5

 八本の真っ黒な針。交錯の瞬間、九音ここね青竜せいりょうに突き刺した、そのつもりだった。

 九音は突撃する。最大戦速で、身を低くして九音は橋の上を走る。指に挟んだ真っ黒な針。マン・ストッピングを意図して、殺傷力よりも命中率を重視。体格差は明確だ。捕まればひとたまりもない。

 主導権イニシアチブは自分が握っておく――九音は前のめりの勢いをつま先で殺して、青竜の眼前で急停止。勢いよく両手を振り上げ、指の間に挟んだ針を放った。

 烈風が、足元から舞い上がる。目もあけられないような突風が九音に襲いかかった。

 青竜の流域ヴァレリーだ。九音は即座に飛び退いた。針は烈風の壁に阻まれ、空へ登ってばらばらと舞い散った。目視できない、空気の層が九音と青竜の間をへだてた。

 九音は飛び退いた勢いのまま、間合いをさらにあけた。手の中にはすでに八本の真っ黒な針が誘導リードされていた。九音は青竜を見据える。青竜は鉄晶核コアをつき出すように構えていた。次の瞬間、ブン、と青竜が金棒を振った。青竜の誘導は速すぎて、九音には分化スペシャライズの過程がわからなかった。

 九音はひとつうなずく。相手の脅威レベルを一段階引き上げる。誘導の正確さと分化の速度は、九音と比較しても遜色ない。流域の詠唱破棄コールディストラクションという離れ業をあっさりと決めてきた。目的達成のための威力も、申し分ない。こと流域に関しては九音より上だ。生半可な鍛え方ではないようだった。皇師おうしの中でもトップレベルの形成者オーガナイザーであることは明らかだった。しかし――と九音は思う。しかし見覚えがない。一年前、九音が皇師を出奔してから新たに入隊したのだろうか。それにしては練度が高すぎる。おそらく――フリーランスの傭兵マーセナリーだ。主義、思想、忠誠心や愛国心ではなく、契約にのみ依って立つ、殺戮と金の亡者。絶滅したものと思っていたが、戦禍と金の匂いを嗅ぎつけて地下深くから湧いてでたのだろう。さすがは亡者だ。そして彼らは金なんかに全存在を賭けられる、勇者であり愚者でもあり、なにより最強の自信家だ。頭をつぶせばどうにかなる。幾度となく剣を交えた数冠者ナンバーズ時代の経験が、九音にそう確信させた。

 ごくりと、喉を鳴らして九音は再度、突撃した。

 青竜は上段に振りかぶった金棒を、九音の頭上へと叩きつけた。

 金棒は、橋の上に着弾した。迫撃砲弾の爆発に等しいエネルギーがはじけ、橋の上には大きな穴が穿たれた。直撃していれば身体が砕け散りそうな破壊力だった。橋を構成していた木材が砕かれ、木片となって宙を踊った。ばらばらと水面へ落ちて、映った満月がゆらめいた。

 九音は一足飛びに踏み込んで、すでに青竜の背後に回りこんでいる。勢いそのままに九音は針を放った。

 防がれた。ばらばらと針が舞い散った。また防がれた―――間をおかず九音はバックステップ、跳躍、欄干の上に危なげなく着地。さらに跳ぶ。今までよりもひときわ長い、真っ黒な針を両手で構え、ようやくこちらを視認した青竜の直上より、九音は襲いかかった。

 手応え。鉄晶核製の真っ黒な針は、青竜のタクティカルベストと迷彩服を突き破って、背中を切り裂いた。厚い筋肉に覆われた背中に、夜目にもはっきりと一条の赤い線が生まれた。致命傷ではなかった。とっさに軸をずらしたのだろう。だが、九音は改心の笑みを浮かべて、青竜から距離をとった。

 青竜が九音の方へ向き直った。顔色ひとつ変わっていない。揺らぎのないするどい視線。上段に金棒を構えた。一歩、踏み出した。九音と距離が詰まる。九音の体内時計がカウントダウンを始める。

 三。

 青竜は二歩目、不意に青竜の身体が大きくなった。青竜のするどい視線がそうさせるのだと、九音は気がつく。圧迫感は、視線によってもたらされる。

 二。

 青竜は三歩目、金棒の間合いに入った。ぞわりと背筋が粟立つ。青竜の殺気だった。まとわりつく殺気を打ち払うように九音は正面をにらむ。

 一。

 頭上からゆっくりと金棒が迫ってくる。金棒の凶悪な突起を、その気になれば数えられそうだった。風がうなる。金棒が迫る。

 ゼロ。

 金棒が―――――――――――――九音を叩き潰すことはなかった。

 体内時計がゼロを刻んだ瞬間、青竜は膝から崩れ落ちた。どうと、背中から橋の上に、白目を剥いて昏倒した。金棒を取り落とした。青竜の手から離れた金棒は分化を解いて、しゅるしゅるとその形を鉄晶核へと戻した。ころころと橋の上を汚れたテニスボールが転がった。

 橋の両端では、対照的な歓声と、どよめきがあがっていた。

「あたしは〝毒蜂ポインズビー〟と呼ばれている。それは知っていたはずだ」

 気絶している青竜を見おろして九音は淡々と告げた。鉄晶核から誘導された真っ黒な針。それから分泌される神経毒はやすやすと人間の四肢の機能を奪い去る。九音は形成者特有のタンパク質を用いて身体の中に抗体を飼っていた。だから自分には効果がない。しかしその抗体の元となったタンパク質のおかげで、形成者には効きにくいという欠点ができてしまった。だから九音はとどめをいつも、自分の手で刺していた。スズメバチは人を二度刺すことで殺すことができる。九音はこの戦闘スタイルから〝毒蜂〟と呼ばれ、数冠者の中でも主に、暗殺任務を専門としていた。

 しかし、すぐに目を覚ました青竜は顔色ひとつ変えない。するどい視線で九音を射抜く。青竜が言った。

「殺せ」

 九音はひとつうなずくと、両手で真っ黒な針を握った。

 振り上げた。

 振り下ろそうとした。

 視界がぐにゃりと、歪んだ。

「さぁどうした、殺せ!」

 青竜が叫んだ。――するどく、無表情に。

 わんわんと頭が割れるように痛み出した。

「どうした」

 喉の奥からせり上がってくるものがある。

「殺さないのか」

 心臓が早鐘を打っている。

「殺せ!」

 背中にはびっくりするぐらい冷たい汗が流れている。

「殺してみせろ!」

 がくがくと自分のものではないように足が震えている。

「殺さんかぁ!!」

 青竜の言葉は、死を覚悟したもののそれではなかった。恫喝だった。

 九音の身体がぐらりと傾いだ。

 胃がぐるっとひっくり返って、九音は橋の上にびしゃびしゃとクリーム色の吐瀉物を撒き散らした。出撃前に口にいれた、マッシュポテトとコンソメスープの粗糧レーションだった。手からこぼれた真っ黒な針はクリーム色の海に着水した。追いかけるように九音が、倒れこんだ。

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