を伴って崩れ落ちた。底が抜け、汚水が滝のように流れ落ち、唐突な出来事に六部といくつもの機甲猟兵が足をとられ、底の見えないまっくらな闇の中に落っこちていった。十児は歩道にぺたりとうずくまり、ぼんやりと闇を見つめていた。

「ヤーマよ、今より逝く若き勇士達に寛大なる裁きを……」

 祈りの言葉は轟音が鳴り止んだ洞に、うつろに響いた。


     *


「……マスター」

 うずくまっていた小さな背中がふるえた。彼の隣に、音響から光学まで、すべての偽装装置ステルスデバイスを解除した〝晴眼〟が現われた。今回〝晴眼〟が単独行動をとったのは、機雷マインの敷設を行うためだった。十児自身が行った罠、爆風連鎖チェーンバーストも、追っ手をひきつけるという意味の他に、この下水道全体をもろくさせるという意味を持っていた。

「うまく、いきましたね」

 形成者マスター形成獣ブルートゥが話しかけても黙ったまま、うつむいたままだ。どうしたのだろうが。いつもなら戦勝の喜びを嫌というほどぶつけてくるというのに。

「ごめん……なさい」

 彼は泣いていた。

「マ、マスター?」

〝晴眼〟は柄にもなく動揺してしまった。火山が爆発したような泣き方は、何度も見たことがある。だが、こんな風に静かに泣いているのは初めてだ。こんなマスターをかつて見たことがあっただろうか。元視記憶アーキメモリーを検索しても見つからない。

 わけがわからない〝晴眼〟は、とりあえず何かを言わなければならないという義務感にかられて、まとまらない思考を音にして吐き出した。

「な、なにも泣かなくても。単独行動がそんなにまずかったですか? 汚れてしまった服は洗えばすぐに落ちますから大丈夫ですよ、ね?」

〝晴眼〟は自分の口調に違和感を持つが、動揺しているし、そんなことを気にしている暇はない。だが、あいにくと彼は〝晴眼〟のどの言葉にも首を横に振った。

 では――、と〝晴眼〟が訊く前に、彼がつぶやいた。

「僕……〝晴眼〟を疑っちゃったんだ」

「そ、そんなことで――」

「違うよ、」

 思いがけないほどに強く、真摯な口調だった。

「そんなことなんかじゃないよ。だって、〝晴眼〟はちゃんと爆弾を仕掛けてくれたじゃない。僕はただ逃げるだけだったんだよ。〝晴眼〟の、ほうが絶対、大変なのに、〝晴眼〟だけじゃあ流域ヴァレリーも、使えないから見つかったら、それで、おしまいなのに――」

 しゃくりあげながら彼は、そういった意味の言葉をひどくゆっくりと告げた。

「どうやら――私達は似たもの同士のようですね」

「え?」

「私もあいにくとマスターを疑いました。それはもう、どうしようもないくらいの恐怖の中で、疑ってしまいました。だから、マスターだけが泣くなんて、ずるいですよ。わたしにはそんな機能、ついていないんですからね」

 この時ほど、〝晴眼〟は自分のからだを呪ったことはなかった。こんな短い多節腕マニュピレーターでなければ彼を抱きしめて――いや、この躰もまんざら捨てたものではないのかも知れない。〝晴眼〟はその映像を、しっかりと元視記憶に保存しておいた。それは、こんな映像だった。

〝晴眼〟の言葉で、彼の涙で濡れた瞳にみるみる理解の色が広がって行く。

「ありがとう、〝晴眼〟」

 そして――十児は笑った。涙でぐしゃぐしゃの顔をほころばせて、とてもいい顔で笑ったのだ。

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