従軍商人黒森屋大尉と妖精の部下

 夜明けのはなびらの露、夢の中で本名を本来の言葉であるエルフ古語で呼ばれて彼女はうめいた。

 いやな思い出がよみがえる。航空隊にいられなくなった、その理由となったできごとだ。

「朝露くん、夜霧川吊り橋村の朝露くん」

 誰だろう、こんどは無遠慮に帝国軍人としての呼び名で呼ばれている。

「朝露くん! 」

 書類とじで頭をばしっと叩かれて彼女は目をあけた。全身がだるい。

「朝露くん」

 再度呼ばれて見上げれば、後頭部にわずかにのこった毛をさわさわと逆立てつつあるノームの姿。

「やだ、あたしったら」

 エルフ娘はよだれを拭いながら跳ね起きた。

「徹夜したのかね」

 癇癪持ちのノームの上司が珍しく優しい目をしている。この黒森屋大尉は激高すると後頭部の毛が逆立つことで有名だった。そしてしょっちゅう怒鳴っている。

「航空隊の消費が予想より多いので、消費の増えたものと減ったもののここしばらくの実際の動向を分析し、発注の準備をしてました。今日出してもちょっとの間不足で文句を言われそうです」

「発注書はできたのかね」

「チェックとサインを」

 受け取った大尉は鋭い目で吟味していたが、やおらペンを赤インクにひたすと何カ所も修正をいれはじめた。

「よ、容赦ないっすね」

「これが仕事だ。桁間違えたとか、品番間違えて笑うに笑えないことになった話ならいくらでもあるぞ。いくら君がエルフで長命でも百年の年季奉公はいやだろう? 」

 ほれ、と突っ返して大尉は言葉を続けた。

「一人の徹夜仕事はこういうことが多い。誰かまきこんで相互チェックしながらやりたまえ。相身互いだ。遠慮はするな」

「はぁい」

「で、あいつらは何をそんなに使い込んでいるんだ」

「目立って増えているのは医薬品と矢です。派手に撃ち合って怪我が絶えないみたいなんです」

「前はそんなことはなかったろう」

「たぶん、あちらも飛行隊を出して来たんだと思います」

「そうなると、他の兵科も必要品が変わってくる可能性があるな」

 よし、と大尉は自分の机に戻ると猛然と書き物を始めた。

「あ、そうだ。発注書がなおったら発送ついでに航空隊にいって実情を聞いてきてくれ。それと、仮眠をとるのを忘れるなよ」

 ペンを走らせ、そろばんをはじきながらはげた小さなノームは妙にうれしそうだった。

「楽しいお仕事が始まるからね」

「おはようございます。おや」

 出勤してきた大きな体のオーク鬼の主計官がその様子を見て目を丸くする。

「何があったんだい? 」

 そっと聞く声には気遣いがある。見かけのわりに気のやさしい男なのである。

「戦争って、日進月歩だってこと」

 朝露は真っ赤な発注書を新しい用紙に書き写しながらくらい声で答えた。


 航空隊は今日も出動しているようで、兵営にいくと怪我をしたグリフォンが数頭、がらんとした厩舎で思い思いにねそべっているのと、その乗り手らしいエルフたちが包帯を換えたり心得のあるものは治療呪文をかけたりしている風景があった。朝露はその正確な数を数える。思ったほど多くはない。補助部隊の連中が予備の武器の手入れをしたり、壊れかけの腹帯を力こめてつくろっていたり、帰ってくるグリフォンたちのえさを用意したりこれも忙しそうに働いている。

 航空隊の事務所の前の衛兵に用向きを伝えると、一人が中に取り次ぎにはいって、すぐに招き入れられた。エルフとしてもずいぶん年配の司令の葉の舞が新任らしい士官と話をしているところだった。

「それでは、よろしくお願いします」

 司令に敬礼し、朝露に答礼して出ようとした士官の足がとまった。

「驚いた、朝露じゃない」

 呼ばれて相手の顔をじっと見つめたエルフ娘の目が丸くなった。

「え、木漏れ日? 」

「あなたもこの隊にいるの? 」

「いや、わたしは連絡にきただけよ」

「お知り合い? 」

 葉の舞の柔らかい声。

「最初に所属した隊の戦友です」

 木漏れ日はきびきびと答えた。

「やっぱり貴女、経験者だったのね」

 葉の舞はにっこりした。獲物を狙う目だと彼女は思った。

「少尉、この朝露曹長にはずいぶんお世話になってるのよ。補給で不便を覚えたことがないの」

「主計なの? 」

 木漏れ日は目を丸くした。

「あんた、速度じゃ隊一番だったのにもったいないじゃない」

「いろいろあってね」

「ふうん。あ、うちの子ほったらかしだった。またゆっくりね」

 木漏れ日はウィンク一つのこして出て行った。

「彼女、前の隊から帝都の士官学校にいって、うちが将校として最初の赴任地らしいよ」

 聞かれてもいないのに司令は説明した。

「これも何かの縁ね」

「うちのボスなら、それでなんぼになるんじゃ、とか言いそうです」

 葉の舞は声をあげて笑った。

「あのノームならいいそうね。さて、今日は何の御用? 」

「おききしたいことと、ご相談が一つづつです」


 仮眠で取りきれなかった疲れを生あくびにのせて主計事務所に戻ると、仲間たちは全員頭を低くして仕事に没入していた。一段高いところでは何かのカタログを手に足音高く黒森屋大尉がいったりきたりしている。

 また、不足、いや不測の事態が起きているに違いない。

「おお、戻りましたね」

 朝露の姿に目を止めると、大尉はカタログをおいてとことこと近づいてきた。

「グリフォン隊の浪費の原因はなんですか」

「連弩です」

 少しお待ちを、と彼女は大尉にいって、せおってきた見本を取り出した。

「こわれてるのを借りてきました」

「妙なクロスボウですな。その不細工な函にしかけがありそうです」

「ここにボルトを十本しこんでおけます。その十本は連射できるんです。最近はこれを二つもって出撃するそうです。ケンタウロスの発明だそうですよ」

「ふむふむ」

 大尉は教えてもらったわけでもないのにぱかっとあけて中をしげしげ見る。とくに製造元の焼き印と手書きのロット番号ほかはじっと凝視する。

「粗雑ですが、よくできている。構造と製法に改良の余地はありますね。工房は帝都の第三か。月産百くらいかな? 」

「矢の消費がずっと増えてるのはこのせいでした」

「修理部材も個々はともかく全体でかなり必要と思われます。リストにして現地在庫の管理台帳を作ってください」

 仕事が増えて朝露は重い気持ちになった。ここの仕事は本当にきつい。

「相手も最近は翼龍のりを出してきて、散弾を使ってきているので怪我が絶えないそうです、医薬品の消費はそれで、ものではありませんが治療師がオーバーワークぎみで人事に増員を依頼してるところだそうです」

「双方、攻撃力があがって消耗も多くなったということですね」

「航空隊の仕事なんて、偵察とか連絡とかちょっとした強襲とかだったのですけど」

「もっと大変になるかもしれん」

 黒森屋大尉の後頭部がさわさわしている。いつもなら怒号を警戒して沈黙を守るところだが、朝露は古い戦友に再会したこともあって何があったのか質問した。

「詳細はいえませんが、特別な倉庫を造らなければならんことになりました。中身は帝都が金だして送ってきてくれますが、倉庫はうちの予算でなんとかしてくれと面白いことを言われました」

「特別な倉庫ですか」

「そう、これが要件」

 彼女は黒板に走り書きされた箇条書きに気づいた。

「脛四つ分の壁の厚さ、容積、簡単に穴のあく天井。な、なにをいれるんです? 」

「それだけ危険ということです。そいつをその容積がいるだけ送ってくるそうです」

 大尉の髪の毛がざわっと立ち上がった。

「こんなもの建てる時間も予算もないわっ」

 小さな体からどうやって、という怒号。全員がすくみあがった。

 そして逆立った髪がゆっくりおさまると大尉はにっこり微笑んだ。

「といって何もしないというわけにはいきません。工兵隊の鉄骨少佐が夕方にプランをもってきてくれるそうなので、それまでに今週分の通常の業務をすましてしまいましょう」

 まって、と朝露の額を冷や汗が流れた。それは二日かけるはずの仕事だった。

「さあ、楽しいお仕事の時間です」

 エルフ娘は自分の机にとびつくと、仕事のときだけかける眼鏡を取り出し、そろばんをととのええ、メモ用の石盤と清書用のペンを手近に置いた。

 大尉もうろつくのはやめ、ものすごい勢いでそろばんをはじき、赤ペンを走らせている。

「手がたりないから、うちに来るなら大歓迎だよ」

 葉の舞が別れ際にそういったことを彼女はちょっとの間だけ思い出した。


 鉄骨少佐は名前から想像できる通り、ドワーフの士官で、彼の種族としてもとんでもなく筋肉のもりあがった巨漢であった。いかにも裸一貫で叩き上げてきたような風貌だが、定評があるのはその設計と見積もりにあった。

「結論からいえば、建てるのは絶対無理だ」

 大尉の後頭部の毛がざわっと動いた。

「そんなことはわかりきっとるわい。まさかそれでおしまいじゃないだろうの」

 一応上官に儀礼なりの敬意さえ見せていない。

「当たり前だ」

 ごそごそと広げた紙には方形の穴の見取り図が。

「建てるのが無理なら掘ればいい。壁を固める手間はない」

「いかにも穴掘りモグラの考えそうなことだな。何個掘る気だ」

 少佐は別の紙を広げた。俯瞰図になっていて、穴の感覚、個数の算出がされている。

「この間にレールを敷いて、滑車つきの櫓を移動させる。しまったものを取り出す苦労が軽減されるぞ」

「屋根は?」

「雨よけ程度のを建てる。万一の時はあっさり吹き抜けてもらわなければならないからな」

「必要な人員、工期は? 」

「ほい、工程表。人員つき」

 ぽんぽんでてくる資料に主計課一同は奇妙な共感を覚え、目を通す大尉の後頭部は途中まで穏やかだった。

「まて、この期間の従事人数は工兵隊より多くないか」

「間に合わそうと思えばそうするしかなくてね。一つ人を雇う予算もつんでくれないか」

「計算してみんとわからん。これは間に合わせるための工程だな」

「将軍から期間厳守といわれたのでな。予算は最初将軍に無心したんだが、あんたに相談しろといわれた」

 ざわっと残り少ない髪の毛が一瞬逆立つ。

「あのヒア樽やろうめ」

 将軍もドワーフである。大尉が思わず口にしたドワーフへの蔑称を少佐は聞き流した。

「それとね。うちの人員フル稼働はできないからな、任務があるから」

「ほう、稼働率は」

「ここに」

 手回し良くだしてきた数字を見てまた大尉の毛がさわさわ動く。

「ぐぅ、微妙な数字を出してきおって」

「捕虜を使えばだいぶ節約できるぞ」

「穴なんかほらせたら奴らどう思うか」

「そこんとこはうまく説得してくれ」

 少佐はもってきた資料をとんとんと整え、大尉にばさっと渡した。

「じゃあな」

 固唾をのんで成り行きを見守っていた主計一同はおそるおそるボスの顔を見上げた。

「どうしました? いつもの事ではないですか」

 大尉はにっこりとそう言った。

 下手なことをいえば、癇癪だ。みな慌てて仕事に戻った。

「あ、朝露くん」

 呼ばれてエルフ娘はびくっとした。が、落ち度を叱られるのではなさそうだ。

「君には別にお願いしたいことがあります」


「本日よりわが軍には龍砲兵隊が配備される」

 ぴかぴかの龍を砲口にあしらった新兵器を背中に、将軍はお立ち台から浪々と宣言した。

「これで敵の都邑を一気に粉砕し、我が帝国臣民を奴隷化しようとたくらむ彼奴らに正しい秩序のあり方を教えてやる日がくるのだ。戦いはもうすぐ終わるぞ」

 希望に満ちたその言葉に、長引く戦いに疲れを隠せない軍団兵たちの目に再び光がやどった。

「あいつは本当にドワーフか」

 様子は見えるが見られる心配の無い窓から覗きながらビールのジョッキを傾けるのは鉄骨少佐。

「帝国で出世したければ、らしさなんぞとっとと叩き売るに限る」

 紫煙たなびくパイプを手にした黒森屋大尉が答えた。

「けっ」

 少佐はジョッキを樽につっこんでビールを汲んだ。

「俺はドワーフの伝統をより洗練させてるぜ」

「その飲み方かい? 」

 大尉はパイプぷかぷか。

「いや、これは古き良き伝統だ。それより、弾薬庫の工事、よくまにあったな」

「捕虜がよく働いてくれたからね」

「あのとかげどもがか? 」

「信賞必罰は人を使う基本さ。連中に応分の報酬を出したらよくはたらいてくれたよ」

「報酬? よくそんな予算があったな」

「食事の内容を彼らの基準でよくしてやっただけ。予算はほとんどかけずにすんだ」

「何を食わせたんだ? 」

「知らない方がいいよ。帝国はいろんな食生活が混在してるから、誰にでも食べられるようにした軍隊の飯はとにかく不味い」

「同意する。あのトカゲどもに好みの飯をだしてやれたなら、俺たちにもなんか出せるだろう」

「とみんながいいだすと収拾がつかなくなるんで、申し訳ないが我慢してくれ」

「まぁ、そういうだろうと思った」

 将軍の演説は大喝采とともに終わり、軍楽隊の演奏のなかささやかな前祝いが始まっていた。

「まあ、今日くらいは夢を見てもいい」

 大尉は思慮深げにぱいぷをくゆらせる。後頭部の白髪はぺったりおさまっていて、いつも逆立てて怒鳴っているのが嘘のようだ。

 少佐は身をのりだして底の方にしかのこってないビールをくんだ。少佐の従卒の若いオーク鬼が顔を真っ赤にしてかわりの樽を運んでくる。

「おう、ご苦労。お前も飲め」

「いただくっす」

 オークの若者は残り少ないほうの樽をもちあげ、直に飲み干し始めた。パイプ持つ手がとまって、しばし大尉は唖然としていた。

「すごいな。うちの軍曹の仲間とは思えん」

 見かけによらず気のやさしいオーク鬼の主計官のことである。事情と教育が無ければ主計などやる者はいない。

「今日は主計の連中も休みかい? 」

 新しい樽から早速一杯汲みながら少佐が尋ねた。

「ああ、だからこんなところでおぬしなんかと無駄話ができておる。明日からはまた楽しいお仕事の連続じゃよ」

「いっつも忙しいなぁ、あんたんとこは」

「そりゃ、あそこでご機嫌の閣下とかが思いつきでよけいなことはじめるからの」

 航空隊の設置、新型の砲兵隊の導入。それはそれで将軍の政治力の賜物であり、軍団のに利益を与えるものではあった。

「砲兵隊の分はもうすんだと思ってたぞ」

「最初の何日かはな。だが、あっちも必死だ。航空隊の空中戦は苛烈になっておるという。砲兵隊の存在はもう知れておろう。最初の計画通りにいくわけがない。お、もうこんな時間か」

「どうした」

「うちのが連絡飛行から戻ってくる頃合いなんだ。怖い思いをしたかもしれんし、出迎えてやらんとな」

「ふん。おもしろそうだ。ついていこう」

「工兵隊は暇でいいな」

「ぬかせ。苛烈な戦闘になるなら、その前線には必ず俺の部下がいるんだ。知りたいじゃないか」

「ではくるがいい」

 大尉はパイプの燃えかすをぽんと捨ててたちあがった。


 なんで飛んでいるんだろう。

 朝露は眼下すぐを流れる雲を見ながらぼんやり思ってた。ブランクは長かったが、またがると膝での操作や乗騎のあやしかたは自然にできた。鞍は昔のものよりよくなっているし、違いといえば簡単でも甲冑をつけるようになったことと、武器と、そして乗騎の首にかけた羽毛の強度を強化する魔法の品物。これでだいたいの矢はグリフォンの体まで通らなくなる。

 最前線で戦うには訓練が必要だし、その気もないが速く飛ばせるだけなら少しの慣らしだけでまたできるようになった。あとは襲撃されたときに牽制に使えと連弩一丁と使い方の手ほどきを受けたくらいで用は足りるようになった。

 背おったずっしり重いかばんにはボスに届けるべき調査結果が詰まっている。これを持ち帰れば楽しいお仕事の始まりだ。しかし、それはやらねばならない。

「我々の仕事はそりゃあ、地味で誰も評価なんかしてくれません。しかし、最前線の兵を最も救っている仕事でもあるのです」

 あのうるさいノーム、しかし言っていることが正しいことは最前線の経験もあるはぐれもの集団には理解できる話であった。

 しかし、これは主計の仕事であろうか。大尉の実家から派遣されてきたという工兵隊もびっくりするような技師と、主計課の何でも作って修繕もする器用な元工兵の中年男、温和なオークの軍曹、そして彼女の四人でこの数日、取り寄せた資料とにらめっこし、計算と計測ばかりやっていた。彼女の仕事は彼らの活動に必要なミニ主計課としての活動と、グリフォンにのっての空中観測、各方面への手紙の配達およびその返事を持ち帰ることだった。あまり気持ちはよくないが敵味方の仮埋葬の墓地の数を数えるのも手伝った。気の狂ったように休む事をしらず彼女以外の三人がまとめた書類が今背中にある。これをボスに届けるのが最後の仕事だ。数日の相棒であったが、乗騎とわかれ、主計に復帰する。あとの三人ももう帰路についているはずだ。

 太陽を小さな影がよぎったのを彼女は見逃さなかった。護衛の二騎に太陽をさしてみせると彼らもうなずいた。

「先にいけ」

 ハンドサインを受け、朝露はうなずいた。

「無理はしないで」

 返すと二騎は親指をたててみせた。木漏れ日と、その部下だった。部下のほうは帝国中枢生まれで面識のない少女だったが、聞けばまたいとこにあたるという。

 速度をあげ、雲に見えない程度にもぐろうとすると、頭に衝撃を受けた。

 あさっての方向へはじかれていく矢が見えた。振り向くと、木漏れ日たちと翼龍二騎が旋回しながら撃ち合いを始めていて、さらに別の一騎の翼龍が彼女を追ってくるのがわかった。

 彼女は速度をあげ、少しいやがるのをなだめながら雲の中へと突っ込んだ。


「戻りました」

 股関節がこわばってがにまたになっているがかまう余裕もない朝露がグリフォンからよろよろ降りた。世話係が駆け寄って新鮮な肉を食わせるのを彼女の乗騎は傲然と食べる。騎手のほうがぼろぼろである。

「ご苦労さまです」

「書類を」

 黒森屋大尉が手伝ってかばんをおろすと、矢が三本ささっていた。頭の毛がざわっとして、それからおとなしくなった。

「無事でなによりです」

「死ぬかと思いました」

「その書類はなんだね」

 鉄骨少佐に気づいた朝露が敬礼しようとしたが、直立不動ができない。

「ああ、いい。無理するな。座ってろ」

 少佐は気にせず、大尉が一二冊抜き出してぱらぱら検めるのをのぞきこんだ。

「驚いたな、そんな数字をどうやって」

「うちにはいろんな経歴の班員がいるからね。頼むからだまっててくれよ工兵隊にも必要な数字はまわすから」

「そいつは心得たが、それで何を始めるんだ」

「そりゃあもちろん、楽しいお仕事さ。今度の総攻撃でなにもかも数字がかわる。そいつを少しでも先取りしとかにゃ」

 大尉は懐のそろばんをとりだし、じゃかじゃかとならした。

 そして、ぺたんと座り込んでいる朝露にたずねた。

「もし航空隊に戻りたいなら、今がチャンスですよ」

 朝露は弱々しく苦笑してかぶりをふった。

「身を守るためとはいえ、私は一人殺したと思います」

 長く、執拗な追跡の末に、彼女は自分でもびっくりするような奇抜な動きで相手の背後をとった。はっきり相手の姿が見えた。目もあった。相手は髪と肌の色は少し違ったがエルフだった。誰にとは言わず似ていると思った。一番驚いたのは、ごく自然に連弩をはなっていたことだった。どこにどう当たったのかわからないが翼龍はぐったりとなって落ちていったし、相手も鞍の上で突っ伏して動かなかった。

「そうですか」

 大尉の声にはいたわりの響きがあった。彼女の気持ちがわかるようであった。

「それならいてくれると助かります。でも、一度はじまれば絶対にがしませんからね。後悔してもしりませんよ」

「後悔する暇があるんですか」

 朝露は立ち上がりながら微笑んだ。大尉はちょっと思案顔になって首をふった。

「そうですね、そんな暇は与えません」

「よ、容赦ないっすね」

 鉄骨少佐がふらつく彼女を黙ってささえた。

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