従軍商人黒森屋大尉と部下たち

@HighTaka

従軍商人黒森屋大尉の激昂

「この見積もりを作ったのは誰だ!」

 怒声が事務棟を揺るがせた。頭の禿げた年配のノームが残ったわずかな髪の毛を逆立てている。

 顔に大きな傷のあるオーク鬼の巨漢からエルフの小娘まで多種多様な民族構成からなる主計官たちはこの小さなボスの剣幕にすくみあがっている。

「だれだときいている」

 手にした書類を手の甲で叩きながら睥睨するボスの名は黒森屋大尉。この帝国軍団の調達を担い、大本営から地元の漁師まで多方面との交渉を担っている。もともとはノームの国の怪しいギミックを言葉巧みに帝国軍でも反乱軍でもかまわず売りつけていたのだが、何があったのか今は大尉の階級章をぶらさげて軍団の世話係である。だからといっていつもこう機嫌が悪いわけではない。

「あ、あの、ボクです」

 恐る恐るヒューマンの若者が手をあげた。種族の中でもひょろっとした気弱そうな青年である。

「これでは食糧が足りん。分遣隊は目的地にたどり着く前に餓死してしまうぞ」

「大本営主計局の基準値通りですが」

 言い返す言葉に頑固の響きがある。荒事に向かないくせに強情とは損な性分のようだ。

 でなければここに配属されまい。数人の主計官は大尉の店の番頭であったが、他は軍団から押し付けられた烙印つきの連中なのだ。

「あの数字が何を前提としているか忘れたのだろう。帝国の各民族がすべて同数所属した場合。つまり軍団全体ならまぁ使えるが、橋頭堡建築のために派遣される分遣隊はほとんどがドワーフだぞ。連中の飲み食いする量は統計を出しておいたはずだが」

 ここにいたって青年は青ざめた。心当たりがあったらしい。

「ゆ、輸送計画から全部見直します」

「そうしてくれ。時間がない。概算見積もりはわしが出しておいたから正式なものをな。こっちはそれで不足するあれやこれやの調達と予算の見直しじゃよ」

 いつの間にか逆立った髪の毛がぺったんと頭にはりついている。大尉は全員に向かって穏やかにいった。

「さあ、楽しい仕事の始まりだ」


「酒保のビールが再来月には払底します」

「暴動が起きるな。それはいいが思ったよりもってるじゃないか。半月しのげば発注済の分がくる」

「いちばん消費する連中が橋頭堡工事に出てる分を計算にいれました。ただ、密造してたのも連中なので調達先がありません」

「しょうがない。今ある分を全部水増ししろ」

「いいんですか」

「しーっ、この件は最重要軍事機密だ。いいな」


「食糧問題なし。総人員は変わらないので持ち出しすぎにならなければ大丈夫です」

「あいつの見積もりが完了したら再度精査しておくように」


「荷馬車が予定より多く出払うので後方の倉庫との間の輸送隊の回数を一回増やす必要があります」

「一回で大丈夫なんだな?」

「正確にはコンマ2回なんです。無理な積載したら増やす必要はありません」

「…護衛の件を軍団本部にかけあっておく」


「貸借対照表ができました。予算がこれくらいオーバーになりますね。まだ予備費でなんとかなりますが」

「会計年度がまだけっこう残ってるからなぁ。ちと稼がなきゃいかんか」

「いよいよアレを売るんですか? 」

「ちょっと考えさせてくれ」


 懸案事項は担当の主計官によって整理され、大尉はおそらく的確な裁定を下していく。


 夜空が白むころ、すべての予算、見積もりは見直され書類は完璧に整っていた。

「いや、諸君、ご苦労でした。本日は私と見積もりをミスった君以外は休日にしてください」

 椅子の上で船をこいでいた件の青年はびくっと目を開いた。大尉はもう一度繰り返した。

「わかりました」

 やっと宿舎で眠れる、と他の主計官がのろのろ立ち上がったとき

 司令到着を知らせるラッパがひびくと上機嫌のドワーフの軍団司令が主計室に入ってきた。そして徹夜あけの異様な雰囲気にたじろいだ。大尉ほか全員が一瞬だけぴしっと直立不動で敬礼する。

「どうしたのだ」

「不都合が発覚して、橋頭堡派遣軍の兵站を見直しておりました」

「ああ、それはご苦労さま。諸君の献身にはいつも助けられる」

 司令はにっこりとほほ笑み、会釈までして見せた。部下の人心掌握に優れているという評判の通りである。オーク鬼の主計官は目に涙まで浮かべた。

「だが、安心したまえ。橋頭堡派遣軍は出さないことになった。諸君の仕事はこれ以上増えない」

 大尉の表情がこわばった。

「いま、なんとおおせで? 」

「分遣隊は出さない。そのかわり、増援が来月に到着する」

 ざわっと部屋の雰囲気が波打った。

「持参する物資等についてはあちらの主計官が引き継ぎ状をもってくるからそれまでゆっくり休みたまえ」

「増援の人数、内容は? 」

「エルフのグリフォンライダー五十騎と随員が各民族混合の二百だ。いよいよ念願の空軍保有だよわが軍団も」

 興奮する司令は部屋の冷え切った空気にかまわず、上機嫌で退室していった。

 主計官たちはゆっくり大尉のほうを見る。残った毛がまた逆立っている。

「分遣中止に、グリフォンだと」

「私、昔のってました」

 エルフ娘が手を挙げた。

「必要なものとリスクはわかります」

「それは助かるよ」

 大尉は穏やかに感謝を表したが毛は逆立ったままだ。

「さあ、楽しいお仕事は明日からにして、諸君全員今日は休日にしたまえ」

「僕も残ります」

 徹夜の原因を作った青年が責任感からそういうのを押しとどめて大尉はいった。

「すまんが、一人にしてくれ」


 疲労もあらわな顔で事務室を後にした主計官たちは、閉め切ったドア越しにも聞こえてくる呪詛の雄叫びを聞いた。


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