MISSION 20「三角洲の怒号」

―――― 3/24 14:51 東京都 国道23号線 『DOXY』車内――――



 「無線の確認」

 「聞こえます」


 「セレクター」

 「セーフティに」


 「マガジン」

 「すべて多弾倉で……ゼンマイは巻ききってます」


 「万事よし……三分後に現場到着じゃん。気を引き締めてかかること」



 車窓から漏れる陽光が、車内に彩を与える。しかし、基本的に黒系統の服が多いせいか、車内は暗く重い雰囲気が漂っていた。


 そんな中、トオルコとクロイは最後の調整を行っていた。



 「これで一通り済んだじゃんね……。あとは俺から離れすぎんなよ?」


 「はい、わかり……了解。クロイ」


 「おいおい、そんなに心配してやんなよクロイ。緊張するだけだぜ?」



 ブーツの靴紐を固く結びながら、二人に話しかけるコウ。



 「これくらいが丁度いいんじゃん。コウは自由にしすぎ!」


 「まあ、俺も基本的に放任主義だからなあ……」



 車内に詰め込まれた装備が、ガタガタと音をたてる。不愉快なノイズがトオルコの耳を逆撫でした。



 「まあ大丈夫だよ~。いざとなったらすぐに後退させるからね、カッキ~」


 「それでも乱戦になったらやべえじゃんか‼ ホントに楽天家なんだから!」



 ふんわりとしたシロミネのフォローに噛みつくクロイ。柔らかい表情のシロミネと対照的なクロイの怒り顔も、入隊してからの二週間で見慣れてしまった。



 二人のやり取りをぼんやりと眺めていると、運転席から大声が上がった。



 「見えてきました! あれが現場です‼」


 「キャッホー‼ 祭りだ祭りだー‼」


 「コラ! 遊びじゃないんだからね!」




 覗き窓から、トキワの横顔とキーの降り上げた両腕が見えた。すると、トオルコの背後から飛び出し車窓を開けるコウ。彼がもつ藍色の髪を強風が乱暴に撫でつける。



 車内の収納棚から双眼鏡を取り出すと、上半身を窓から乗り出し、鋭い眼差しを川の上流域に向ける。



 「30……程度か。先行部隊がかなり仕事してくれたみたいだな」



 双眼鏡のレンズは、河岸を穿つように生まれた黒い水面に向けられていた。



 「なんだー、意外と大したことないかもねー。キーちょっと気が抜けちゃった」



 「油断は禁物だが……これなら着いた頃には殆ど掃除が終わってるかもな」




 拍子抜けしたといわんばかりに、静かに腕を下ろすキー。コウは双眼鏡から眼を離し、収納棚を開けると静かに双眼鏡をしまい込んだ。




 「なんだあ? もう掃除終わってるみたいじゃん」




 開けたままの車窓から、ひょいと頭を出して川を見渡すクロイ。




 「久々の出動と思ったらなぁ。収入ゼロじゃん」


 「まあまあ、私たちの出番がないのは悪いことじゃないですよ? 黒さん」




 運転席でハンドルを握るトキワが、クロイをなだめる様に話す。




 「どうしますか隊長? このまま引き返しますか?」



 首を傾け、コウに向けて指示を乞うトキワ。



 「いや、行きがけの駄賃だ。一応、現場だけ確認しておこう。」


 「了解です、このまま現地に向かいます」



 トキワはそう答えると、僅かにアクセルを踏み込み、川沿いに車両を走らせた。






―――― 3/24 14:58 東京都 国道23号線 浅沼橋高架下――――




 「ふむ……、やはり数はそれなりに多かったみたいだな」


 「結晶化して原形をとどめてているのは10体前後……既に回収済みのものが20体ほど……かなりの規模でしたね」



 立ち入り禁止を示す黄色のビニールテープと三角コーンで区切られた河岸に点在する緑白色の結晶が、水面の煌めきを不気味に反射していた。


 春の陽気をのせた風も、川沿いでは冷たい冷気をまとって首筋を撫でる。




 「初動が早かったことが幸いしたな。緊急出動と聞いて駆け付けたわけだが……若干の拍子抜けはいがめないか……」




 コウは、眼前に広がる結晶と化した怪物の骸を眺め、小さく愚痴をこぼす。その横に立つトキワがタブレットをなぞる指を止め、口を開く。



 「まあ……今回は特にカミちゃんの初出動でしたからね……」



 翡翠の瞳を湖畔に移し、コウの発言を肯定するように呟くトキワ。朱鷺色の眼鏡が、僅かに傾き始めた陽光で淡く光る。



 その視界の先で、黒いタールを取り囲むように黄土色の防護服を身にまとった清掃班の人々が、淡々と作業を続けていた。



 その作業の中心、河岸に穿たれた直径5mほどの黒い水面が、川のさざめきと同調するように静かに揺れていた。



 「まあ……死者が出なかったわけだし、万々歳だな」


 「そうですね。第一発見者も軽傷で済んだようですし。万一の場合に備えて、先ほど最寄りの病院に移送されたそうです」


 「首尾は上々……といったところだな」



 コウは湖畔と、タールから目を離し、川土手に止められた数台の車両に目を向けた。白い塗装とドアに描かれたBAUMのシンボルが特徴的なジープが4、5台。



 その周りで、白い隊服の人々がごそごそと装備を片付けていた。よほどの激戦であったのであろう、疲れ切った表情でエアガンを丁寧にしまい込んでいる。



 「……ここまでやっても、一部の人間からは『戦争屋』と罵られるのか……政府もタテハ政権以降、バルーンがらみの事柄には及び腰のまま。クレナイの姉御が根回しはしてくれているが……寒い時代だよ」



 川の冷気を帯びた風が、二人を乱暴に撫でつける。コウのミリタリージャケットが、ふわりと浮き上がり、内側に着こんだ防護ベストを露にさせた。


 トキワは車両のある方に体を向けると、静かに口を開いた。




 「確かに……藤柴たては元総理は、バウム介入によるバルーン対策に積極的でした。その過程があったからこそ、銃刀法による銃規制が厳しい日本でも、私たちは活動ができています。しかし……」


 「その先はいま語るべきではないな」



 コウがトキワの言葉を遮る。反射的にコウの顔を見るトキワ。



 「現状を憂いたとて、飯の種にもならん。ならば、今ある事物を最大限に活用する。それだけだ」



 コウの眼が、僅かに鋭くなっていることを感じたトキワ。数秒の間が開いたのち、はっとしたように顔を緩め、コウが口を開いた。



 「んあ……わりぃ。らしくなかったな」




 ポリポリと髪を掻くコウ。その様子を見ていたトキワは、ぷっと吹き出し小さく笑みをこぼした。一笑の後、大きく息を吸ったトキワが喋り始めた。



 「そうでしたね、私たちもネガティブになってはいけないですから。カミちゃんの手本になるように、私も頑張らないと!」



 よし、と決意したように両手を握りしめるトキワ。その様子をみて微笑むコウ。するとコウは、思い出したかのように小さく声を漏らした。



 「そういや……いまカミキたちは何してるんだ?」


 「ああ……キーちゃんは渋々と『戦闘ドローン・リベレ』の片づけ中で、シロさんは報告書を作成中……クロさんは……カミちゃんと勉強のため、回収作業に従事すると言ってました」


 「そっか……了解した、俺はカミキの様子を見てくる。トキワは、シロミネとキーの手伝いをやってくれ。とっとと帰って飯にしよう」


 「おや……夕食はもちろん……?」



 期待するかのように上目遣いになるトキワ。にやりと笑うと、コウは満を持して言葉を放つ。



 「パインサラダだあ! ……て、いつのネタだよ全く……」



 やれやれと肩を落とすコウ。しかし、その顔には微笑を浮かべていた。その様子を見て、クスクスと笑い続けるトキワ。


 その刹那、二人の耳を悲鳴が駆け抜けた。その悲鳴は、ふたりにとって聞きなれた人物から発せられたものだと、直感した。



 ―――悪寒が走る。




 コウはすぐさま、ある方向に体を向けた。タールの方角だ。数歩駆け出し、コウは黒い水面を凝視した。


 否、黒い水面から空に向かって伸びた巨体に目を向けていた。コウは、空を辿るようにゆっくりと視線を上げていく。



 ヒトの体長では到底届かないところに、それはあった。



 その巨体は、鎌首をもたげるようにゆっくりと、頭部と思わしきものをだらりと俯かせた。

 半透明な巨体を照らす夕日。その光は、飲み込んだ獲物のシルエットを鮮明に映し出す。




 乳白色の皮膚、鮮やかな色彩を放つ緑の内臓、蛇に似た頭部。




 半月をかたどる様に裂けた口腔から、だらりと人の腕が垂れた。






 「まさか……やめて……やめてよ……」


 「嘘……だろ……」





 二人は戦慄した。


 牙のない口腔から出でた女性的な細い腕の先、その肩には真新しい新品の若葉マーク。怪物が咥えたそれは、間違いなくトオルコ本人だった。 




 怪物の喉の奥で、銀色の髪飾りが煌めく。必死に抵抗する腕をもろともせず、蛇に似た怪物は喉の組織を器用に前後させ、味わうようにトオルコを飲み込んだ。


 


 耳障りな奇声を上げ、人類を見下ろす乳白色の大蛇。




―――男の叫び声は、怪物の残響がかき消した。

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