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 柄沢九音からさわここねが最後に人を殺したのは、十七の秋だった。顔に当たる風にはどこか懐かしい、厳しい冬を予見させる冷たさが含まれていた。明るい満月がのんびりと浮かんでいる、そういう秋の夜だった。九音はまだ、数冠者ナンバーズの〝毒蜂ポイズンビー〟柄沢九音という皇師おうしの将校だった。ちょうど〝東京とうきょう〟で形成者狩りが始まった頃だった。

 難しい任務ではなかった。見つかることが許されない暗殺任務ではなかったからだ。

 鏖殺任務だった。鏖殺とはつまり、皆殺しにすることだ。徹底的に完膚なきまでに、もう二度と形成者オーガナイザーに、皇師に、〝天京てんけい〟に手を出そうとは思わないように、皆殺しという恐怖を与える示威作戦だった。要するに、見つけた敵を片っ端から景気よく殺しまくるサーチ アンド デストロイ、そういう任務だった。

反形成者組織〝EGO〟の拠点と目されていた、辺境の小さな山村集落。そこを地図上から消し去る任務だった。作戦終了後に無料配布される列島全図には、すでにその集落の名前は記載されていなかった。もちろんそれは〝天京〟の住民だけではなく、周辺都市にも配られた。


 作戦は、戦闘機による精密空爆によって幕があがった。この時点で地上の建物は八割が焼失した。意図的に残されたのは校舎とグラウンドを備えた、〝EGO〟の戦闘訓練所と思しき建物だった。そこは鏖殺地帯キル・ゾーンと設定された地区だった。

 炎にまかれた住民は作戦の狙いどおり訓練所のグラウンドへと逃げ込んだ。〝EGO〟のメンバーを含んだ二百人以上の住民が、柄沢九音率いる皇師第九連隊三個中隊百余名による銃撃のアンサンブルによって、殺害された。

皇師側は大きな被害もなく、作戦は終了した。そう報告されている。

 だが、戦闘報告書には記載されていない事実もある。当事者が記憶の底に沈めてしまった事実も、あった。

 柄沢九音は射撃中止を指示し、情報士官をつれて現場の確認に向かった。

 鏖殺地帯キル・ゾーンだったグラウンドに踏み込んで、折り重なった死体の山に近づいた。血の匂いで鼻はほとんど効いていなかった。当分は肉料理が食べられそうもなかった。

 死体の山まであと一歩、というところで柄沢九音は殺気を感じた。折り重なった死体が跳ね飛んで、爆発的な勢いで子供が飛び出してきた。「あ」とも「お」ともつかない叫び声。手には刃渡り四十センチばかりのナイフ。薄汚れた格好。生き残り。情報士官は怯んでいる。当てにならない。柄沢九音は鉄晶核コア誘導リード、真っ黒な針がはじけて、子供の突撃をおしとどめる。子供がたたらを踏んでいる間に、柄沢九音は腰のホルスターから九ミリ拳銃を抜いて、無造作に撃った。

 正確に心臓を撃ち抜かれて子供が転倒した。即死は間違いなかった。それでも柄沢九音は拳銃を構えたまま、ゆっくりと子供に近づいた。足で仰向けにひっくり返す。月の光で、確認は簡単だった。

 骨ばって痩せ細った、少女だった。白い、きめの細かい肌を血で汚した、女の子だった。驚いたように目を見開いた、歪んだ死に顔だった。

冷たい風が吹いた。全身に震えが走った。ふらふらと、あとずさった。

 妹だった。

 妹が死んでいた。

 もう名前も思い出すことができない妹が、そこにいた。

 まともに食事もとれていなさそうな細い腕をさらして、薄汚れた格好をした妹がやわらかい笑顔を浮かべて、死んでいるのだ。

 目の前で、血まみれで、死んでいる。死んで、死んだ――――違う、あたしが、殺したのだ。

 あたしが、殺した…………二度も、二回も、妹を殺した。

 そうだ、名前。

 名前はなんていったっけ。

 あれ、名前は…………

「大佐! お気を確かに、柄沢大佐!?」

「名前……え?」

 情報士官に抱きかかえられていた。慌てて突き飛ばすように立ち上がり、言った。

「だ……大丈夫だ。撤収用意を。あと――爆撃要請を。消毒しておかないと」

「了解しました」

 最敬礼の情報士官にくだけた敬礼を返して、柄沢九音は少女の死体に向きあった。妹の死体ではない。それは見知らぬ、だが柄沢九音が殺した少女の死体だった。

 自分の足元に影がある。気がついて空を見上げた。満月にうすい雲がかかっている。九音はひとつうなずいた。

 この作戦から二ヵ月後、九音は〝天京〟から逃げ出した。

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