MISSION 21 「黒と黒」
――― 3/24 14:55 BAUM清掃班トレーラー内部
「これがバルーン……」
「ん? カミキ見るのは初めてじゃないよな?」
「そうですが……でもこうしてまじまじと見たのは初めてです」
都内にいくつかある河川のひとつ、浅沼川。その下流域にコールタールはあった。発生したコールタールは直径約5mほどで、相も変わらず不気味な黒を呈している。
トオルコこと私は、川に向けていた視線を車内に戻す。
ここはバウム本部直属の清掃隊……もとい、正式名称は『バウム東京支部直轄新宿支局行動課清掃班』だったか。大体は『清掃班』と称される、バルーンの残骸処理やサンプル回収を主任務とした部隊だ。
厳密には部隊というより、バルーンの研究を専門とする研究者の集まりといった方が正しいかもしれない。
私はいま、カプセルだらけのトレーラーの搬入口にたっている。高校の一件で見た外装が黄色一色のトレーラーは、いかにも危険物質を積んでいますと言わんばかりの風貌を醸し出していたが、中身を見て納得した。
───なるほど、危険物質だらけだ。
相当な広さがあるはずのトレーラーであるが、人一人分が通れるほどにしかスペースが空いていない。
なぜなら、車内の壁面をびっしりとカプセルが詰め込まれていたからだ。
透明なカプセルは、規則正しく壁面を覆い、トオルコの身長ほどの高さまで積み上げられていた。
カプセルの中に詰め込まれたサンプルは、ヒトガタの原型を辛うじて残しているものから、ほとんど結晶化したものなど様々だ。
時折出入りする黄土色のツナギ……もとい、防護服に身を包んだ清掃班のスタッフがせわしく動いている様子を傍目に、教育係であるクロイの講義が再開された。
「んじゃ改めて、こいつは今回の元凶であるC型バルーン。内臓の色が全体的にうっすい黄緑色をしてることが特徴じゃんね」
かつかつとカプセルを拳でたたくクロイ。
「他の特徴として挙げられる点は? カミキ・トオルコ君」
唐突な質問。入隊してから最初の三日間は苦しめられたが、もうその手は通用しないと意気込む。
「C型は……他の系統で区分されるA型、B型、D型と比較して発生率が最も高く、増殖率が高い点が特徴です。付け加えるなら……大抵の場合は自然発生するパターンしか目撃されていない点です」
教本にあった内容を暗唱する。クロイが良い良いと言いたげに頷く。
「やるじゃん、けどあと二つ教本の内容を言い忘れてんじゃね?」
クロイは人差し指を私に振って見せる。私はすぐさま暗記した記憶を遡り、回答を訂正する。
「そうでした……一つ目は最も亜種の報告例が多い点。 二つ目は出現する脅威等級はヒューマノイド級が大半です。稀にジープ級が出現するということもあるようですが……」
「おーやるじゃん! そこまでわかったら十分よ!」
クロイは掌を私の頭に乗せ、ガシガシと撫でまわす。ぞんざいな扱いを受けているようにも取れるが、これが彼女なりの感情表現なのだろうか。
「いえ……まだ勉強不足です……」
ゆらゆらと揺すられる前髪から覗きながら、地面に言葉を落とす。
「なーにいってんだよ! あのクソみてぇな教本の中身をそんだけ覚えてたらオッケーじゃんね!」
「ありがとうございます、クロイさん」
すると、クロイは私の頭から手を離し、腕を組んだ。気難しい表情をしている。
「あー、それと前も言ったかもだけどタメ口でいいよ。同僚同士で敬語って変じゃん?」
そうなのだろうか。これまで年功序列社会のひとつでもある『高校』に在籍していた私からすれば、むしろタメ口で話す方が難しい。
「分かっ…りました。あれ…?でもトキワさんは敬語ですよね?」
「そーか? アイツ頭の血管切れるとすぐ口が悪くなるぜ? 」
──確かに、思い当たる節はあった。隊に関する、ほとんどの事務整理を一人で担うトキワ・リリコという普段は温厚な女性。まだ付き合って日は浅いが、深夜近くまで事務所のPCに齧りついている様子を、私は何度か見ていた。
カチカチと鳴りやまないキーボードの打鍵、鳴りやんだと思ったら間髪入れずにエナジードリンクを喉に流し込んでいた。
……くそが……不要な書類ばっかり増やしやがって……
……『大樹』め……お役所は楽でいいなあ……
呪文のように毒を吐き出し、鬼気迫る勢いでPCをにらむ彼女は、もはや物の怪の類のように見えた。
その姿を思い出した私は、やや言葉に詰まりながら返答する。
「そう……かもね」
「そ!う!な!の! そりゃあもう、『バイハ3』のネメシスだって逃げ出すぜ、ありゃあ」
食いつくように顔を近づけるクロイ。紫がかった黒い瞳が私の眼前に、ぐいっと迫る。
クロイの真剣な表情がどこかおかしくって、耐えきれず吹き出してしまった。
気がついたら、クロイも白い歯をにかっと見せながら快活に笑っていた。カプセルで埋め尽くされた車内に2人の笑い声。
ひとしきり笑った後に呼吸を整える。
「それ……面白いよ。クロイ」
まだ収まりきらない衝動を抑えつつ、クロイに話しかける。
「いーじゃん!いーじゃん!だんだんカミキも染まってきたねー! んじゃあ次は奥のサンプル見てみっか。 もっと状態がいいやつが転がって……」
クロイは私に背を向け、社内の奥へと進む。腰部に取り付けられているククリナイフが妙に物々しい背中を見送る。
はい。と合意の言葉を言いかけた瞬間だった。背筋が硬直する感覚。
私は、この感覚を知っている。圧倒的な力を持つモノに狙われているこの感覚。瞬時に全身の毛が逆立ち、心拍数が瞬時に引き上げられる。
背後に何かがいる。
それを理解した刹那、クロイがこちらに振り返る。
快活な笑顔が似合っていたその顔が瞬く間に青ざめる。
「…っ! 逃げろ!」
クロイの声がした。反射的にトレーラーの搬入口を振り返る。
そこには、ただ黒い穴が眼前に広がっていた。その黒を、牙のない顎が縁取っている。
これはなにか、それを思考する直前に、その黒は私の体を覆い尽くした。
視界を奪われる。足が地面から離れ、宙ぶらりんになっていることが解る。腹部に強い圧迫感。肋骨がキシキシと悲鳴をあげる。
──喰われた。
とっさに抵抗する。全身を覆う肉壁を両腕で掻きむしり、脚を力の限り振り下ろした。
しかし、粘性のある液体で覆われた肉壁は掴むことすらままならず、両足は空を切るだけだった。
黒が、黒が私を覆い尽くした。
粘ついた液体が全身にまとわりつく。頭に血が昇る感覚。
黒が、黒が迫ってくる。
ずるりと、暗い井戸に落ちる。ごぷんと、重量感のある液体に落ちる音。そして、私は理解した。
ああ、死ぬんだ。私。
――― 3/24 15:03 『DOXY』車内
「アント3! 無線は聞こえるな!? 今すぐ12番ワイヤー持ってこい!」
「了解!」
「キー! アント2を回収しろ! 急げ!」
「ラジャー!」
無線機から手を離す青髪の男。M4のマガジンを差し込み、『DOXY』を盾にするように銃撃を続けるコウだった。
その足元には、既に使い切ったマガジンが二つ。
河原に木霊する悲鳴、怒号。ほんの二、三分の間に状況は一変した。白い隊服の正規隊員達が、引き金を目一杯に引きながら突撃する。
1cmにも満たない銃弾が白い軌跡を描きながらバルーンの体躯に弾痕を穿つ。
大蛇はその攻撃をものともせず、タールから伸びた巨大な尾で薙ぎ払う。まるで、まとわりつく虫を祓うかのように。
べこんと巨大な音、紙切れのように吹き飛ばされた正規隊員の身体が、『DOXY』のボンネットに降りかかってきた。舞い上がる砂塵が、コウのゴーグルを叩く。
ごろりと地面にうつ伏せ、一度呻き声を上げたのち、動かなくなった。
コウは、すぐさま車から身を乗り出し正規隊員の前に降り立つ。かなりガタイの良い男の隊員だった。そして、コウは肩に相手の腕を通し、立ち上がった。
「おい! しっかり……しろ‼︎」
引きずるように運び出し、車の裏にたどり着く。タイヤにもたれかかるように正規隊員を降ろす。すると、意識を取り戻したのか、その隊員は咳き込みながら口を開いた。
「ゲホッ……すまねえな、アニキ」
「気にすんな、それとアニキじゃない」
コウは、隊員の全身を一瞥し、相手の腹部に手を当てた。小さく唸り、顔を歪ませる正規隊員。
「……肋骨がやられてるな……後で『メディック隊』が来る。それまでここで待機だ」
こくりと頷く隊員。その痛みを百も承知で、コウは問いかける。
「ここの現場指揮官は? 無線でもそれらしいヒトの声は聞こえなかったが……」
「最後に見たのは……バルーンの体に押しつぶされたところだよ……痛っ」
──どうりで現場が荒れてるわけだ、統制が取れていない。
コウは思考を巡らせる。ただでさえ手数が足りていないにも関わらず、指揮官クラスが不在。市街地へのバルーン侵入という最悪のシナリオが、コウの脳内をよぎる。
「おい傭兵さんよ、気付いてんだろ」
痛みに顔を歪ませる正規隊員が、肩を震わせながら口を開く。
「あの女の子はもう戻らんよ」
コウの思考が硬直した。男はまた口を開く。
「あの子、
口を閉ざし、ただ男を凝視するコウ。青い双眸に正規隊員が映る。
「もう指揮官クラスの連中はペシャンコだ もう諦めて国防省に移行手続きを……」
刹那、コウは男の胸ぐらを掴み、顔面をぐいっと近づける。その身体ごと、勢いよく持ち上げられた正規隊員と、コウのゴーグルがぶつかる。
擦れるゴーグルが、がちがちと音を立てる。
「黙れ、二言は言わん」
数刻の沈黙が、二人の間に流れる。コウの荒い息が、男のゴーグルを曇らせる。正規隊員はただ、コウのナイフのように鋭い瞳に畏怖に近い感情を抱いていた。
目を瞑り、一つ大きな溜息を吐き出すコウ。そして、ゆっくりと正規隊員を降ろした。するとコウは、青い頭髪をがしがしと掻き毟り、また溜め息を吐く。
「なりふり構ってらんねえな、久々に使うか」
青髪の男は意を結したかのように立ち上がり、無線を開いた。
「トキワ! バウム共通無線につないでくれ!」
「了解! バウム共通無線入ります! どうぞ!」
無線機から一瞬ノイズが走る。起動音声を確認したのち、再度無線を開いた。
「周囲のバウム正規隊員に通達! こちらは独立派遣部隊バレットアント隊長、仙崎だ! 白桃十字勲章の特権を行使し、この無線以降の現場責任者として部隊を指揮する! 繰り返すっ……」
同じ内容が繰り返される。DOXYに程近い正規隊員達のざわめきがコウの耳に入る。
──白桃十字?
──まさかバレットアントって……
──教本でしか聞いたことないぞ……
──てことはさっき見た青い短髪は……
「白桃十字……おい……アンタまさか……」
正規隊員が驚嘆の声を漏らす。周囲から向けられる畏怖の感情を横目に、コウは無線を続ける。
「対象の大型バルーンをタンク級B型恒常種と仮定! 動ける部隊は再編が完了次第迎撃を開始せよ!」
がばっと運転席のドアが開く。そこからトキワが額に汗を滴らせながら身を乗り出した。
「隊長?! 支局の確認もなしに権限行使ですか!? 越権行為ですよこれ?!」
動揺するトキワの感情を表すかのように、お団子ヘアーがゆらゆらと揺れる。
その様子を傍目に、コウは多弾倉マガジンのゼンマイを巻き上げる。
「確認する暇も惜しい。書類仕事は俺が請け負う」
「うう…一応私から連絡は通しておきますからね!」
その一言だけを残し、トキワは運転席のドアをバタンと閉めた。入れ替わるように、無線機からシロミネの声。
『こちらアント2! ワイヤー準備できました!』
「アント1了解!」
素早く腰のポーチからタブレットを取り出す。二つ折りの本体を広げ、それぞれの部隊の位置を把握する。
すぐさま無線を開き、シロミネに指示を下す。
「アント1からアント2! 241正規部隊とポイントB23で合流! ワイヤーで奴を拘束せよ!」
『アント2了解!』
無線と入れ替わるようにコウを呼ぶ声、キーの声だった。
「コウ! クロイが起きないよー!」
キーは汗ひとつかくことなく、クロイを背負い駆け寄る。女性とはいえ、重装備のヒトひとりを抱えて走れるとは流石アンドロイド。
その関心をひとまず頭の隅に押し込み、クロイの状態を確認する。
「息はある。中で寝かせとけ、メデック隊には連絡済みだ」
「ラジャ!」
DOXYのリアゲートを開き、クロイを横に寝かせる。その直後、運転席からトキワが振り返る。
「コールタールに水泡確認! ヒトガタ……来ます!」
クロイをキーに任せ、車外に踊りでるコウ。 白い大蛇から影のように伸びるコールタールの水面がゴボゴボと音を立てる。
それを喜ぶかのように、耳障りな奇声をあげる大蛇。一度震えたコールタールの水面から、人の腕によく似た何かが湧き上がる。何十もの腕が次々と、空を求めるかのように突き上がった。
腕はゆっくりと降ろされ、緑がかった人型のバルーンが全身を露わにする。
陽の光を受けて透き通る浅葱色と、三つの複眼、ぽっかりと空いた顎。だらりと伸びた腕から黒いコールタールが糸を引いていた。
一部始終を全て見ていたコウとトキワ。トキワは額から汗を流し、コウはぎりりと歯を軋ませる。
「湧いてきやがったか…… キー! リベレを全機投入! リトマスも出せ!」
コウは命令を投げつつ、後部車両のコンテナの蓋を開ける。中から新しいマガジンを二つ取り出し、ホルスターに差し込んだ。
「リベレはヒトガタ優先で随時討伐開始! ヒトに当てるなよ!」
その横でキーはもう一つのコンテナから30cm程度のドローンを四機取り出す。トンボによく似た黄緑色のカメラレンズがきらりと光る。
「ラジャー! 配置完了次第、リベレ各機スタンバイシークエンスに入ります!」
「頼むぞ……あの量のバルーンを捌くには手数が足りない。 お前のドローンが頼りだ」
「けど全部潰しちゃってもいいんでしょ?」
この状況下で不敵な笑みを浮かべるアンドロイド。その手に持つドローンのレンズが、彼女の黄色の瞳と連動する様に点滅する。
「……もちろんだ、片っ端から吊るしてやんな!」
「ラジャー!」
ドローンが入った1mほどのコンテナを抱えて車内を飛び出すキー。
その後を追うように、コウも車内を後にする。
「ああ、それと隊長」
前線に復帰しようとするコウの背中に、コンテナを抱えたアンドロイドが語りかける。
「トオルコちゃんを、頼みました。 皆が言えないようなので、ワタシから言わせていただきます」
青い瞳を輝かせ、静かに語りかけるキー。心なしか、コウにはその瞳はどこか寂しげに移ろいでいるように見えた。
黙り込むコウ。数刻ののち、キーの頭を撫でる。
「任せろ、お前との約束を忘れちゃいないよ」
その拳で自らの胸を叩き、溌剌な笑顔を作るコウ。それを見たキーは、ふふっと笑みをこぼし、立ち去っていった。
アンドロイドの背中を見届けたコウ。袖を捲り、腕時計を見る。トオルコがバルーンの飲み込まれてからの時間から、生存可能であろう時間を逆算する。
──タイムリミットは……あと5分か。
袖を正し、再びエアガンを携える。引き抜いたチャージングハンドルが金属音を奏でる。
そして、青髪の男は戦場に駆け出す。砂塵が舞い、砂利が河原に波紋を刻む戦場に。
──少女は生きているという、希望と語るにはあまりに不出来な期待を胸に。
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