従軍商人黒森屋中佐と竜の姫君 

「帝国軍はなんでばらばらの種族が一致して戦えるんだ」

「そりゃあ、みんなして同じ釜のまずい飯をくってるからよ」

 捕虜と監視兵の会話。


第零場 陥落


 歴史ある町並みが崩れ、炎上する。そして逃げ惑う姿があっという間に消えた。

 見上げれば空中で翼竜と獅子鳥グリフォンが入り乱れ戦っている。砲を狙って突破しようとする翼竜隊に対してグリフォン隊が立体的な陣をしいて阻止しようとしているのだ。

 精強な軍で知られた黒エルフ共和国は今滅びようとしていた。龍砲とよばれる帝国軍の巨砲はものの数発の着弾で何百年もあらゆる攻撃をはじきかえしてきたその城壁を崩す。門を守っていた共和国兵たちはその様を目の当たりにして茫然自失の有様となる。

 一騎の翼竜が陣のわずかな乱れをついて突入した。あわてて阻止しようとする敵グリフォン騎乗者を至近から放った散弾で穴だらけにし、もう一騎を槍で突き落として一気に抜け出す。追って陣をみだしてくれれば味方にチャンスがくるだろうと彼女は思った。

 だが、追いかけてくるものはいない。敵の後詰めが数騎、こちらを追跡にはいるのだけが見えた。彼女は舌打ちして一騎でも目的地を目指すことにする。

 狙うのは打ち合わせ通り、龍砲の弾薬。そこに持ってきた焼夷弾を放り込めば一帯が吹き飛ぶだろう。

 龍砲の砲列はあっという間に見えてきた。翼竜は速度でまさっている。どこに投げ込めばいいのか彼女は必死に目をこらした。砲弾の山は見えない。砲列の後ろに不自然な緑が地面を覆っているのが見えるだけである。あとは起重機で装填中の龍砲。

 時間がない。彼女は一門をえらび、その砲口に突進した。装填中の砲弾を爆発させてやるつもりだった。

 地上に弓手がいることは知っていたが、彼女はかまわなかった。この速度だ。あたるものか。それよりすれ違い様に的確に焼夷弾をぶつけることに専念すべきだ。

 騎竜が甲高い悲鳴をあげた。いきなり崩れたバランスに焼夷弾がすっぽぬけ弧を描いて背後の不自然な緑のほうに飛んで行くのが見えた。いったいなにが起きたのかわからないが、今はそれどころではなかった。

 結局、彼女たちは龍砲のずっと後ろまで狂ったようにとんで地面に降りた。幸か不幸か、敵の姿はない。彼女はもう一度飛べるかおりて翼竜の怪我を確かめた。

「散弾」

 彼女たちの使う散弾。魔力のこもった強力なバネで撃ちだす金属球。それのもっと大きなもので撃たれたようであった。まねをされたらしい。彼女は首をふると剣を抜いて騎竜の急所を一突きにした。竜は悲しそうな一声を残してぐったりする。

 羽音がして、グリフォンが二騎ふわりと降りてきた。騎乗する白い甲冑姿が連射できる弩を構えている。面倒ならこの場で射殺かな。彼女は剣をぶらんとさげたまま死なせた竜の額を撫でた。

「投降しなさい」

 エルフ語が聞こえた。このなまりは彼女ら黒エルフが凡俗と見下す遠い親戚、谷エルフだ。

「わかった」

 剣を落として彼女は両手をあげた。

「官姓名を」

「共和国金竜騎士団第十五戦闘単位リーダー、始祖十七家がひとつきしきし山家の山びこだ」

「私は帝国航空隊第四百十一小隊を率いる木漏れ日少尉。貴官の身柄はうちであずかろう。歩兵隊にまかせるとろくなことにならん。乗りたまえ」


 敵のグリフォンにのっている感覚は奇妙なものだった。鞍は一人用なので荷物を運ぶときのように紐をかけられてまたがっている。反対向きに故郷の城郭を見た山びこは手前がわの城壁がほぼ全部崩されているのに愕然とした。遠目に軍使らしい騎馬がむかっているのが見える。

 ここまでの戦いで共和国の戦力はつきている。討ってでて一か八かの反撃をやる戦力はない。頼りの城壁も崩れた。降るか、龍砲で都市ごとたがやされるかしかないだろう。死ぬもの力がいる。疲弊した共和国の選択は軍使がよほど無能でないかぎりわかりきっていた。

 グリフォン隊の本陣についた彼女は、尋問されるだろうと思っていた。

 確かに尋問されたのだが、その内容は軍事的なことではなかった。

「これは貴官の乗騎から回収したものだが、どういうものか教えてほしい」

「ただの弁当箱だよ。翼竜隊の仕事は通信と急送だったから、長距離飛行中に食べられるよう工夫してるだけの」

「どうやって食べるのだ? 」

 そんな感じのことを次々にきいてくるのである。

「ほかに聞く事はないのか? 」

「軍事機密? いまの状況であなたから聞き出すべき機密があるとは思えないのだけど」

 確かにない。山びこは唇を噛んだ。もう情勢は覆らない。

「帝国に敵対している国はまだまだいくつもあるし、内紛の火種も絶えることはない。次の戦争までに装備の改善そのほかやることはいくらでもある。にらみ合ってるときに弁当食べてるのみてうらやましかった。私らせいぜい干し芋しゃぶるくらいだからね」

「もう次に備えるのか。忙しいことだな」

「まあね、うちの司令部は特に人使いが荒いし。そうだ、あなたも落ち着いたらうちにこない? 」

「私たちは敵同士だぞ。貴官の顔を見るのは二回目だ」

「そうね。前のときには妹のようにかわいがってた部下を殺されてる。でも、あのとき、あなたの戦友も一人死んだことは忘れていないわ」

「ならばなぜ」

「わたしも部下も覚悟もなしに戦場に出ちゃあいない。覚悟があるなら結果に遺恨があってはおかしい。つまり、戦いが終わって生き残ったものが必要もないのに憎しみあうこともない」

「おまえは変なやつだな。私にはそんなふうに割り切る事はできないよ」

 それはたぶんこの谷エルフ、木漏れ日の部下たちもそうだろう。

「そか。でもいつでも歓迎するよ。あなたが仲間になってくれれば心強いわ」


 近隣に強い存在感をしめしてきた黒エルフ共和国はその日、降伏を決めた。戦争主導者の何人もがこの日自殺したり逃亡を図った。残った軍は目録を作って武装解除を待った。 


第一場 事件


 町はあちこち壊れたり焼けたりしていたが、今はにぎわいを取り戻していた。大通りにはにわか作りの露店がところせましと並び、食べ物の匂いと言い争う声が錯綜する中を、ぎゅっと荷物を抱きしめたこの都市の主なる色黒のエルフたちが行き交い、雑多な種族からなる非番の帝国兵がのしあるいている。それらを睥睨するのは帝国軍憲兵隊でその補佐をするべく、先まで警察業務にあって畏怖の目で見られていた黒エルフの官僚が控えている。

 隷属階級だったとかげ人の乱暴なのが、派手な服装で肩で風切り邪魔な黒エルフたちをつきとばしたりする。激昂した若者が腰に手をのばしたはいいが、抜く間も与えず袋たたきにされる。

 憲兵隊が鷹揚にわってはいり、青年は一命を取り留めた。

「やりすぎるなよ」

「へい」

 誰にも気づかれないように重い小袋が憲兵のポケットに収まる。共に行動していた検非違使、共和国の治安部隊は苦々しくこれを見ていたがみじめになにもできずにいた。

 すべて混沌とした活気に満たされていて、往時の整然とした町の居住まいを知る老人たちを悲しませる。

 そんなざわめきがひときわ大きな一角があった。

 そこには死体が一つ吊るされていたのである。

 死体など、誰も彼も先日までの戦争で見慣れているはずだった。慣れていても目をそむけるような死に様も一度くらいは目にしたはずであった。

 しかしその場にいたものたちは一様におののいていた。

 どんな悲惨な死者も明確な意図を持ってそのようにされたのではない。だが、ぼろ布のようにぶらさげられ、顔はわかる程度に加減して切り刻まれたそれは残虐な意志の産物だった。

 おっとり刀でかけつけた検非違使も憲兵もこれを見て同じ顔をし、そして黙々とするべきことをした。


第二場 きしきし山家


 きしきし山家は黒エルフ共和国では中の下くらいの影響力を持つ家柄であるが、その歴史は国の創設神話に現れるくらい古い。昔日は大家の一つであったが、長年の政争の末に今の地位にまで落ちた。最後は共和国の中堅軍人を輩出する給与生活者であり、家の名のもとになった山はもうとっくの昔から所有していない。

 そして国が滅びた今、生活に困っている。

 この家の娘、山びこは二人の兄たちが戦死してしまった関係で一人家計をささえていた。あれほど厳しかった父はすっかり消沈し、一日ぼんやりとしているし、母は戦争が始まる大分前に事故死した。兄嫁は子供を置いて実家に戻った。あちらはあちらで働き手を欲していたのである。

 働きに出るにはまだ数年を要する姪に、まだ嬰児の甥と父の面倒を頼んで彼女は働いているのであった。

 父親が泣くので彼女は自分の家に忍び込むようにして帰り、勤務先の制服、征服者である帝国軍のそれを着替えてから帰宅の挨拶をする。

「ただいまもどりました」

「うむ、つつがなく勤めてまいったか」

 安楽椅子から深くよく響く声がかえってきた。威厳にみちたその声の主は、すっかり小さくしなびた老人だった。

 死に向かう姿。彼女は目をそむけたかった。

 黒エルフ族はエルフの眷属に漏れず長命だが、その寿命は不定だ。存命の最高齢で三百年程度、しかし中にはヒトやオークなみに数十年で果てる者もいる。いずれも死ぬ前には食事もほとんどとらずこのような姿になってしまう。始祖十七家にふさわしい威厳を誇った父のこんな姿を見るのはいやでしかたなかった。

「はい、本日もつつがのう」

「よろしい、さがりなさい」

 父親には、彼女の今のつとめがなにかわかっていないようであった。いまだに共和国軍人と思っているかも知れない。

 彼女は辞去の挨拶をのべて廚のほうへ下がった。喉がからからだった。

「叔母さま、お帰りなさいませ」

 兄のおもかげをとどめた姪が出迎える。まだ成長しきっていない可憐な容姿の娘であった。大きめの割烹着にたすきをかけ、背中には幼い甥を背負ってる。

「お父様が困らせることはなかった? 」

「いえ、日がな一日あのようにぼうっとなされて。おいたわしい」

 というものの、疲れを隠せない姪に山びこは職場でもらったお菓子をにぎらせた。

「あんたはいい子ね。お土産どうぞ」

「わぁ、ありがとう」

 少女の目が輝いた。

「坊やはあずかるから、ちょっと休憩しな」

 ありがたいことに嬰児は少しぐずっただけですぐに寝てくれた。山びこは疲れた顔で庭をぼうっと眺める。手入れなんかできないので草ぼうぼうだ。

 今の仕事は軍属の補助事務官。こちらの帝国軍の主計課は共和国首都の再建も担っているために組織が拡大している。急な増員を本国派遣の人材で補いきれるわけがないので現地でも募集したのだ。

 話をもってきたのは彼女を捕虜にした木漏れ日少尉。今は中尉だ。

 何が気に入ったのか、時々面倒を見に来る。お金に困ってると見て紹介されたのがこの仕事だった。

「昔の戦友が主計で働いているから、助けてあげてよ。条件はこう」

 悪くない条件だった。背に腹は替えられない。彼女は話を受けた。

 といってもコネで簡単に採用されるわけはなく、ほかの志願者たちと同様に計算と文章読解、文章起草の試験を受けさせられた。エルフ語でよいということだったので助かった。

 半分が落とされたが彼女は合格した側にいた。

 仮採用となって今の上司の朝露、谷エルフで木漏れ日の戦友と引き合わされた時はおたがいあっと声をあげたものである。

 戦場で襲撃した側とされた側の二人だった。兜ではっきりみえなかったが、顔は覚えていた。

 ちょっと話をしたあと、彼女たちは木漏れ日を捕まえ、詰問した。

「最後にまるめこまれちゃったんだよね」

 なんなのあいつ、と思ったが、悪い気はしなかった。

 そして二ヶ月。仮採用の仲間は七割が消えた。真っ赤に添削されて返される仕事にがまんできなかったもの、さりげなく少し多めの給料をもらってやめていくもの、山びこは残っていた。

 朝露は仕事の上ではきびしかった。理由は明白、彼女の上司の黒森屋中佐が輪をかけて厳しかったからだ。中佐の添削は朝露の倍赤い。それでも給与の良さに自らやめるとは言いだせない。

 一度弱音をはいたことがある。敗者をいじめて楽しいの、そんな感じのことを疲労の極みで思わず。そのとき、朝露がひどく傷ついた顔をしたことは忘れられない。

「あなたを残す判断をしているのは中佐よ。あのノーム、癇癪持ちだけど仕事マニアなの。能力でしか評価は下さないわ」

 何がどうなったのかわからないが、いつのまにか二人して抱き合って泣いていた。

 最近は書類の添削も減ってきた。数カ所くらいだ。修正の時間がいらなくなった分、処理する量も増えている。共和国の敗因はいくつも言われているが、一つはこれなんじゃないかと彼女は思う。

 首都インフラの再建も順調で、今は新鮮な水に困る家はない。

「あら? 」

 どこかから大工仕事のような槌音が聞こえてきた。庭の向こう、塀で仕切った離れのほうだ。

 甥をおんぶしたまま彼女は草履をはいて、そちらに回ってみた。

 この家にもかつては使用人を何人か使っていた時期があった。そのころの使用人部屋は別棟になっていて、今は間をしきって間貸ししている。なんでもやらないと生活は困難だった。遠くない先に父を墓所におさめたら、この屋敷は売って、もう少し手頃なところに移ろうと山びこは思っていた。

 今の間借り人は帝国軍人二人と砲撃で家を壊されたずっと遠い親戚が一人。帝国軍人は工兵隊のノームの技術少尉とオークの憲兵曹長でおかげで心強い思いもしている。お互い、戦争で同僚を大勢失っていたが、そのことを根にもつ様子はなかった。親戚は屋敷から持ち出した貴重品を売って糊口をしのいでいる様子で、同宿の二人に時々買い手を周旋してもらっている少々卑屈な男だった。商人であったらしく、軍務経験はない。そのうち一旗あげようと情報を集めているとは本人の言である。山びこはあんまり彼にいい印象はもっていなかったが、彼女が主計課に勤めていることを利用しようとしないのはありがたかった。先日、これまた別の親戚、長年交流のなかったそれがすり寄ってきたのを追い返したばかりである。

 すこしぐずりだした甥っこをあやしながら、様子を見に行くと非番らしい憲兵曹長が板塀を修繕しているところだった。

「やぁ大家さん」

 前掛けつけて愛想良く挨拶してくる姿は愛嬌に満ちたものだった。

「修理ですか」

「不埒者がここからはいらないように。日中姪御さんだけではこちらも心配になるというもの」

 がんがんがんと一打ちで釘づけにしていく膂力はたいしたものだ。

「お心遣い痛み入ります」

「なに、憂鬱な事件がありましてね。いい気晴らしです」

 曹長はしゃがんで一番したの釘を打ち付け終えた。

「できちまった。まぁこれで大きな音たてずに侵入はできんでしょう」

「ありがとうございます。正直、本当に助かりますわ。近頃はいろいろおだやかでないもので」

「戦争の終わったあとというのはそういうものです」

 道具を片付けながら曹長は暗い声でいった。

「特に負けた国はひどい。大家さんが帝国に恨みを残していたとしてもそれはしょうがない」

 山びこは首筋にぞっとするものを感じた。曹長は気のいい店子から憲兵に戻っていた。

「私の軍歴を調べましたね」

「そんなものは部屋を借りる前にすませていますよ。金星章の竜騎士さん。それが帝国軍人に部屋貸しをするどころか、華々しい軍歴も階級も忘れて主計におつとめだ。実のところ、しばらく監視されていたんですよ」

「そうですか」

 無理も無い話だった。彼女自身、生活に窮してのこととはいえ、昨日までの敵の禄を食むことに抵抗がなかったわけではない。

「長々話しても失礼にしかならんので単刀直入に話します。先日、大家さんにおいかえされたご親戚、どうもあんまり筋のよくない連中と手を結んだらしいんですよ」

「筋のよくない、というと? 」

「共和国再興運動。本当の運動ならずいぶん早い立ち上がりですが、当面は活動資金集めということでいろいろやっているようです。こういう連中はほぼ例外なくマフィア化します。志を言い訳に手段を選ばず金を集めることに終始して肝心の独立のほうはおざなり。嘆かわしいことですが、いたしかたのないところもあります」

 大きな体が肩を落として深いため息をついた。

「彼らが大家さんのような人につけこもうとするときには、かつての敵愾心をあおり、彼らの金を頼らせ、どんな不実を働いても正当だというのです。同時に弱みにつけ込み、脅迫を交えながら」

「屈するな、とおっしゃるの? 」

「よく考えていただきたいだけです。昨日までの敵の禄を食むのも、やくざの一員となって非道を働くのも、そんなに差のないことでしょう。どちらが大家さんの心に沿うのか、それを考えて備えていてほしいだけなのです。やくざは籠絡するのに心の隙を突きます。一度食いつかれれば何かを犠牲にせずに済む事はありません。後悔のないよう」

「なぜそんな話をしてくださるのかしら」

「黒エルフは高貴であることを自負していますが、本当に高貴な者は案外いません。大家さんはその希有なお一人で、私はそういう人が好きなのです。こんな話し方だって、近衛兵をやっていたころ以来です。いや、先日旧主のご子息に出会った時にもしたかな」

「あなたがたの思う高貴さと、我々のそれは少し違う気もします。でもありがとうございます」

 この人も、国を失った人なのか、と山びこは察して少し親近感を覚えた。


第三場 倉庫事務所


 されこうべ山城の黒牙二十七世、それが彼の正式な名前だった。帝国軍の中では山城の黒牙とはぶいた名前で通している。廃城の、としようと思ったがそれではまるで山賊のようなので、山城としたのだ。そんないきさつの通り、彼の一族が支配してきた城は失われ、彼一人だけ城主であった父の二十六世に連れられて帝都に移り住んだ。まだ幼かった彼は、城のことはよく覚えていないし、たくさんいたはずの郎党、女官たちのこともぼんやりとしか印象にない。蝋燭の灯りにぼうっとうかびあたっが壁面が、手のこんだ刺繍のタペストリーに飾られていたことと、男たちが威厳に満ち、女たちがほこりに顔をあげてあるいていたことは覚えている。

 帝都でいろいろな種族にまじってそだったため、彼は自分をあまりオークらしいとは思っていない。歴史的に仲違いのおおかったドワーフやエルフの子供たちには手ひどいいたずらもしかけられた。だが、彼は激高することはなかった。だからといって引っ込み思案だったわけでもなければ、内向的だったわけではない。失敗も多かったが、最終的に関係改善することに彼は成功していた。基本、暴力は使わなかった。

「英雄は、ただ勇敢なだけではなれない。賢くなければならない」

 それが温厚な父の教えだった。この人が惰弱な人ではないことは落城の前の数日の鬼神のごとき指揮で誰の目にもわかっていることだった。一方で寄せ手の帝国との交渉も進めていて、開城の条件と手順に文句を言うものは敵方にいた敵対部族の長しかいなかったという。

「勇敢さとは、その場限りの危険だけに立ち向かう勇気ではない。それは蛮勇だ」

 彼はまたそういうふうにもいっていた。

「だが、その場かぎりのはったりも時には必要だぞ。野蛮なオークという印象とて利用する狡猾さは、目的がしっかりしてる限りもっていいものだ」

 そんな父は、オークの歴史と文化の研究に協力しながら学位を取って今は大学の教官のはしくれである。二十七世はこれは謙遜もなにもなく、父ほどの知力はないことを実感していたので、実務的なものを学んだ。そのままどこかの商店で見かけ倒しの用心棒兼事務職につくつもりだった。

 黒エルフ共和国との戦争が始まったとき、彼が就職に成功したのは旧都黒森屋という帝都では有名な商家ののれんわけした商店だった。本家の身内である主のノームは彼の種族をまったく気にせず、事務能力を試し、いくつか踏み込んだ質問をしてから採用を決めた。

 それがある日、いきなり店をたたむ事になり、主にくっついて軍の事務官になる気はないかと打診された。断っても本家から引き継ぎにくる番頭の下でやとってはもらえるという。

 二十七世はついていくことにした。本家の番頭がオーク好きとは限らないし、軍ならむしろ優遇されるのではないかという単純な考えだった。なぜそういう話になったかという事情は主が話す気もなさそうなので訊いていない。

 かくして主は黒森屋大尉となり、彼は黒牙軍曹となった。最初は元の同僚数人だったが、軍のあちこちから集めてきた生え抜きの落ちこぼれ軍人が加わって二十名以上の大所帯になった。落ちこぼれの事情はそれぞれだが、生え抜きの部分は一定以上の計算能力と事務適性だ。

 たいへんな忙しさではあったが、ようやく黒エルフ共和国との戦争がおわり、やれやれ普通の商社員に戻れるかなと思ったところでそうはいかないというのを思い知らされた。

 占領地の、主計管理の倉庫の責任者を任されたのである。ちょっとした商店主より大きな資産を管理する責任者である。職位も進んで今は特務少尉である。部下も三名配属され、別に交代で警備小隊をつけられている。彼の指揮するミニ主計課は連日出入りする物資の出納をつけ、現物チェックを抜き打ちで行い、警備状況の報告をうけ、そして毎週、出納台帳のうつしとともに報告書を黒森屋中佐に提出することであるが、これが言うにましてたいへんなのである。

「だめです」

 黒牙二十七世は首を横にふった。

「リストにないものは倉庫に置けません。自分で倉庫を借りてそちらへ。それと、納品するはずのものの量が足りません。不足は明日までにもってきてください」

 えびす顔、もみ手の帝都からの商人の顔がひきつった。

「そこをなんとか」

「だめです」

 二十七世の手にずっしり重い袋を握らせようとするのをぐいと押し返す。

「これは見なかったことにします。帝国軍人を買収する行為の刑罰はご存知ですか」

「そんなこといわないでくださいよ。黒エルフどもは俺たちに倉庫なんか貸してくれないし、本当におねがいしますよ」

「では」

 二十七世はぺらっと書類を出す。

「幸い、軍倉庫にはまだ余裕があります。一ヶ月くらいまでなら貸し出しできますよ。もちろん賃貸料はいただきますが、民間よりずいぶんやすいと思います。リストはもう作っておきました」

 泣き落としをしかけていた商人の目が見開かれた。

「もちろん、いやならサインせずお持ち帰りください。あ、納品物はあるだけおいていってくださいね。支払いはその分しますから」

「あんた、本当にオークか? 」

「よくいわれます。ペンをどうぞ」

 商人はサインをすませた。

「残りは明日までにもってくるから、契約通りに支払いたのむよ」

 帝都の商人の次は尊大な仕草の地元黒エルフの商人だった。

「言われたものはもってきた。受け取りにサインしてくれ」

「サインはしますが、訂正をいれますよ」

「訂正? 」

「一部話にならない物品をお持ちになりましたね。こちらで受領できる分については量を訂正して受け取りを出しますから、不良品はお持ち帰り願いたい」

 尊大な商人はいきなり机を叩いた。

「うちの商品を不良品よばわりするというのかね」

 二十七世は微動だにしなかった。

「事実を申し上げたまで。なんなら、今からみにいきましょうか。まだおたくの荷馬車から下ろしてもいませんよ」

「そんなことは私の仕事ではない」

 傲然と言い放つ。さて、困ったなと眉をひそめる二十七世に、新人主計官見習いがそっと耳打ちした。黒エルフ共和国では奴隷階層であったとかげ人で元捕虜である。小さめでしっぽが半分しかないのが特徴だ。黒エルフの商人が不愉快そうな顔をする。彼らからみれば卑しい裏切り者であろう。

 新人の半しっぽの言葉は短かったが、二十七世はなるほど、と得心した。

「ご主人」

「なんだね」

「番頭さんは数が足らないといってなかったかな」

「いった。それがなんだ。わしの名誉にかかわることだ。そろえさせた」

「ではこうしましょう」

 二十七世は鷹揚にいう。彼の育ちは決して悪くはない。たかがオークに威厳のようなものを感じて黒エルフの商人は目を見開いた。

「申し訳ないが、本日は思いがけないことがあって倉庫のあきが足りません。本日受け入れることのできないものは、後日再びお持ちください」

「むぅ」

 商人は鼻白んだ。

「それと、我々はこの土地には新参者で、あなたがたの流儀を知らなかったことをお詫びする。今後はなるべく尊重させていただくことを約束しよう」

「わかり申した」

 商人はふうっと安堵の息をもらした。肩の力が抜けたようだ。

「そこまでおおせなら、ありがたくそうさせていただくとします」

 商人は優雅にお辞儀をして去った。

「やれやれ。助かったよ。君がきてくれて助かった」

「ようやくお役にたててなによりです」

 とかげ人の見習いは彼の前にことんとお茶を置いた。

「昨晩のあれは気にしないように。最初はみんなああだよ」

 前の夜には窃盗団が侵入しようとしていたのを阻止したのだ。ちょっとした陽動があって、その裏をかいた二十七世が一喝すると、窃盗団はあわてて逃げていった。拘束しようとはせず、二十七世は逃げるに任せた。窃盗団は腰をぬかした半しっぽの前を整然と去って行った。

「あいつらにもわかっとるのさ。だからこそ不公平は錯覚もさせないようにしないと。と、これは旦那の受け売りだけどね」

「あ、」

 察した半しっぽは絶句した。

「さあ、今日の分の納品は終わったけど、数が少し変わった分の出庫調整をしないといけない」

 二十七世は大きな手をぱんぱんと打つ。

「明日の分から調整だ。まず、明日の予定で出せるものと出せないものを分けてくれ」


「たいしたものです」

 帳簿をあらためて中佐の肩章をつけたノームがにっこり微笑んだ。その前でずっと大きな体を丸めていた二十七世はむしろ恐縮したのかもじもじする。

「珍しい、旦那、いや中佐が朱筆をいれないや」

「いやいや、入れる場所はあります。だが、もう言うだけでわかるようになったでしょう」

「う、あるんですね」

「はい」

 ノームの後頭部の毛がざわっと逆立った。いつもなら怒鳴り声があがるとところだが、暗に相違しておだやかな言葉がふってきた。

「一度しかいわないからよく聞くように。そして、どう直すかを聞かせなさい。なおさなくてもよいと思うなら理由をいうこと」

「うわ、これは大変」

「あなたにはいざというとき、あたしのかわりをお願いしなきゃいけないんです。当然でしょう」

 黒森屋中佐はにこにことそんなことを言う。いつもの怒鳴り散らしている姿からは想像もできない。

 その後頭部の毛がざわっと逆立った。

「まず、五十三ページ目!」

 小さな体から驚くほどの鋭く大きな声が放たれる。隣室でそろばんをはじいていた半しっぽのなけなしのしっぽがぴんとたち、手がとまった。

 半時間ほど後、二十七世はぐったりつっぷしていた、白髪のノームは今は収まった後頭部の頭髪に櫛をいれている。

「ところで」

 二十七世は顔をあげた。

「はい、なんでしょう」

「近くで事件があったそうですね」

「むごい殺しです。たぶんお楽しみ商会の若い人だと思います。売り込み熱心な人でしたし、値引きと質の線引きもなかなかうまい人でした。油断すると騙されそうになりますが」

「それはなかなか惜しい人でしたね」

「昔、父に仕えていた憲兵曹長にかなりしつこく尋問されました。説教まじりに」

 二十七世は苦笑する。曹長のほうもやりにくかったのではないか、と中佐は同情した。

「災難ですね。ところで、二十日ほど前に別の帝国人が殺されたことは知ってますか」

「いえ、たぶんそれは知らないと思いますが」

「雇用局の軍曹で、死体を罪状一覧とともにさらしものにされました。内容の同じ告発状と証拠の書類が憲兵隊、検非違使、犯罪調査委員会に送られています。それによると、軍曹は技術者、労務者の採用において、地元の仲介は受け付けずお楽しみ商会にばかり任せて高額のキックバックをもらっていたようです。主計局としても費用がかかりすぎるので問題にしていたところでした」

「関連が? 」

「この軍曹は首を落とされただけなので、直接の犯人は別でしょう。彼が除かれて雇用は健全化したようで、人件費も試算レベルになっているようです。ただ、まだ確信はもてませんが別に変なコスト増がおきています。普請元の工兵連隊、鉄骨大佐がにおうといってますから、別の不正が入り込んでいるのでしょう」

「まぁ、軍隊にはつきものですね」

「だからといって放置もできません。かなり乱暴な連中のようです、注意してください」

「はい」

 中佐はちらっと時計を見た。ノームの魔術で作られた携帯時計で、軍には欠かせない装備となっている。製造、販売は中佐の実家、本家黒森屋だ。

「そして、計算通りちょうど時間となりました」

 ドアがノックされた。

「朝露です。山びこさんをつれてまいりました」

「お入り、あ、黒牙君はそのままで」

 ドアが開いて谷エルフの少尉と軍服だが軍属をしめす徽章をつけた浅黒いエルフ女性がはいってきた。黒エルフだ。二十七世はちょっと目を見開いた。

「黒牙くん、こちらは山びこさん。事務員募集に応募して朝露くんの下でもう二ヶ月働いてもらってる」

「どうも」

 オークと黒エルフは少しぎこちない挨拶をした。二十七世は思う。二ヶ月働けているなら、これは使えるという評価をもらっているのだ。どこか品もあるので落ちぶれた共和国士大夫層か何かの子女だろう。

「例の商店、予定通り明日訪問することにしました」

 黒森屋中佐は入ってきた二人に決定を伝えた。

「段取りは伝えてあります。問題ないむね、返事ももらってあります」

「明日は私と君たちと、それと黒牙くん、君もきてください。半しっぽ君も連れてくるといいでしょう」

「何を買い付けにゆくのです? 」

「航空隊の小物装備の刷新です。航空隊のたっての希望です」

「航空隊、ですか。高いものじゃないでしょうね」

「それは見てのお楽しみ」

 中佐はパイプを取り出した。着火用の魔法具をかちんとならすと紫煙がたなびく。

「まあ、楽しいお仕事です。いつもより楽ですよ」

 いつも、を知っている面々は苦笑した。


第四場 雷電竜五郎商店


 もう何百年もの間たくさんの使用人や店主、商売相手が出入りしたのであろう店先で、帝国軍主計一同は待っていた。黒ずんだ木組のあざやかな梁を二十七世はぽかんと見上げている。その横には特務少尉の徽章をつけた金色の目と髪の谷エルフの朝露が、その横には軍属の徽章をつけた黒い瞳と髪の黒エルフ、きしきし山家の山びこが神妙な顔で、そして黒森屋中佐が半しっぽに小声でいろいろ質問している。

「遅くなりました」

 ちょっと息をきらせて登場したのはもう一人の谷エルフの帝国軍人。航空隊中尉の徽章をつけている。彼女は仲間を目にとめると愛想笑いを浮かべて手をふった。

「よ、朝露、無理いってすなまいね」

「木漏れ日中尉殿、そう思うなら時間厳守で願いたいものです」

 憮然とした様子に中尉は頭をかいた。

「いやぁ、悪かったから勘弁してよ。同期でしょ」

 そして急に真面目な顔になって中佐に敬礼する。

「本日はありがとうございます」

「航空隊は予算食いですからね。これで費用対効果を見直せるなら甲斐があるというものです」

「よろしくお願いします」

「あんたのそのマイペース、うらやましいわ」

 朝露が頭を抱えるのに木漏れ日はにっと笑ってみせた。

「じゃあ、航空隊復帰しない? 」

「なんでそうなるのさ」

「山びこさんもおいでおいで」

「その返事はすんでます」

「つれないなぁ。まあ、いつでも気がかわったら声かけてね」

 とんとんと足音が聞こえて先着組にお茶を出してくれたご内儀が姿を見せた。

「みなさま、おそろいならばどうぞ奥まで。主人がまっております」

「お邪魔いたしますよ」

 半しっぽはあがりこんだものかどうかためらった。帝国がやってきて被支配階級から解放されたとはいえ、そう簡単に気持ちは切り替えられない。

「遠慮することはないわよ」

 山びこが言った。かつての黒エルフたちを思わせる冷たい響きだった。反射的に半しっぽはすくみあがる。

「ノームにオークに谷エルフ、昔ならここまでしかあがることを許さなかった種族をあげてるんだから、あんたをあげるくらいどうってことはないわ」

「でも、」

「ぐずぐずいってると鞭でたたくよ」

 半しっぽはおびえておっかなびっくり少し先にいっている上司を追った。その後ろから翼龍に指示を出すための鞭を手にした山びこがのっしのっしとついていく。

 案内されたのは屋敷の中央に作られた蔵の前の広間だった。長机がいくつもおかれ、商品見本が並べられている。

 主の十一代目竜五郎はそこで彼らをまっていた。控えている使用人たちの様子を見るに、おだやかな物腰と裏腹に相当きびしい人物らしい。あまり食事ができてないのか全員少しやつれていた、

「当店の品にご興味があるとか、いま提供できるものをすべて並べてみました。ご興味のあるものがあればなんなりと」

 そして山びこに気づくと深々とお辞儀をする。

「これはこれは、お久しぶりですお嬢様。お父上様はいかがお過ごしでしょうか」

「父はずいぶん小さくなりました。そして過去の夢の中に生きております。兄たちの戦死も、敗戦も覚えておらぬ様子」

 竜五郎は深く深くため息を吐いた。

「それはお幸せなことですなぁ」

「はい、正気であれば今の私を見て狂乱していたでしょうね」

「なに、みなそれぞれやむを得ないところはあります。当家とてそうでした。正直、店をたたもうかとも思っておりましたが本日このような機会を与えていただき感謝のかぎり」

「よいものを作っておられたから、あそこの帝国航空隊の将校の目に止まったんですよ」

 鞍上弁当箱ほか、木漏れ日が気に入った装備はほぼすべてこの店の納品物だった。

「商人冥利につきるお言葉です。微力ではありますが精一杯ご期待に応えようと思います」

「いやご主人、だからといって無理な値引きはなしでお願いしますよ」

 中佐の言葉に竜五郎はうなずいた。

「帝都の黒森屋の名は私も存じておりますよ。間接的ですが取引をしたこともあります。ご安心を、商人としての筋の通し方で帝国の商人がたにひけを取るつもりはありません」

「では、手加減なくまいりますぞ。木漏れ日くん、朝露くん、それに山びこくん、どれがどのくらい必要かの判断は任せる。黒牙くん、半しっぽくん、そこからの調達の交渉はまかせる。わしは見ておるぞ。さあ、楽しい仕事の始まりだ」


「いやはや、共和国のころにはないたいへんな商談でした」

 疲れがにじんだ顔で竜五郎はやはりぐったりした一行に茶を進めた。

「楽しかったでしょう」

 一人生き生きした様子の黒森屋中佐はうまそうに茶をすする。

「はは。、タフですな、帝国の商人は。でも、たまにはこのくらいの仕事もいい」

「あたしらしょっちゅうですけどね」

 背中を丸め、両手で茶碗をもった朝露がぼやく。

「ほんとう。楽な事務仕事と思ってたわ」

 これは背筋のばして上品にお茶をいただく山びこ。お茶が出るまでは同じようにぐったりしていたとは思えない。

「そんな二人に航空隊をおすすめ」

 羽の徽章をたたいて木漏れ日。

「お断りします」

 二人が声をそろえる。三人は顔を見合わせ、花のさくような笑い声をあげた。

「あの三人は一度、敵としてやりあっているのですよ。双方戦死者が出ています」

 中佐が竜五郎にささやいた。

「ほお」

 目線で木漏れ日を示して白髪のノームは続ける。

「彼女の人徳ですよ。人と人をつなぐのは人ですな」

 竜五郎は何も言わず、三人をじっと見た。

 二十七世と半しっぽだけがぽつんと向かい合ってお茶をのんでいた。


幕間 料亭にて


 料亭弓弦亭は共和国議員の密会などその歴史の裏面を目にしてきた老舗である。

 共和国が屈服した日から表向きは休業状態となっているが、議員に知己のある面々はしばしば密かに臨時営業していることを知っている。

 いま、その裏玄関に草履をぬいだ女性も薄々察していた一人だった。

「その杖はこちらへ」

 案内の男は彼女の護身杖をしめした。彼女の黒い袷は略礼装。これから会う人物が身分高い人物であることをものがたっている。

「もう誰の目も心配することはない。頭巾もとりたまえ」

 良家の婦人が外出時にかぶる目だけ見える頭巾をぬぐと肩までの髪の毛が広がる。

 山びこだった。

「はとこ殿、本当に叔父上のご指名なのだな」

「間違いない。だから暴れたりしないでおくれ。出禁になってしまう」

 ふん、と彼女は鼻で笑う。この男はまず汚職をもちかけてきた。ことわると、母の弟にして共和国議員だった叔父の名前をだしてここに呼び出した。軍人としてのキャリアを踏み出す前に叔父には世話になっている。断ることはできなかった。

「先日、大家さんにおいかえされたご親戚、どうもあんまり筋のよくない連中と手を結んだらしいんですよ」

 曹長の言葉を思い返して彼女はまさかと思った。

 奥まった小さな部屋で叔父はまっていた。膳を前に、少しやつれた顔で、暗い目をして。父のように小さくはなっていないが、往時の堂々とした風格はすっかりしおれてしまったようだ。

「おお、ようきたようきた。しばらく見ぬ間に美しくなったの」

 彼女を見たその目に輝きが戻った。そうだ、軍学校合格のときも、卒業のときも叔父はこんな目で祝福してくれたのではなかったか。

「ご無沙汰をいたしました。叔父上におかれましてはつつがのうお過ごしなりや」

 まずは型通りの挨拶をする。

「ん、まぁつつがないとはいいがたいのう。まず屋敷が帝国の盗人どもに接収された」

 かなり立派な屋敷である。今は工兵連隊の司令部ほかがおかれていたのではなかったか。

「おいたわしいことにございます」

「そなたも帝国の下働きとか。つらい時代よのう」

「まことに」

「義兄上はいかがおすごしか」

 つらい質問だった。

「父は、終わりにむかっております」

「おお、なんということだ。姉上の愛したあの美丈夫が」

 この人がシスコンで、姉を奪った父を嫌っていることは山びこはずいぶん昔から知っていた。母の面影を残す自分を大事にしてくれたのも、まぁそのへんだ。

「父は過去の夢の中に生きております」

「それは幸せなことだな。嫌な現実を見る必要もない」

「して叔父上、今日はどのような用向きでありましょうや。ご挨拶であれば別宅にでもうかがいましたのに」

「そなたのためにもなる話がある」

 叔父はずいとにじりよった。

「その前に、帝国のやつらが新しい領地を得たら何をするか知っておるか」

「帝国刑法に現地民法を基とした有期の臨時法を発布、主計局を拡大しインフラ再建、雇用局を開設して現地雇用の創設と寡婦、孤児救済、最後に有識者委員会を派遣して、その国にどんな問題があって敗戦にいたったかを分析するとか」

 流れるように答えられて叔父は少し飲まれたようだ。

「おお、さすが姉上ににて聡明だの」

 それでも嬉しそうにして威厳を保とうとする。叔父の家、銀樹家は中興二十七家といって由緒だけなら始祖十七家につぐ家格である。共和国でも中堅どころの影響力で、国政を壟断するほどではなかったから、身柄の拘束も資産の完全凍結も受けていない。しかし、由緒ばかりで往時の実力を持たないきしきし山家をどこか見下している気配がある。この恩人に彼女は複雑な思いを抱いていた。

「しかし、ここでいいたいのはそんなおためごかしではない。やつらはまだ心の弱い子供たちに帝国に服従する教育をほどこすのだ。おかげでオークの国もドワーフの坑道も、谷エルフの森も反乱一つおきない」

「そうなんですか」

 山びこは心中眉をひそめた。黒エルフ共和国は学校制度のある国だが、帝国は都の大学をのぞけばそれらしいものはない。基礎教育は各民族のやりかたに任されている。

 叔父はどこでそんなでたらめを聞いてきたのだろう。

「そうなのだ。そこでだな、わしは別宅をまだいくつももっておるし、家庭教師くらい雇う財産はのこっておる。そなたの姪と甥はまだ幼い。わしが責任をもって立派な紳士淑女に育てよう。義兄上には召使いを一人つけよう。そなたも安心ではないかな」

「たいへんありがたいお申し出にございます」

 山びこは深々と頭をさげた。

「よし、では善は急げだ」

「お待ちください」

 少しわななくその声に、黒エルフの貴人は怪訝な顔をした。

「どうしたのだ。そなたに否やもあるまいに」

「この話、ありがたく存じますがおうけいたしかねます」

「なぜだ」

「父はあの娘を、私の姪、父の孫娘を特にかわいがっております。引き離すは不孝であります。また、甥はきしきし山家最後の男子にして相続人。当家より出す事はかないませぬ」

 ここにきて、叔父の眉間に皺がよった。上品な紳士然とした態度がめっきであると知れた瞬間だった。

「家の再興など、あとからでもできよう」

「きしきし山家は落ちぶれたとはいえ、始祖十七家。女の私が不名誉に汚れようと、最後に自裁すればすむ話ですが、甥は正当な相続人として出ることはかないませぬ。どうぞご容赦を」

「むう。わかった」

 共和国士大夫として、叔父にはわかりすぎる理屈であった。

「だが、いつでもわしは歓迎するぞ。援助が必要なら申し出よ」

「お心遣い、いたみいります」

 山びこは深々と頭を下げた。声が少し緊張にわなないていた。

「ああ、それとな。仕事の話で申し訳ないのだが、竜五郎商店と取引したそうだな」

「我らの竜騎士の装備を帝国航空隊が大変気に入りまして」

「竜騎士の装備なら格上の樹三郎商店も納品しておる。なぜそちらにせなんだ」

「あれは価格がたかく、できも今ひとつ。みな自費で竜五郎商店のものに買い替えておりました」

「それでも、まずは樹三郎商店であろう。当代樹三郎の顔をたててやってくれ」

「考慮いたします」

 山びこは頭を下げた。樹三郎商店は銀樹家の出入り商人で、ここまで案内してきたはとこも養子に出ているほど銀樹家とは関係が深い。それを言えば竜五郎商店もきしきし山家の使用人だった初代竜五郎がおこした店できしきし山家が凋落しても元主家としてつきあってくれた義理堅い店。その手堅さが品物の質にでていると彼女は感じていた。

「よろしく頼むよ」

 有無をいわせない響きがあった。いつも鷹揚で共和国士大夫らしくふるまおうとして、そんな言い方をする人ではなかった。

「では、失礼いたします」

 ふたたび頭巾をかぶり、護身杖をついて料亭を出た彼女は膝ががくがくになっていることに驚いた。

「叔父上」

 おそらくたちの悪い連中の仲間なのだろう。だが、まだ善良なところがのこっていて助かった、と彼女は思う。


第五場 ふたたび倉庫事務所


 がらっと引き戸をあけて半しっぽが入ってきた。

「竜五郎商店からの納品、確認しました」

「ご苦労様です。納品書を見せてください」

「それが」

 半しっぽは口ごもって引き戸のほうを振り返った。

「竜五郎商店の人がお話があるそうで」

「話? 」

「それにお楽しみ商会の番頭さんがご一緒で」

「どうも穏やかではありませんね」

 二十七世は手を止めた。

「呼んでようございますか」

「はい」

 オークの青年はひきだしをあけ、眼鏡をかけた。視力に問題はない。むしろ少しぼやけるくらいだ。彼は自分が他人の感情の影響を受けやすいと思っているのである。

「失礼いたしますよ」

 黒エルフにしては低い物腰の男が入ってきた。それに続いて入ってきたのはオークと見まごうばかりの体格を誇る強面のヒト。

「どうも、お久しぶりで」

「おや、お楽しみ商会の番頭さんですね。えびす顔の仁さんでしたか。営業だけでなく物資納品のほうもやっとられるので? 」

「まぁ、そんなところです」

「で、お揃いでどんなお話です」

「こちらにいきさつ等説明していただきたけませんか」

 竜五郎商店の番頭は辟易したように訴えた。

「いくらいってもあたしらがこちらの商売を邪魔したといって聞いてくれんのです」

「俺たちが仕入れから卸まで販路を作ろうとしてたら、関わってた若いのが殺され、手が止まってる間にあんたんとこがいろいろ売り込んだんだ。他に何も考えられねえよ」

 屈強な巨漢はこれまた静かに、低く、しかし冗談は許されそうにない声でそう言った。

「では、先日そこの街角でぶらさげられていたのはやはり」

「ああ、うちの若いのだ。見込みもできてきたのでいろいろまかせていた」

「まかせていた、ですか」

 二十七世はにっこり微笑んだ。オークなので子供がみたら泣きそうな笑顔だ。そして真面目な顔になった。

「お二人とも、しばらくここで待っていてもらいますよ。半しっぽ。あの曹長を呼んできてください。下宿にいるはずです」

「曹長? どの曹長でしょう」

「山びこさんの家に下宿しているあの人ですよ」

「だ、誰を呼びに? 」

 ここにいたって巨漢がたじろいだ。

「もちろんあの事件を担当している憲兵曹長です。あなたは彼に説明する義務があります」

「み、店に連絡しなきゃ」

 立ち上がろうとするその肩に手がおかれた。

「なりませんよ」

「はなせ。はなしてくれ」

「放さなければどうします? 暴力にうったえますか」

 巨漢は二十七世の顔を見上げ、迷いを見せた。肩の手は力んでいないのにびくともしない。

「わかりやした」

 あきらめのため息が漏れた。


「ご協力感謝します」

 曹長は敬礼した。別室から解放された巨漢がぐったりした面持ちでいそいそと帰って行くのが見えた。それを横目に曹長の部下の谷エルフの憲兵がふうふうとふいて調書のインクをかわかしている。

「奴らの店では聞けなかったことがおかげで聞き出せました」

「それはなによりです。誤解もとければよいのだけど」

「そうですな。ちと竜五郎商店が心配になってきました。いまからいってきます」

「どうしました」

「下手人どもと関係がないなら、危ない。御影石、ついてこい。あんたもだ。枯れ枝はいいから調書を署にもっていけ」

 竜五郎商店の番頭とドワーフの部下を率いて曹長は足音高く出て行った。

「やれやれ、さわがしいことですね」

 二十七世はそういいながらペンを手にした。中断していた仕事を再開するためだった。

「半しっぽ君、竜五郎商店の書類をもってきてください。処理してしまいましょう」

「あい、こちらに」

「納品物はどこにしまいましたか」

「この倉庫台帳をごらんください」

「まだ日も高いのにドアをロックしてますね。どうしてです」

「初回ですし、小さな梱包も多いですし、高価なものも混ざっているので万一を考えて。入れた倉庫にはあとで将軍の公邸応接室用の高級家具もいれるつもりです」

「よい判断です。黒エルフたちにいわせれば、とかげ人は愚劣で奴隷にしかならないと聞いていますがとんだ見識違いですね」

「あの人達は人の話を聞きませんから」

 がらっと事務所の扉が開いた。

「誰が人の話を聞かないって? 」

 目深に笠をかぶり、護身杖をついた軍服姿がそこにいた。

「おや、山びこさん」

 笠をぬいだ顔を見て二十七世は目を丸くした。

「どうも、少尉殿。竜五郎商店からの納品は届いていますか」

「ついさっき」

「木漏れ日中尉殿がさっそくもってきてくれと」

「せっかちな方だ。エルフってもう少しのんびりしてると思ってました、オークより短気です」

「黒エルフも短気ですよ。兄弟がみな元気だったころはしょっちゅう喧嘩してました」

「悟り澄ました顔をしていると思っていたのですがねぇ」

「あれはぼーっとしてるだけですよ。一度火がつくとあっという間です」

「もしかして、燃え尽きたらまた長い間ぼーっと? 」

「はい、また長い間ぼーっと」

「なるほど」

 今度父にあったら、過去にエルフと戦った記録がないかきいてみよう、と二十七世は思った。昂揚したオークをも圧倒したエルフの猛者がいたかもしれない。

「半しっぽくん、聞いていたと思うが出庫のための書類を」

「できました。確認お願いします」

 せっせと手を動かしていたとかげ人がインクもかわききってない書類を差し出す。

 二十七世はじっとそれを眺めて筆をとり、三カ所ほど修正した。

「わかりますか」

 とかげ人の青年はうなずいた。

「次は間違えません」

「出庫の立ち会いは私がいきます。君は残務処理を続けてください」


 門のあたりが騒がしい。山びこのつれてきた荷駄隊が何かもめているようだ。

 身なりのよい黒エルフの男が労務者風のとかげ人、黒エルフを連れて御者に何か命じている、帰れといってるようだ、荷駄隊はお楽しみ商会の馬車三台で、現地雇用の黒エルフも一人混じっている。脅されたらしく、帰ろうとするのをリーダーの女が引き止めているところだった。だが、彼女を相手にせずやくざたちは別々に荷車の御者に脅しをかけている。彼女がくってかかっても代表の男は涼しい顔である。警備の兵士が介入したものかどうか、とまどっているのも見て取れた。

「何の騒ぎかな」

 二十七世の大音声が一堂を圧した。敵の戦意をくじくための戦吠えを少しまぜた一喝だった。

「旦那、こいつらをつまみ出しておくれよ」

「まあまあ大声出さずに。話を聞いてくださいよ」

 荷駄隊のリーダーと黒エルフやくざの頭目がいち早く立ち直り、ほぼ同時に声をあげた。

 二十七世は二人の顔を見比べて、まず黒エルフのほうをむいた。

「まず、あんたの言い分を聞かせてもらおうか。帝国軍管理区域に無断で立ち入って騒ぐとただごとではすみませんぞ」

「あたしゃ手違いをただしにきただけでさ。誤発注が二つ重なった。品物も、輸送も、ね」

「書類はありますか? 」

「そもそそもそこから間違ってるんですよ」

 そこで男は山びこに手をふった。

「あんたのことは聞いてるよ。あたしの戦友の娘の面倒も見てくれて、よくできた妹さんだってね。一つ、手違いは手違いと認めてくれないかな」

 山びこは柳眉を逆立てた。男のいってることは明白だった。一歩前に出ようとするのを二十七世のごつい手が制した。

「書類を」

 今度は女のほうに聞く。決して若いとはいえない女で、ほほに出身部族のものらしい入れ墨がはいっているほかは化粧一つしていない。これでも番頭の一人で噂では剣と体術の達人らしい。

「どうぞ」

 彼女は主計課の印のはいった発注書を出した。二十七世は丁寧にあらためてうなずいた。

「手違いはありえませんね。この書類は山びこさんの起票したものですが、黒森屋中佐殿のチェックがはいってます、山びこさん、何回書き直しましたか」

「二回です」

 思い出してぐったりの返事が返ってきた。

「最初のはそれこそ真っ赤にされました」

「そんな紙っきれがなんだってんだ」

 黒エルフやくざは急に態度を変えて威圧してきた。戦地帰りというのは本当なのだろう。そして相手は主計課だ。遅れをとることはありえない。

 二十七世は微動だにしなかった。かわりに書類を返しながらこう宣言した。

「お楽しみ商会のみなさん。手がたりませんので、帝国軍警備隊として一時徴兵します。よろしいですね」

 女番頭が腰の剣を叩いてにやりと凄い笑みを浮かべた。

「ようござんす」

「ありがとうございます」

 やっちまえ、黒エルフやくざはそう叫ぼうとしたが、その口にむけてオークの大きな手が指一本たててしっと制された。

「ここは一つおとなしく引き上げてくれませんか。そうすれば何もなかったことにしましょう。お互い損にはならないと思いますよ」

 なめるな、と叫びそうではあったが、ここで黒エルフやくざは思い直した。少なくとも時間は稼げた。彼らがここを出るころには自分たちの荷駄が航空隊倉庫についているはずだ。既成事実を作ってしまえばあとはなんとでもなる。今は引き上げて他の手を打つほうがよい。

 先ほどの戦吠え、そこから自分と同じくらいはやく立ち直ったこの女、どちらも手だれと彼は見ていた。

「あいわかった。ここは引くことにしよう」

「ご理解、感謝する」

 女番頭が心底残念そうな顔をする。やっぱりこいつは同類だ。やくざは確信した。

「じゃあ、またな」

 捨て台詞は山びこあてだった。


第六場 航空隊事務所


「書類を」

 朝露は納品にきたという黒エルフの商人に手を出した。どこか卑屈な感じの男で気に食わなかった。心象だけの問題ではない。だいたいこういう雰囲気の者はあわよくばだましてもうけようとするので油断できないのだ。

「へい、こちらに」

 香までたきこんだ高級な封筒が現れた。変な薬でも混じってるとこまる。彼女は息をとめて受け取り、中のものを出した。一緒に金貨がはいっていたがそれはそのままに封筒ごと商人につきかえす。

「こっちはいいわ。書類はこれね。拝見するわ」

「へい、どうぞ」

 広げて読み始めるやすぐに朝霧の顔に苦笑いが浮かんだ。

 朱筆をとると、書類に何か書き始める。

「な、なにをなさってるんで」

「添削よ。この書類はなってないわ」

「て、添削って公文書に」

「書式がなってなさすぎ。誰が書いたのか知らないけど、ペン研ぎからやりなおしね」

「書式がひどくても、いちおう書類あるんですから納品させてくださいよ」

「あのね、これはしょぼい偽造書類よりひどいできなの。悪いけど出直して。そもそも急ぎじゃないのよね」

「おめおめ帰れるわけがありやせん。受け取ってくれるまでここで待たせてもらいやすぜ」

「ご自由にどうぞ。でも、ちゃんとした書類をもってこない限り受け付けませんからね」

「たいした問題じゃないでしょう。そうだ。あなたに素敵な贈り物をしましょう。それで通してくれませんか」

「大事な問題です。それに、買収しようとしたという時点で懲役確定ですよ」

「そんな脅しにゃぁ、屈しませんよ。こちとらまっとうな商売をしょうとしてるだけだ。そいつをくだらねえ書類なんかで邪魔してほしくないですぜ」

「くだらない書類? 」

 その声色に商人はなにか地雷を踏んだと予感した。

「帝国にはヒト十大部族、ドワーフ七大部族、エルフ三部族、オーク四部族、ノーム二大家、そのほか十三小種族がいるの。その間で円滑にものごとを進めるために、書類管理はなくてはならないものなの。主計課は毎日戦争よ。それもこれも、帝国軍だけじゃなくあんたたちも円滑に生活できるようにするためなの。それを、くだらないですって? 」

「い、いいすぎました」

 気圧されて商人は後ずさった。とはいえ、彼もここでおめおめ引っ込みがつく立場ではない。

「書類はちゃんとしたのを持ってこさせますから、それまで待たせてください」

「受付は夕方五時までよ。それまでに持って来れないなら一度帰ったほうがいいわ」

 朱筆を手に朝露はいった。後頭部の毛が逆立つような気がした。

 商人は部下を一人呼ぶと突っ返された書類を渡し、伝言を言い含めて送り出した。

 一時間後、商人は事務所の戸を叩いた。鼻の頭をインクで汚した朝露が不機嫌そうな顔で出てきた。

「これでどうです」

「ちょっと待ってて」

 エルフの主計官は中に戻ると数分で出てきた。さきほどほどではないが、真っ赤になった書類を見せる。

「もう面倒だから書類かいた人とはんこもってきて。この場で直してもらうわ」

「も、もういいじゃないですか」

「よくない。帝国の事務方なめるな」

 二時間後、気難しそうな黒エルフを連れて商人は再度戸を叩いた。

「じゃあ、楽しいお仕事を始めましょうか」

「何が楽しいお仕事じゃ。わしの仕事にけちばかりつけおって」

 頑固な職人そのままの口調でくってかかるのを朝露は一にらみした。

「こんなザルな仕事でよくそんな口がきけますね。じゃあ、どこが悪いか言って聞かせてあげましょう。まずここの部分」

 彼女の説明はそれから三十分にも及んだ。偽造職人は最初のほうこそ居丈高に口答えしていたが、だんだん口ごもるようになり、とうとうだまってしまった。最後に朝露が「児戯にも劣る」と断じたときにはとうとううつむいてすすり泣きだした。

「あのう、いいですか」

 いつのまにか、彼らの後ろにきていた山びこが声をかけた。

「あら、待ってたわ」

「書類です、確認を」

 朝露は受け取ってじっと眺めたのちおもむろにサインをいれた。

「これは中佐のチェック済みですね。苦労したでしょう。問題なしです。運び込んでください」

「ちょ、ちょっとまちなさいよ」

 商人が立ち上がる。

「あたしが先にきてたんだ」

「不備の書類を持ってきてる時点で先も後もありません。それより、あなたがたに聞きたいことのある方々がいらっしゃってます」

 朝露がさすほうを見ると、赤ら顔のドワーフ将校がオークの部下をつれてのしのしやってくるところだ。その他、帝国兵十数名が荷馬車を取り囲んでいる。

「変な考えはおこさないでね」

 朝露の手元でがしゃりと機械音がする。彼女は連弩を構えていた。それがどういうものかは初めて見た商人にも見当がついた。

「紹介します。工兵連隊の鉄骨大佐。あなたがた、他にも悪さしてたみたいね」

 ようやくここにいたって商人ははめられたと悟った。

 ののしりの言葉をはこうとしたその肩にごつい手がおかれた。

「いよう。これからあんたのいうことは全部記録される。何を言ってもかまわんぞ」

 商人は言葉をのみこんだ。はずみでしゃっくりが出始めた。

「ご案内しろ、そっちの親方もだ」

 偽造職人は両脇をがっしり掴まれた。

「あんた、うちで働かんか? 」

「え? 」

「こういう仕事も時々必要でね。なに、うちの主計課以外相手なら十二分に通じる腕だ」

 その横をお楽しみ商会の荷馬車ががらがら通り過ぎて行く。

「こっちは無事に終わったみたいね。山びこさん、今日はもういいから帰宅なさい。ご家族が心配でしょう」

 うってかわって優しい声でがそういった。


第七条 ふたたび竜五郎商店


 竜五郎は懇意の親方四人と試作品を手に侃々諤々やっているところだった。

 竜騎士用に納めていた品物だけではなく、こういうものは作れないかという要望をいくつか聞いて値段と使い勝手と耐久性、を天秤にかけ、数をそろえる前提で議論白熱中だった。

「同じ要求はお楽しみ商会含めて四つくらいに出してますから、いいものを見せてくださいね」

 そんなことを言われては気を引き締めるよりない。

「お取り込み中失礼します。旦那様にお客様です」

 他所の商店からあずかっている見習いがおそるおそるそんな声をかけてきた。

「どなただい。忙しいのだから、よほどの人じゃないかぎり帰っていただきたいのだけど」

「それが、銀樹家のお殿様と、樹三郎商店の若旦那で」

「本当かい。そんなお人がなんでうちなんかに」

「わかりませんが、一番いい応接室にお通しして一番いいお茶とお茶菓子を出すよう申し付けてきました」

「よくやった。あたしもすぐ行くよ」

 親方たちにちょっと休憩にしましょう、と伝えて竜五郎はいそいそと応接室に向かう。途中にあった姿見で襟元を直して失礼のないようにこころがける。

「おまたせいたしました。当家の主、十一代竜五郎です」

 深々とお辞儀をするのを銀樹家の当主は鷹揚に、まだ若い樹三郎商店の三男は軽蔑するように出迎えた。

「竜五郎さん、私たちがここにきた理由はおわかりですかな」

 若旦那は甲高いいらついた声でいきなり切り出した。

「いえ、一向に。やんごとなきお方と、当家など及ぶべきもない格上商家の若旦那がまたなんでこんなところにお運びに? 」

「あつかましい」

 若旦那はきれいに整えた眉を逆立てた。

「あなた、割当をお忘れ? 」

 竜五郎は顔を曇らせた。不愉快な暗黙の圧力の数々を思い出したのだ。

「ああ、二大商店が六割、樹三郎商店様など次席が三割、当家他末席が一割を分け合うというあれですな」

「そうよ。あなた、帝国航空隊への納品を独占してるじゃない。いつからそんなに偉くなったのかしら」

 心底あきれるとはこういうことか。竜五郎は目の前の二人をまじまじと眺め、失礼になりそうだと気づいて目を伏せた。

「若旦那。相手は共和国ではありませんよ。帝国です。彼らは共和国時代の取り決めなんぞ知ったことではありません」

「それこそ知ったことではないわ。私たちには私たちのやり方と誇りがある。そうでしょ? 」

「では、そのようなお話があったことを主計局のほうに申してうかがいをたてましょう。この竜五郎の一存でどうにもならないことですので」

 ここで初めて銀樹家の当主が口を開いた。

「いや、それは許さん」

 竜五郎は深々と一礼して質問した。

「許さないとは? 」

 今のあなたに何の権限がありますか、そう問われたと感じて貴人は少し機嫌を損じたようだ。

「今、共和国は混乱の極みにある。うかれたうつけどものが調子にのって何もかも乱れっぱなしよ。わしは正しいあり方に戻そうとしているのだ」

「それはご立派なことです」

 追従したつもりが、思わず嫌みになったかな、と竜五郎は脂汗が出るのを感じた。彼らの言う事も聞きたくないが、敵にもしたくはない。つまらぬ風聞をまくくらい平気でやる人たちだ。

「で、あるから協力をお願いする。まずは納品を辞退してくれ」

「なんと。契約を違えろと」

「あなたが欲張って間違ったことをしたせいだから、がまんなさい」

 若旦那はそんなことを言う。どんなにゆずっても損金の埋め合わせの申し出があるべきところだ。

「お断りしたらなんとなります? 」

「あら、逆らうというの? 」

「若旦那、小なりといえど当家も始祖十七家の郎党に発する家、約定を違える不名誉にまみれるくらいなら死を選びますぞ」

「まあまて」

 銀樹家の当主がなだめる。

「かわりの品はこの樹三郎商店が用意するゆえ、それを納めてくれればいい。そなたの用意した品は発注が続くなら樹三郎商店が原価で引き取る」

 丸損ではないか。竜五郎は憤慨した。ここはいよいよ腹を決めるときであろうか。 

「本日、納品の荷は出してしまいましたので」

「それはこちらでかわりを出したのでおっかけて使いを出してくれ」

 そこまでやるか、竜五郎はあきれた。

 共和国時代からの、幼少時からの鬱憤をいよいよぶちまけるときがきたのかも知れない。今のこの人たちは何をするかわからない、ということに考えが及ばないほど彼は怒っていた。

 そのとき、廊下がさわがしくなった。

「いけません。主は大事なお客さまと会談中で」

「そのお客様にも急ぎの用事だ。占領軍の横暴と訴えてもらってもかまわんぜ」

 声を聞いた銀樹家の当主が顔をしかめる。

「あいつだ。あの無礼なオーク」

 立ち上がって驚いた顔の若旦那に声をかける。

「帰るぞ。あいつはいろいろ面倒だ」

「へい」

「勝手口を借りるぞ。あと、先ほどの話、やっておくように」

 騒ぎになってるのと反対のほうから出て、驚く使用人を押しのけ、彼らはあっという間に姿を消した。ほぼ直後にドアが開いて憲兵曹長が入ってきた。

「おや、来客があったのでは」

「あなたの声に驚いて逃げていきましたよ」

 ほっとした竜五郎は曹長に疲れた微笑みを見せた。

「元共和国議員の旦那と、樹三郎商店の若旦那でした」

「なるほど。逃げ足の早そうな連中だ」

 曹長を止めていた見習いがびっくりしたような顔をしている。

「勝手口に塩まいといで。あと、あいつらがまたきたら二番目の茶と菓子とお部屋でいいから」

「へぇ」

 見習いはびっくりしたように奥へと消えた。

「さて、ちょっとお話をうかがってもよろしいか。何を言われました」

「まぁおすわりください。それがね、ふざけたことを言うのですよ」

「御影石、記録をとれ。読める字でな」

 曹長は連れてきた部下のドワーフに命じた。


第8場 きしきし山家ふたたび


 もう何度夢を反芻しただろう。

 老人は安楽椅子に座ったまま思う。使用人たちがにこにこと仕え、子供たちが騒がしくじゃれあってにぎわっていたころ。癇癪を起こすのも楽しかった。まだ生きていた妻の気品とやさしさに満ちた声が自分と子供たちをなだめる。共和国は帝国に対してもひけをとるところはなく、やや小なれといえど精強を誇っていた。

 今は娘と、孫二人しかいない。使用人のすんでいたところには忌々しい帝国人が間借りしている。

 不甲斐ない。老人の怒りはしかし仇敵である帝国ではなく、共和国上層部に向けられていた。息子は初戦の勝利をもって結果とし、譲歩することで帝国と和解、共和国の名を高めるよう議会で訴えたが、あのバカどもは欲をかいてもっと勝ちを求め、息子を前線に送った。あれはやつらの得意な暗殺だったのだろう。二晩目の息子も首都防衛戦の前哨戦で衆寡敵せず散った。そのいきついたところがこれだ。

 このまま眠って目をさまさないのがいい。永遠につづく黄昏の中で失った人たちとおだやかにすごしたい。

 老人は目をとざし、眠ろうとした。

 そのとき。

 妻の悲鳴が聞こえた。老人はくわっと目を見開く。すぐにそれが妻の声ではなく、おもかげをひきつぐ孫娘の悲鳴とさとった。

 杖がわりの剣を頼りによろよろと声のしたほうにむかうと、いやがる孫の手をひっぱる狼藉者の姿があった。

「何事か」

 弱ったからだから思いがけなく大きな声が発せられた。狼藉者の男はおどろいて娘の手を離した。

「これはこれは」

 慇懃にお辞儀をするその顔に覚えがあった。

「そなたは妻の親族、銀樹家の身内じゃな」

「はい、さようで。このたび、当主の館にお孫様がたを迎えるべくまかりこしました」

「そんなことを許した覚えはないな。無礼者め、まずは義弟めが直々に挨拶にくるべきであろう。出直してまいれ」

 傲然と放つ言葉に往時の充溢を覚える。そういう者たちに屈服することに慣れた男はひるんだ顔をした。

 だが、ここには屈強な使用人もいない、いるのはか弱い子供とすっかりやせ細った老人一人だ。仕込みを持って軍で訓練を受けたあの娘は彼の仲間たちが引きつけている。

 もうそんな時代じゃない。男はひるむ自分を叱咤した。ボスに従っているのも金と暴力のためだ。

「あなたの許可など不要。始祖十七家もあわれなものです。お怪我をさせたくありません。安楽椅子に戻ってお休みください。なに、悪いことにはなりません」

 にやにや笑いながら言おうとしたが、どうも失敗したようだ。老人は冷たい目で彼を睨んだ。

「あわれよな。一度負けたくらいで誇りも矜持も失ったか。みじめよな」

「どうとでも」

 傷ついた目で男は吐き捨てた。

「さあ、ひっこんでな、じいさん」

「そうはいかんな。我が剣のさびになりたくなければ場末の酒場にでも逃げ込んで溺れておれ」

「そうかい」

 男は老人を突き飛ばそうとした。直感があってその手を引っ込めたのが幸いであった。さもなければ老人の抜いた一閃に手首から先を失っただろう。

「抜いたな。もうしらんぞ。そこまでやれとは言われてないが、仕方ない」

 男も剣を抜いた。


 さて、そのころ、裏の下宿では非番のノームの技術少尉がこっそりもちかえった携帯兵器の試作品の改良作業をやっているところであった。

「いいですか、確実に動作すること、そして調達と運用のコストです」

 主計局の局長に言われたことはかなりのストレスだった。だからまずはコスト無視で趣味に走りきったものを作ろうとしていたのだ。だから自宅でこそこそやっている。

 投射兵器の代表は弓だ。弓は形態はいろいろだがバネの力で弾体を飛ばす。陸軍の長弓も航空隊の連弩も共和国竜騎士の散弾もすべてバネでとばす。速射に弱く、命中精度は直感まかせなところがある。

 彼はその点を改良したかった。実際、もっと手数を増やしたいという要求は出ていたし、止めるものはいなかった。彼が目をつけたのは龍砲の砲弾だった。

 龍砲は魔法で砲弾を加速して投射するもので、これの小型化なら研究している者は何人もいる。しかしそれだけでは城壁に穴をあけ、ゆらすだけだ。だから爆発の魔法を可燃物と酸化剤に付与した砲弾を使っている。その威力は共和国首都の城壁がどうなったかで証明済みだ。

 少尉はこれを弾体の射出につかえないかと考えたものだった。爆風を制御すればかなりの威力で射出できるだろう。そのためにはかなりの強度の筒が必要だ。そちらはようやくめどがついてきた。

 もし、現代風にいうならボルトアクション単発拳銃というべきものが少尉の手の中にあった。

 精度、強度の必要な部品が多く、製造費は相当に高いし、検査ではねる不良品もかなりの割合になることが見込まれ、採用はありえない代物だったが、少尉は趣味でさらなる高性能化を試みていた。彼もどこかおかしかった。

「試射したいな」

 そう思うが、大家の家には小さい子供もいるのでどうも遠慮がはたらく。なにしろ音が大きいのだ。

 その耳に鋼のかみ合う音、殺意のこもった罵声が聞こえてきたのである。

 昼の大家宅には足腰弱ったご隠居とけなげに家事をきりもりする姪御さん、そして乳離れのすんだばかりの赤ん坊だけである。今は、お隣のオークの憲兵曹長もいない、大家の親戚の居候も風呂敷に売りもの包んででかけていった。自分しかいない。

 試作品に弾丸を装填し、予備を二発握って彼は飛び出した。曹長がこっそり作った緊急用のバックドアを体当たりぎみにあけて庭から縁側にあがると、たしかに聞こえる剣劇の音。

 見慣れない黒エルフが剣をふるって力強い斬撃をご隠居にうちこむのがみえた。ご隠居はそれを体重もつかって受け流し、不埒者に一太刀ふるう。相手は軽くステップバックしてこれをかわし、再度力のこもった一撃を撃ち込む。

 どちらも剣の達人だ。特にご隠居はただものではない。惜しむらくは老いにより反撃が続かないこと、少尉はそう思った。侵入者は勝負を急がず、老人の体力を削ってミスを誘っている。いきつくところは見えていた。

「そこまでだ」

 少尉は新兵器を手に大声をあげた。二人は驚いたがかまわず戦いを続けた。さきほどと違っているのは侵入者が勝負を急ぐことにしたことだ。侵入者は手傷かまわず剣をつき込み、ご隠居は体を折り曲げた。新兵器を発射するのと同時だった。

 ご隠居は倒れ、血だまりが広がる。眉間に穴のあいた侵入者も仰向けに倒れ、びっくりしたように動かなくなった。

 止血しなければ。少尉はそこにあったクッションをつかむと老人の傷に押当てた。

「大きな音よな」

 老人がかすれた声でそういった。少尉はしゃべるな、といい、目に涙をたたえ、口をおさえてこれを見下ろす少女に誰でもいい医者を、と伝える。

「いや、これはたすからぬよ。死なせてくれ」

 かすれてはいるが落ち着いた声で老人は言った。

「だまってて」

 少尉は応急手当用に覚えている治癒の魔法を唱えて老人の命をつなごうとした。だが、本人に体力がなければそれは役に立たない。救うには数人の術者がかりで、それなりの設備のあるところでやっとかけることのできる術式しかないだろう。


 山びこが帰宅すると、実家は妙なほど静かだった。

 いや、違う。彼女の首筋にざわざわと嫌な実感がはしった。すすり泣きの声が聞こえる。

 杖の仕込みを抜き放ち、土足のまま彼女は奥へと踏み込んだ。奥の間に踏み込むとぬるりと足を取られそうになる。血だまりができていた。二人の人物が倒れ、その向こうで姪が泣いている。倒れた一人の人物のそばには店子のノームがつきっきりで溢れ出る血を座布団でおさえて止血しようとしている。

「お父様! 」

 死にかけた老人は彼女のほうを見た。出血量からは信じられない動きだった。

「許す」

 かすれた声だった。

「いやです。お父様。だめです」

「そなたはそなたの好きに生きよ」

 ひときわ小さくなったかと思うと、老人からすべての気配が消えた。

 姪はいつのまにか泣き止み、嗚咽する山びこをじっと見ていた。

「叔母さま」

 呼びかけられて山びこは起き上がった。

「そうだ、坊やは? 」

「奥で寝てます、あの音で起きるかと思いましたが」

「あの音? 」

「これです」

 ノームの少尉は見慣れない筒を見せた。筒には帝国航空隊の弩のような引き金がついている。

「試作品の新兵器です。大きな音がするのが難点ですが、あの不埒者を倒すことができました」

 不埒もの、とはもう一人の倒れた人物である。剣を手にしたまま大の字になってたおれ、びっくりしたように目を見開いてる。眉間に丸い穴があいていた。

 以前追い返した遠縁の男、先日叔父のところまで彼女を連れ出したはとこだ。

「この人がむりやり私と坊やをつれだそうとしたの。おじいさまがそれを止めようとなさいました」

 姪はしっかり説明した。どうやら何かが彼女を変えたらしい。

「このかたはかつては大変な剣豪であったのですね」

 少尉が老人のまぶたをとじながらそう言った。

「打ち合う音に私がかけつけるまでそいつとわたりあってました。最後の数撃しか見ていませんが、力でもはやかなわぬ相手に見事な剣さばきでした」

「そうですか」

 山びこはそういった。彼女の心を満たすのは、一人おいていかれた寂しさ、それだけだった。


最終章


「ひでえふりだ」

 曹長は空を見上げた。このへんはもうすぐ雨期だという。大粒の雨が痛い。軍支給の防水処置をしたポンチョではストレスがたまる。

「いやはやまったくです」

 連れているのは谷エルフの上等兵。枯れ枝などとひどい名前で呼ばれているがもっと優雅な本名はる。実は朝露も木漏れ日もそうなのだが、長いので普段は遣わない。

 彼は地元の黒エルフたちから買った簑をはおり、地元風の笠をかぶっている。彼らの故郷にも似たようなものがあるし、サイズも近いので曹長のように官給品でがまんしないといけない道理はない。さすがにオークの体格でははみだしてしまうのだ。

 行く手にはやはり簑笠つけた人かげが四、五人、何かを守っている。

「ご苦労さん。ここが現場かね」

 見回すそこは料亭街の裏通り。排水溝に蓋をしただけの場所だった。足下に流れる水音がおおきく、そのうちあふれるのではないかという気にもなる。

 帝国軍とは違う敬礼をしたのは簑のしたに黒っぽい制服を着た壮年の黒エルフ。共和国軍人ではない。治安維持機関の検非違使だ。何かの頭文字をあしらった徽章をつけている。共和国法への忠誠を誓う文言のものらしい。

「いま、検死と検証がおわったとこだ」

 壮年のエルフ、班長が報告する。検非違使と帝国軍は域内の治安維持について取り決めを定めた仲であり、卑屈になるいわれはない、というところか。曹長はむしろ好ましく思った。

「被害者は誰だ」

「あんたの思ってた通りさ。銀樹家のご当主さま、元共和国議員様だ」

 上等な上着を雨水でだいなしにしてしまった男がうつぶせになっている。雨にやられる前に背中から流れる血でもう台無しにはなっていたのだが。

「死因は見ての通りか。凶器は? 」

「見つかってない。だが、匕首だな。傷の形からして帝国軍の十七式のようだ」

「そりゃまたどこにでもあるやつだね。発見者は? 」

「ゴミ捨てをしようとした見習い料理人だ。これが議員様でなければそこのドブ板ちょっとあけてどぼんで済ませただろう」

「ここで殺されたわけじゃなさそうだな」

「この雨だ。血はだいぶながされたが、ここには捨てられただけだろうってのがうちの見解だ。どこかの料亭の座敷が現場だよ。そっちはとっくに掃除済みだろう。連中、こういうことには慣れているからな」

「恐ろしい世界だ」

「さて、現場の確認はいいか? ホトケを近くの番屋まで運びたい。調書もそこでわたすよ」

「ああ、ちょっとだけまってくれ。すぐ終わる」

 曹長は雨に打たれる死者の横顔をあらためた。完全に不意を突かれた者の驚きしかない顔だった。

「あんたにゃ不向きな世界だったんだろうさ」

 故国の死者を悼む仕草を作り、彼はつぶやいた。

「あんたもいろいろ必死だったんだろ? だけどあんたの守ろうとしたものは一度壊れちまったがらくただったんだ。そうだ、がらくただ。だけど認めたくはなかった。わかるぜ」

 曹長はたちあがった。

「またせたね」

 雨雲がきれて、まぶしい光がさしてきた。


後日譚


 庭には二匹の翼龍が屋根付きの巣箱でくつろいでいた。どちらも元軍用の竜だが、共和国軍は解散してしまったし、その元軍人は兵科によって検非違使や帝国軍人になったもの、暴力の世界に身を置くものなどさまざまであったが、翼竜たちはそうもいかなかった。行き場のなくなった彼らをほんの二匹だが引き取り、民間利用であればよかろうと許可を得て通信、輸送会社を立ち上げたのだ。

「ほら、従兄殿、ここ間違ってるよ」

 山びこは朱筆で真っ赤にした書類を店子だった親戚につきかえす。商習慣などにはうといので営業そのほかを手伝ってもらっているのだ。給料もだしている。

「勘弁しておくれよ。おまえのチェックはどうしてそんなに厳しいんだい? 」

「なあなあでことたりた共和国時代じゃないんだよ。食べ物の好みも笑いのつぼも、逆鱗の生えた場所もばらばらの連中をごった煮にした帝国が相手だ。書類をきっちりしとかないとお金払ってもらえないよ」

 竜五郎商店であつらえてもらった新デザインのフライトスーツの留め具を締めながら彼女は何度も繰り返した説教をする。

「おまえ、そんなんじゃ嫁の貰い手がなくなるぞ」

「当分いらないわ。じゃ、いってくる」

 愛竜にまたがると心得たもので竜はふわっと浮き上がった。甥をあやしている姪が手をふるのが見えた。

「ご飯までにかえるから」

 ハンドサインで伝えると、姪もハンドサインで了解と返事をしてきた。

 最初に向かうのは主計倉庫。二十七世となぜか木漏れ日がまっていた。

「お待たせしました。赤星運輸です。もっていくものはどれですか」

「やあ、順調なようですね」

「おかげさまで」

 にこにこするオークってあいかわらず怒ってるよりこわいな、と思ったが山びこは営業スマイルで押し隠す。

「これが荷と送り状。緩衝剤をたっぷりつめてますが、基本割れ物なので注意してください。それとあちらにいる軍医殿によろしく」

 今回の仕事は水害で病人ケガ人だらけの村に必要な医薬品を届けること。速度重視での依頼だった。

「うけたまわりました。サインをおかえしします」

 受け取りを返すとずっとにやにや笑って見ている木漏れ日のほうを睨む。

「さっきから気落ち悪いんだけど」

「うちの軍団長って、唐突にいろいろ言いだす天災将軍なんだけど、そいつがきのうあたりから翼竜隊も作ろうとかいいだしてんの」

「中佐がぶちきれそうなことを」

「もうぶちきれましたよ。いやぁ、でかい怒鳴り声だった」

 二十七世がはははと笑う。

「それはお気の毒様です」

「朝露先生、きのうから帰ってないらしい。うちも半しっぽ君にいってもらった」

「うっわ」

 お気の毒、という言葉までは言わなかった。

「というわけで、戦友になれるね」

 木漏れ日がにやにやするのを山びこは睨んだ。

「なりません。うちは民間企業です。戦争はまっぴら」

「つれないなぁ。あ、でもその気のある戦友がいたら紹介してね」

「考えときます」

 鞍に荷を固定し、護身用の連弩を背負って彼女は飛び上がった。気持ちよいほど早く空にあがり、そして目的にむかって矢のように飛ぶ。

 翼竜はグリフォンのように小回りがきかないし、ホバリングも得意ではないが本気の速度では圧倒していた。おとといまでの二日は帝都まで通信飛行した。思わぬ歓迎がまっていたものの、やはりちょっと大変だった。中継基地も乗り手と竜がふえてきたら作らなければならないだろう。

 実のところ、そのために必要な計算はすませてある。開業するにあたり、事業計画として練って中佐に提出し、何度も真っ赤にされてようやく承認をえて出資を受けたのだ。

 それはもっと早くなるかもしれない。昔の戦友は何人あつまってくれるだろうか、

 届け物をすませ、ちょっとした土地の名産をわけてもらい、姪が喜ぶだろうなと足取り軽く家をめざす。気持ちが伝わるのか、竜も楽しげだ。

 彼女の気持ちは久々に晴れ晴れとしていた。

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