7

 青竜せいりょうが立ち上がった。破れたタクティカルベストと上着をびりびりと脱ぎ捨てた。厚い筋肉に覆われた上半身があらわになった。そこにはいくら自慢しても一昼夜はかかりそうな傷跡が無数にあって、青竜の戦歴を物語っていた。やはり形成者オーガナイザーは回復が早い。毒はもう分解されてしまったようだ。転がっている鉄晶核コアを拾った。誘導リード――一瞬で九音の身の丈ほどまでに伸びて、凶悪な突起が生えそろった。金棒だった。わざわざ分化スペシャライズの過程を見せたのだ。見せつけてきた。安い演出だ。いまさら恐怖を感じることもない。温かいクリーム色の海に半身を浸して、九音はぼんやりとそんなことを思う。身体に力が入らない。これではどっちが毒を喰らったのかわからない。自嘲していると、頭の上から言葉が降ってきた。

数冠者ナンバーズの九人目が闘えなくなった、人を殺せなくなったという噂はこの世界では割りと有名だ、柄沢九音。〝天京てんけい〟にとって、皇師おうしにとって、おまえが裏切ったのは屈辱的な事件だったらしい。だが、それでもおまえの、形成者としての有用性を貶めるためにその情報を漏洩したとのことだ。よほど腹に据えかねたようだな」

 ドンと、衝撃が九音の腹をつらぬいた。激痛に意識が覚醒する。銃弾を防ぐインナーアーマーも、貫通する衝撃だけは防ぐことはできない。肋骨がきしんで呼吸ができない。溺れる。

「だから、おまえが現れたのには少し驚いた。死にに来たのか?」

 もう一度、金棒が振り下ろされた。インナーアーマーが、衝撃に砕けた。自分でも驚くような苦悶の声が、長く長く喉からほとばしった。

「まぁどうでもいい。私には関係ない」

 横殴りに金棒。投げ出されて九音は橋の上を転がる。青竜は追いかける。九音は立ち上がろうとする。無理だった。駆け込んできた圧倒的な質量が九音を跳ね飛ばした。装甲車ハンヴィーにはねられるよりも、ひどい衝撃が全身を揺さぶった。脳がシェイクされた。一瞬で平衡感覚がなくなって、どっちが上でどっちが下かわからなくなる。

 気がつけば仰向けに倒れている。数瞬、気絶していたようだ。

「しぶといな」

 自分でも驚いていた。だがその幸運もここで尽きるだろう。

 上段に振りかぶった青竜が、金棒を振り下ろす。

 来い、とつぶやいて九音は目をつむった。

 頭がつぶされる。

 一瞬よぎった想像に、九音は戦慄した。死ぬことが、恐い。まさかこの間隙に恐怖を伴うとは思っていなかった。

死はその辺に転がっているもので、親近感さえ自分は抱いていたはずだった。

 ――でもどうして。あたしは死ぬのが恐い。

「九音!」

 ああ、あれは浅木少尉の声だ。部隊の中でも年が近いこともあって「教官」から「柄沢さん」へと呼び方が変わるのは、早かった。けれど「九音」に変わったのは出会ってからちょうど一年、この戦争の三日前のことだ。その時、浅木少尉は照れを隠そうとしてか、ずれてもいないメガネを何度も直しながら、それでもまっすぐ九音の目を見てこう言った。

『この戦争が終わったら、私と一緒に暮らしませんか』

 九音は思い出した。

 これは決闘なのだ。

 形成者の決闘なのだ。

 前時代的な名乗りをあげ、一対一で剣を交え、どんな内容であれ勝者の願いは必ず報われる、そういう決闘なのだ。

 九音は思い出した。

 自分の願いを。

 あたしは妹を二度も殺した。だから、今度は、今度こそは守らなければならない。あたしは宣言コールしたではないか。

 そうだ、あたしはもうだれも殺さない。

 そうだ、あたしはもうだれにも殺させない。

 ごめんね。

 九音は妹に謝った。

 あたしは生きるよ、生きていくよ。だからまだ、死ねない――――――――ごめんね、

 カッと目を見開いて、九音は拳を突き上げた。その拳には鉄晶核コアが握られていて、

「輝け」

 流域ヴァレリーの詠唱、呼応して握った鉄晶核から閃光があふれ、炸裂した。青竜の怯んだ顔を最後に、九音の視界は真っ白に染まった。

 避けろ。身体の内側から湧きあがってくる言葉に、九音は全身の制御をゆだねた。

 起きろ。上半身のバネを使って、跳ね起きた。

 金棒が目標から外れて着弾。木片が舞う。視力の戻った視界の隅をゆっくりと落下していく。

 走れ。立つことがやっとの両足に、加速ブーストの流域を詠唱コール詠唱コール詠唱コール

 回り込め。疾風と化して九音は、振り下ろした格好の青竜、その背後へ。

 殺せ。真っ黒な針を誘導リード、両手で握って振りかぶって


 ふざけるな。


 九音は衝動を強引にねじ伏せた。

 ノールックで横なぎに振るわれた金棒を、九音はバックステップでかわした。

 九音に向き直った青竜は金棒を肩に預けて、言った。

「今日の中で、一番速かったのではないか」

 九音には、そんなことはどうでもよかった。

「しかし本当にしぶといな。さすがは元数冠者ナンバーズといったところか」

 九音はふるふると首を振ると、言った。

「青竜殿、もう、もうやめにしよう。勝負はついている」

「ほう、負けを認めると、柄沢九音はそう言っているのだな」

「違う。貴殿が負けを認めるのだ」

「おかしなことを、満身創痍なのはむしろおまえの方だろう」

「そういう意味ではない」

「では、どういう意味なのだ」

 九音が視線を青竜に向こう側へと送った。青竜は油断なく半身になり、視線だけで背後をうかがった。

 視線の先には、門前に並んだ皇師、そこへと通じる橋。橋の上にはふたつの大きな穴が穿たれており、その周辺には無数の真っ黒な針が散らばっていた。

 青竜は視線を九音の手元へ。膨大な数の針を生やした鉄晶核が、九音の手には握られていた。

「どういう意味なのだ?」

「……青竜殿お願いだ、負けを認めてくれ」

「私はあいつらの首領だ。部下のてまえ、それはできん。決闘を終わらせたかったら、私を殺すしかない」

 そう言って青竜は、肩の金棒を上段に構えた。一歩の踏み込みで間合いに入ってきた。今日の中で、一番速かった。

 九音は鉄晶核を掲げた。橋の上に散らばっている真っ黒な針が身震いして月光を反射した。

 針が一斉に、青竜へと殺到した。青竜は流域を使う暇もなかった。針に全身をつらぬかれ、青竜は倒れた。

 九音は長い針を誘導して、青竜に近づいた。〝毒蜂ポイズンビー〟として、とどめを刺すために。

「遠隔操作だったわけか」

 青竜の言葉に九音はうなずいた。形成者が誘導したものの存在は、主の意思ありきだ。主が意識を失えば往々にして分化は解け、鉄晶核に戻ってしまう。しかしもちろんそれを免れるケースもある。それが操作用の鉄晶核を手元に残して誘導する、遠隔操作タイプの形成者だった。

「だが、おまえには殺せまい」

 青竜は嘲笑った。

 九音は突き刺した。心臓の少し下の位置を狙って、針を突き刺した。神経毒が許容量を超えて(オーバードーズ)、青竜は一撃で昏倒した。気絶した。

「違うよ」

 九音は青竜から離れた。

「殺さないんだ」

 ふりかえって橋向こう、九音は叫ぶ。

「勝負はついた、兵を退け!」

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