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 浅木少尉が悲鳴をあげた。今度は怒鳴らなかった。静かに状況を確認して九音ここねは後続の部隊に停止を命じ、自らは装甲車ハンヴィーのハッチから飛び降りた。ロングコートが翼となって、インナーアーマーに包まれた細い身体があらわとなる。

 キナ臭い風にひっつめにした黒髪をゆらし、九音は目前の光景を睥睨する。

 瓦葺きの屋根に、夜目にも色鮮やかな朱塗りの門。門前には環濠の意味を持たされた大きな河が流れ、大型車輌が二台並んでも簡単に通過できそうな、大きなアーチ型の橋が架かっていた。こちらも、朱塗りだった。〝天京てんけい〟への入口。四方位にすえられたうちの、東門。旅行者や隊商などの出入国でにぎわっているはずの門前には、日常とは明らかに気配の違った連中が並んでいた。――緊張を孕み、整然と一糸乱れずに。

 皇師おうし。その数三十、一個中隊。門の防衛としては破格の少なさ。それが彼らの練度を物語っている。黒と白と灰色の都市迷彩で筋肉の塊を包み、メッシュ状のフェイスベールとナイトゴーグルで顔を隠し、両手で黒塗りのサブマシンガンを抱え、彼らは並んでいた。明るい、明るい満月が照らす中、彼らは並んでいた。

 九音は視線を左右に走らせ、抜き放ったナイフをひとりの皇師につきつけて、叫んだ。

「貴殿がここの隊長か。あたしは、筑長護国連盟・第四連隊第五機甲中隊、柄沢九音大尉。貴殿に決闘を申し込む」

 一瞬、皇師が揺らいだ。整然と並んだ皇師にさざなみが広がった。そのさざなみは本当に小さなものだったが、九音は見逃さなかった。

「貴殿が勝てば、あたしの首を差し出そう。裏切り者の、数冠者ナンバーズの首だ。賞金も出るだろう、主上しゅじょうの覚えもよくなるだろう。だが、あたしが勝てば速やかに兵を引け。無駄な殺し合いはしたくない」

 一歩、皇師が前に出た。九音にナイフを突きつけられた皇師だった。重装備を物ともしない、なめらかな動き。ナイトゴーグルとフェイスベールを外したその下から、禿頭が覗いた。年齢はわからない。わかってもわからなくても、大した違いはなかった。問題なのは男の纏う、揺らぎのないまっすぐな空気。その空気をするどい視線に乗せ、男は言った。

「柄沢、九音。確かにそう言ったな。〝毒蜂ポイズンビー〟の柄沢九音。なるほど貴様の首を猊下げいかにささげれば、私の昇進は間違いないわけだ。貴様の代わりに数冠者へ取り立ててもらえるかもしれんな」男は口を歪め、嘲った。「よかろう、柄沢九音。貴様との決闘、受けよう!」男はサブマシンガンを副官らしき皇師に預け、橋の真ん中まで悠然と歩を進めた。

 九音も歩き出そうとした。その時だった。

「待って下さい、隊長!」

 装甲車から浅木少尉が転がるように出てきた。ケプラー製のヘルメットに黒ぶちの眼鏡をかけた若い男。慌ててかけよってくる。振り向きざまに九音はロングコートの留め金を外して、彼に押し付けてやった。それで彼の言葉を封じる。それでも、眼鏡の奥の泣き出しそうな瞳を見つけると、九音は笑ってみせた。ここは任せろ、と。

 浅木少尉の返事を待たず、九音は橋へと向き直る。男は腕を組んで待っている。空手だ。そこから導き出される解答はひとつ。男は形成者オーガナイザーか。となれば―――

 男が怒鳴った。

「皇師〝天京〟四方守護方がひとり、〝門番ゲートキーパー東在門とうざいもんせいりょう。推して参る!」

 九音は、ずんずんずんと無造作に間合いを詰めていく。吐く息と同時に、叫んだ。

「護国志士がひとり、〝毒蜂〟柄沢九音。お相手、仕る!」


 空には丸く明るく、黄色い月が浮かんでいる。橋の下を流れる水面には、ふたつの影が映っている。静止した大きな影へ向かって、小さな影が駆け出して行く。

 音が消えた。空気が冷え込んで水面が凍りつき、月の光りがいっそう増して―――――――影が交差した。

 衝撃で、水面がばらばらに砕け散った。

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