7

 五年と半年前。つまり〝天京〟暦五十三年、春――

 ――轟音と轟音と轟音と轟音と轟音と轟音と轟音と轟音と轟音と轟音が……

 その時、十児は塹壕ざんごうの中でひざを抱えて震えていた。近づいてきている轟音に、身動きできず震えていた。幼い顔を恐怖と絶望の色に染めあげ、震えていた。

 数冠者として一個中隊を任され、初めて出撃した第四次治安維持作戦。当初の作戦説明ブリーフィングでは単なる辺境への示威行動であり、十児の所属する部隊は戦線に赴くことなく、すぐに状況は終了するはずだった。

だがなにがどう転んだのか、山脈に点在する反抗拠点はいっこうに減ることがなく、十児の部隊は本隊から離れ、泥沼にはまったかのように敵陣深く入り込んでいった。

 そこで出会ってしまった。

 唯一無二の恐怖――井乃原まもるに。

 後で知った話だが、抵抗者達レジスタンスが早々に逃げ出さず躍起になって反撃していたのは、客分として訪れていた彼女の存在にあったらしい。

 だが十児にはそんなことはわからないし、たとえわかっていたとしても恐怖の顕現がいなくなるわけではない。こんな辺境で出会うはずのない最凶最悪の形成者がいる。そのことに正常な判断力を失った十児は、ひどい電波妨害の中、本隊に連絡してしまった。

 止めておけばよかったのだ。

 何も見なかったことにして、撤退してしまえばよかった。

 皇師の中でも戦技、内務ともに卓越し、選りすぐられた者の中から、さらに限られた人間にしかなることを許されない数冠者ナンバーズ。ましてや十児はそうなるべくして人工培養クローニングされた形成者オーガナイザーだ。サラブレッドであるはずの十児でさえ、正常な判断力を失ってしまった。どこの馬の骨とも知れない普通人の戦隊長が恐怖のあまり殲滅命令を下したとしても、無理のない話だった。

〝かの地に生きる者、すべて死すべし〟

ここでいう殲滅命令というのは、まず超高々度爆撃機による化学弾頭絨毯爆撃ケミカルウォーヘッドローラーボンビングで地表面を根こそぎ焼き払い、運良く生き延びた残存勢力を機甲猟兵と、数冠者を含める一個師団を動員して殲滅する、という鏖殺令おうさつれいのことである。

 そしてこの殲滅命令の時に派遣された数冠者が、汚れ仕事専門で十児よりも先に人工培養された椒家のひとり、六部りくぶであった。

 塹壕をうがつ轟音が、徐々に近づいていた。

 鏖殺とは、つまり皆殺しである。

 敵も味方も関係ないのである。

 十児は、前にも後ろに進めず板挟みになっていた。今はまだなんとかなる。〝晴眼〟の未来予測で、空爆の隙間に位置する塹壕を見つけ、そこに潜んでいるからだ。しかし、中隊の面々はすでに散り散りで、たぶんもう生きてはいないだろう。

 十児にはどうすることもできなかった。仮に〝晴眼〟の能力で空爆を切り抜けたとしよう。だが、そこまでだ。どうあっても機甲猟兵にやられてしまう。十児自身には戦闘力もない。お飾りの数冠者。着せ替え人形はここで死んでしまう。〝晴眼〟の元視記憶にアクセスしても、こんな状況を切り抜ける術は載っていなかった。

その時、どこかに行っていた〝晴眼〟が塹壕の奥より戻ってきた。細く短い多節腕マニピュレーターで泥と排泄物で汚れた野戦服を引きずっていた。緑とカーキでモザイクに染め上げられた山岳迷彩で、背に大きなバックパックを装備していた。通信機器だった。顔の形が奇妙に歪んだ通信兵は、皇師の迷彩服を着ていた。見知った顔でないことに十児は安堵する。――だが、そこに矛盾は感じない。死んだ兵士が自軍であることに変わりはない。しかし今の十児にはそこを突きつめて考えられる思考が完全に麻痺していた。

 どうやら〝晴眼〟は自分の短距離の通信機能だけでなく、その通信兵の機器も使用して、連絡を取ろうとしている。

(そんなことしても、無理ってわかってるくせに)

 轟音と轟音と轟音と轟音と轟音と――

「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ――」

 ぶつぶつと数えていた。

 轟音と轟音と轟音と轟音と轟音と――

「むっつ、ななつ、やっつ、ここのつ――」

 ぶつぶつと十児が、数えていた。

   と  と  と  と  と――不意に、音が止んだ。

「とお、――」

 通信機器に呼びかけを行なっていた〝晴眼〟が、なにかを叫んだ。

「え?」

 耳が痛くなるような静寂が、訪れた。底なしの恐怖を伴って。

「わあぁぁあああぁぁぁ―――」

 十児が〝晴眼〟に抱きつくように転がった。同時に衝撃が塹壕を貫いて―――――――――


 失神していたらしい。口の中に土砂が入り、とてもにがい。僥倖にも身体が半分埋まっただけだった。それだけで済んでいた。塹壕が崩れたのか光が洩れている。十児はその光を目指して這いずり進む。そして気がつかない。

 外に出た。

 いたるところに転がる黒い何かを燃やし尽くそうと、熱波が揺らいでいた。その中で揺らぐ、機甲猟兵の姿。皇師の一般兵とは違い、彼らが装備している無骨な甲冑スーツは、防熱防弾防刃防毒使用で、各所に付帯した人工筋肉と、薬剤投与が人外の力を産み出す。脳内処理を受け、人であることを放棄するならば、一般兵は誰にでも機甲猟兵になることができた。一回の作戦で必ず二、三人は使いものにならなくなる。にも関わらず機甲猟兵への志願者は年々増加の一途を辿っていた。誰もが耐えられないのだ。戦場という名の狂気に。そして狂気に相対する神経は、やすやすと崩壊する。

 第何期の機甲猟兵かは知らないが、十児には彼らが六部の直属であることがわかった。あのハイエナのようにしつこくねばっこい索敵のさせ方は、六部しかいない。

 一時いっときにして荒野に変わった山並み。林立する炭化した木々。ハイエナのように歩き回る二人一組ツーマンセルの機甲猟兵。呆然と立ち尽くす十児。十児に気がつく機甲猟兵。それに気がついて逃げようとする十児が瓦礫にけつまずき、転ぶ。背に気化炸薬が詰まったボンベをしょった自殺個体――そう呼ばれる機甲猟兵が十児に跳びかかり、その後方に控える必殺個体が高振動ブレードを抜き放ち、十児の顔には恐怖が広がる。組みついてきた自殺個体ごと切り捨てるのだ。六部が好きそうな戦術だったが、そんなことがわかったところでどうにもならない十児は、それでも逃げようと無様にもがいて他の機甲猟兵に気がつかれてしまい、いよいよもって逃げ場がなくなって、かいても仕方のないべそをかき、口の中で何度も何度も呪詛のようにつぶやく言葉は――、

 電光の速度だった。

「マスター!」

 十児と、三体に増えた自殺個体との間に、どでかいクラゲが割って入った。

「〝晴眼〟!?」

 と、叫ぶまもなくそのどでかいクラゲに自殺個体が殺到して、赤熱した抜き身のブレードを必殺個体がどかどか突き立てていく。

 気化炸薬が炸裂するまで残り六秒。

 十児は逃げなければならなかった。生き残りたいのなら、〝晴眼〟を見捨てて、逃げなければならなかった。

 あと、五秒。

 十児はその場を動かず、うごめく塊を見あげて、

 四秒、

 機甲猟兵にはまったく役に立たない標準装備の自動小銃オートマッチクを引き抜き、

 三秒、

「死んじゃ、やだぁ――」

 叫び、残り二秒で全弾を撃ち切って、〝晴眼〟が見たら悲鳴をあげそうなことをした。

うごめく塊目がけて、駆け出しのだ!

 残り、一秒――――――

 衝撃と轟音が響く、その一瞬、

「開け、亜空間回廊!」

 テクストが響いた、と思ったその瞬間に、足元が崩れたような浮遊感でもって十児は地面に投げ出されていた。平衡感覚が狂ったのか、めまいがひどい。ふらふらする頭をもたげ、周囲をうかがうと―――〝晴眼〟が、いた。

「マスター……どうやらあれが井乃原まもるの、本当の姿のようですな」

〝晴眼〟には珍しく、ぼんやりとした口調。〝晴眼〟が状況についていけていないのは、爆発の間際に、自らの分化を強制解除して休眠状態――鉄晶核コアへ戻ろうとしたからだった。終了しようとしていたところを再起動させられて混乱しないほうがおかしい。十児はそんな〝晴眼〟に手を添え、ぼんやりと視線をめぐらす。ゴムタイヤを燃やしたような黒煙の中、背に翼を生やした白い人型が浮かんでいた。白い甲冑アーマー姿の、井乃原まもるだった。

 十児は理解した。その時ばかりは〝晴眼〟よりも状況を性格に把握している自信があった。彼は思い出したのだ。井乃原が得意とする流域ヴァレリーを。この辺境において最強の形成者を意味する井乃原まもるは、空間転移という形成者の中でも稀有な流域が使えた。つまり先ほどの詞は井乃原が紡いだもので、十児と〝晴眼〟は助けられたのだ。だが、どうして――十児は身構えた。翼竜のような翼を羽ばたかせ、井乃原がこちらに近づいていた。〝晴眼〟に抱きつくように身を強ばらせる十児。彼の目前で井乃原は浮遊ホバリングし、

「自分の形成獣ブルートゥを助けるために命を投げ出そうなんて見あげた根性じゃない。数冠者ナンバーズも、捨てたもんじゃあないわね」

 と告げ、白いヘルムの隙間からは井乃原がウインクしている。十児は驚いた。意外に気さくだ。そして十児は訂正しなければならなかった。

「〝晴眼〟はそんなんじゃないよ」

「え?」

「〝晴眼〟は、――〝晴眼〟は友達だから」

 面食らったような井乃原まもるの表情。だが、すぐに微笑み、

「そうね」

 と、十児の頭をなでてやる。緊張の糸が切れて、大泣きに泣いている彼の頭を。

「いい、マスターね。そりゃあ最凶最悪の形成者に助けを求めてでも、生き延びさせたくなるわぁ」

「相手を殺すことしか考えていない連中よりは、話がわかるはずだ、と思っただけですよ」

〝晴眼〟のそっけない返答に、井乃原まもるはなにかを得心したような表情で、

「――いい! 君達いいわぁ。どう? こっちに来ない?」

 ここから先、十児の記憶はない。〝晴眼〟にもたれかかるように泣き疲れて眠ってしまったからだ。

この後、十児は捕虜となって護国連盟の拠点に逗留し、二ヶ月後、〝天京〟へと帰還した。そしてこの三ヵ月後に十児は皇師を離反する。

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