MISSION 17 「灰は藍を、藍は月を」

3/10 23:21  『Y.A.P.C BALLET ANT』事務所 3F




 一通り荷解きを終え、ベットの設置が終わった。




 部屋は意外と広く、収納棚も大きかったため暮らしには事足りるだろう。乱雑に積まれた段ボールの山が視界の端に移る。




 風呂は済ませ、歯磨きも済ませたのだが、どうも寝付けない。高校のジャージをパジャマとし、布団に入ったのはいいが、雑念が迫るように沸き上がる。




 その雑念がとりとめもなく、答えの出ない類のものと割り切れる。しかし、トオルコの睡眠を妨害するには十分足るものだった。




 寝返りを打ち、ベットの横のサイドテーブルを見る。そこにはアパートから持ってきたデジタル時計とスマホ。




 そして、カーテンから漏れた月明かりを受けて淡い光を放つ、銀の髪留め‥‥『銀鍵』があった。銀鍵は持ち手にあたる四角形の頂点を煌めかせ、トオルコの瞳を優しく照らす。まるで、鍵も私を見ているかのように。




 ぼんやりとそんなことを考えながら、トオルコは昨今の出来事を振り返る。




 今日も今日とて、長い一日だった。何となく、カーテンレールにかけた制服を見る。あちこちがほつれ、小さく引き裂かれたYシャツ。ところどころに、うっすらと血が滲んでいた。




 つい昨日まで、宮城の高校で卒業式だったなんて信じられない。ましてや、バルーンに襲われた記憶なんて遠い過去の出来事にすら感じる。




 「まあ、切り替えが早いってことなんだろうけど……」




 ぼんやりとした思考が口から出る。切り替えが早いのか、おめでたい頭のつくりというか。靄がかかったような邪念に、やだやだと呟くと布団を被り、固く目をつむった。








 ……5分後






 「寝れない」




 どうしようもない現状を憂いて、口に出す。




 時刻は間もなく、日付が変わる頃合いだ。別に寝れないからどうってことはないが。初日から朝寝坊は良くないだろう。さっきトキワさんに言われた、朝食が出る8時には起きれるようにしたい。




 それゆえに、早めの就寝をと布団に入ったのはいいが、こうも寝付けないのは考え物だ。




 ふと、視線を窓に移す。カーテンの隙間から、丸い月が見えた。トオルコは思い立ったように、布団から出た。


 机の椅子に立てかけていたダッフルコートに身を包み、下駄箱でスニーカーに履き替える。つま先をトントンと叩き、ドアノブを握った。




 周りを起こさないように、静かにドアを開ける。人一人分の隙間を開けたドアから、滑るように廊下に出る。廊下は暗く、コンクリートの冷たさが身に染みる。足元を照らす、白い補助灯が点々としていたため、階段までの道のりを迷うことはなかった。




 忍び足で、トオルコは階段をのぼる。足を運びながら、トオルコは食事中の話を反芻させた。




―――ここの屋上は基本自由に使っていいよ。昼の陽気にうたた寝しても良し、エアガンの外装を塗装しても良し、読書してもいいかもね。戻るときだけ、鍵を閉めてくれれば何をしても大丈夫。




 焼きそばを食べながら、隣で話してくれたシロミネの言葉を思い出す。近くで見ても美形で、鉄のような瞳が印象的だったと、トオルコは思い出す。




 トオルコは階段の頂上にたどり着き、踊り場の先にあるドアに手をかけた。ドアの鍵に手をかけた時、違和感を感じた。




 「鍵が開いてる」




 誰か閉め忘れたのだろうか。ツマミが縦に開けられていた。いや、一般家屋ではこれが開いている状態のものだとしても、この鍵だけは違うかもしれない。




 そういった根拠のない理論は、ドアノブを捻ると同時に開放されたドアによって瓦解した。




 開いちゃった。何とも言えないもどかしさを抱えて、トオルコはアイボリーのタイルが敷き詰められた屋上に足を踏み入れた。


 少し寒い、夜風にあたりたいからここまで来たとはいえ、やや寒さが身に染みる。トオルコはダッフルコートのボタンを閉じる。鳥肌の立つ二の腕をさすり、タイルに沿うように歩き出した。






 そしてトオルコは気づいた。奥の手すりに誰かが立っていることに。軽く心臓が跳ねたが、たぶんお化けの類じゃないと、不思議な確信をもってトオルコは歩き出す。




 シルエットの大きさは男、ややガタイの良い腕と、その腕の先にある手には橙色の光。頭髪は短く刈り上げられていた。月明かりに照らされたその髪は、夜に溶けだしそうなほどに暗い、鉄紺色の髪だった。


 もはや見慣れた黒いミリタリージャケットを羽織り、煙草を嗜む男が一人。




 「ん……カミキか? 寝れなかったのか?」




 何食わぬ顔で、煙草を咥え振り返るコウ。夜空と同じ色の瞳が私を捉えた。コウは手すりによりかかるように佇み、煙草の灰を脇にある灰皿に落とした。




 「う……はい、ちょっと慣れなくて……」




 「まあ、昨日の今日じゃあ無理ない……か」




 小さく答えたコウの声が、夜の闇に消える。開いた口に煙草を滑り込ませ、煙を吐き出す。




 「風上はこっちだ」




 煙の流れる方向を確かめ、右手に持った煙草で隣を指さした。コウから見ての右側面だった。言われるままに、隣に立つトオルコ。それを見納めたコウは、改めて肺を煙で満たす。




 深夜に差し掛かった屋上は、思いのほか様々な音で溢れていた。たばこ葉が焼ける音と、どこかで遠くで鳴り響くサイレン。裏山の木々のざわめきには心を洗われるようで心地よい。




 自然と文明の音が、静かに反響する屋上。それにもどかしさを感じたトオルコは、重い口を開いた。




 「たばこ……吸うんですね」




 「意外か?」




 「まあ……それなりには」




 煙草を嗜んでいるせいだろうか。年も変わらないはずなのに、10年以上は長生きしているような不思議な雰囲気を醸し出している。




 「煙草は嫌いか?」




 コウは唇から煙を漏らしながら、トオルコに問いかける。




 「好きではないですが……ポイ捨てするヒトは嫌いです」




 「そうさなあ、あれは……よくないよな」




 ぼんやりと同意するコウ。遠くを見るように目を細め、ただ前を見つめている。




 数秒の沈黙ののち、トオルコは口を開いた。




 「シェアハウスだったなんて、聞いてませんでした」




 コウと同じように目を細め、手すりに頬杖をして投げやりに質問をぶつけた。




 「ん……そういえばそうかもな」




 ますます目を細め、ぼんやりと答えるコウ。その様子を傍目に見ていたトオルコは、大きくため息をついた。


 わずかに息が白み、東京の空に消えていく。




 「ここ二日間で気づいたんですが……説明が少なすぎますよ……ホントに」




 「はは、よく言われるかもな」




 にやりと唇を歪ませるコウ。そんな彼を見て、また溜め息をつくトオルコ。わずかに変わった風向きが煙の流れる方向を歪めた。流れる煙がトオルコの顔に当たった。




 「……いつから煙草吸ってるんですか?」




 ふと疑問に思ったトオルコが正直に問いかける。




 「最初に吸ったのは、キーを拾った時だから5年前かな。雨の日だったよ」




 過去の記憶を思い出すように、コウは煙草のフィルターを眺めた。




 「へえ……え?」




 妙な突っかかりを覚えて、まさかの疑問を投げつける。




 「コウさん……今いくつでしたっけ」




 「……戸籍上は……20だね」




 「はあ⁉ 未成年から吸っていたってことですか⁈ いくらなんでもそれは……!」




 柄にもなく、大声を出すトオルコ。




 「う……うるさいっ! 俺はいいんだよ俺は‼」




 「なんでそうなるんですか⁉ まったくもう……」




 トキワさんが普段から頭を抱えている理由がなんとなくわかった気がする。三度目の溜め息をもって、この話題を終了させた。




 沈黙が二人の間を流れる。コウはゆっくり煙を吸い、トオルコは虚ろ気に遠くを見つめた。視界の果てに、航空障害灯の赤い光が点滅していた。




 「……これから、不安か?」




 「それはもう……不安です。私はそんなに……強い人間ではありませんし……」




 トオルコは消え入るような声で、力なく弱音を吐いた。確かに、いくらか齟齬があったとはいえここに立つ現状は自分で選択し、決意した上だった。


 それでも、考えずにはいられなかった。本当に自分の力を生かせるのかを。期待に応えうること実力を身につけることができるのかを。




 本当に、あの『選択』は間違っていなかったのを。




 「最初から強い人間なんていないさ……」




 俯くトオルコを傍目に、コウは唇から吸殻を離し、ぽとんと灰皿に落とした。




 「お前ならきっと強くなれる……だから俺は、お前を入隊させたんだ」



 コウは相変わらず遠くを見たまま。それでも、確かな思いを持って言い切った。青髪の周囲を取り巻く煙が、夜風に白をまとわせながら消えていく。



 「……何を根拠に……?」



 自身の在り方に疑問を投げかけるトオルコ。灰色の瞳がコウの瞳を捉える。蒼い瞳は鋭く、夜の闇をにらむように見つめていた。




 「昨日の体育館……お前。自分が大変だってのに、男女二人組を助けただろ?」




 トオルコに聞きながら、コウは手すりに背を向け、寄りかかるように立った。




 「ええ……そうですね」


 「なぜ助けた?」


 「私が……『やりたい』と思ったからです」




 その回答を聞き届けたコウは、背中を手すりに預け、空を仰いだ。数瞬の沈黙、満月の光をまぶしそうに見つめながら、コウは口を開いた。




 「……窮地に陥った時、ヒトの対応は正直だ」


 「我先にと逃げ出すもの、誰かの手に縋ろうと藻掻くもの。もしくはヒトを踏み越えてまで逃げ出すようなヒトもいる」


 「……確かに……そうでした」




 トオルコは夜の闇を見つめ、数日前の情景を思い出す。


 焦げた木製のフローリング。倒れた業務用ストーブが紅白幕を焦がし、床に灯油の水面を生みだしていた。怪物に穢された、祝祭の場。逃げ惑う人々が、灯油の水面を踏みしめて、出口に殺到する。



 その様子を思い描きながら、トオルコは顔を小さく歪ませた。



 「お前は、その誰とも違うヒトだったからだ」



 コウは小さく煙を吐きながら、呟く。



 「それは……どんな……?」



 「助けをに、手を伸ばしたヒトだったからだ」



 「……え?」



 あっけにとられるトオルコ。どこか、ちぐはぐに感じる理屈に呆然とコウを見た。煙草を吸い終えたコウは、ジャケットのポケットを漁った。



 「館内の状況見聞で大体わかったよ。二人の状況はそれぞれバラバラだったが、共通していたのは、お前に助けを求めなかったことだった」




 コウは、ジャケットから煙草の箱と、ジッポライターを取り出した。箱から一本の煙草を取り出し、口にくわえた。トオルコはコウの言葉を聞きながら、ただその様子を見つめていた。




 「ヒトは『助けて』と言われたことに対しては、即座に行動に移せる者は多い……だが、助けを求めない相手を救おうとするヒトはそう多くない」




 くわえた煙草を上下に揺らし、器用に喋るコウ。




 「そりゃあそうさ。ただでさえ自分も大変で、生き残りたいってのに『助けて』を言わないヒトに、手を伸ばしてなんていられないのさ。」




 ジッポライターの蓋を開ける。澄んだ金属音が鳴り、コウは火打石をはじき、火を灯した。掌で小さく光る橙色の炎。そこに煙草を近づけ、数回ほどふかした後、煙を大きく吸い込んだ。




 吸った量に比例して吐き出される大量の煙。吐き出された煙はコウの周囲を漂い、ゆっくりと霧散しっていった。




 「俺たち……まあ人命救助にかかわる全般の職業に言えることだが。人命救助の本質は『助けてを言えない人々を救うこと』だからな。」




 トオルコとコウが目を合わせた。男は夜の闇を内包した蒼い瞳を、少女は曇り空を閉じ込めた灰の瞳を。二人はただ、お互いの瞳を見つめ続けていた。


 その眼は、体育館で見た時と同じだった。コウの心からの信頼を示しているように、月明かりが青い瞳を照らした。



 コウは煙草を口から離すと、優しく笑った。慈しむような思いを瞳に宿らせて。



 「だから俺は、お前を採用しようと決めたんだ。おまけに度胸もあるときた……まあそんなわけで、これはヘッドハントすべきだって確信したってわけ!」



 にやりと口を緩ませ、急にひょうきんな態度をとるコウ。それに驚いたトオルコは、僅かに肩を震わせた。




 「理由としては……少し不十分に感じます。」




 頬をむっと膨らませ、ささやかな反論をみせるトオルコ。




 「まあいいんじゃない? 残りの要素は、これからの成長に期待したってことにしとけ」




 やや強引に話題を終わらせるコウ。そして、煙草の灰を灰皿に落とし、また口にくわえる。



 「カミキ、ちょっと手を貸しな」


 「はい……?」




 頃合いを見計らっていたように左手を差し出すコウ。それに答えるかのように手を握るトオルコ。男の手は大きく、やや骨ばっていたが、温かい手だった。




 「‥‥‥うん、温かい。少しは眠くなったんじゃないか?」


 「あ……いわれてみれば……」




 眠気の存在を意識始めた途端、まぶたが僅かに重くなっていることに気がついた。今布団に入れば、気持ちよく寝れるだろう。




 コウは静かに手を下ろすと、




 「色々話して楽になったんだろう。体が冷えないうちにお戻り。俺はこれ吸い終わるまで少し残るよ」




 「はい……いろいろと、ありがとうございました」




 手すりから体を離し、頭を下げるトオルコ。その表情は、屋上に来た時のものより、清々しい顔になっていた。それを見て満足したコウは、




 「そ・れ・と、呼び捨てでいいよ。敬語も無理して使わなくていいしな」


 「分かりま……うん、それじゃあ。おやすみ、コウ」


 「おやすみ、カミキ」




 挨拶を言い直したトオルコを見て、頬を緩ませるコウ。挨拶を終えたトオルコは、階段に続くドアを開けた。踊り場に出ようとした時に、男のいる方に体を向けた。




 「最後に……二つだけ言わせて」 


 「ん……?」




 煙草を咥え、空を仰いでいた顔がこちらを向く。




 「人前でいきなり頭を撫でるのはちょっと……恥ずかしいからやめてくれると嬉しい……それと! 煙草は体に毒! 禁煙の努力はしてよね⁉」




 トオルコは頬が紅潮する感覚をよそに、畳みかけるように言葉を並べ、コウに投げつけた。それを見て、クスクスと笑うコウは煙草を持った右手を大きく振り、



 「善処しまーす」



 気が抜けるほどひょうひょうとした態度で答えた。トオルコは、やれやれと小さく笑いながらドアを閉め、自室へと向かった。



 コウはその小さな背中を、今は小さな背中を静かに見送った。






―――屋上に男が一人、取り残された。




 最後の一服を、肺全体にいきわたらせる様に吸い込み、男は夜空を仰いだ。東京の空は大気で汚れ、まともに見える星は数少ない。


 それでも、燦然と輝く一つの天体だけは綺麗に見えていた。


 そして男は小さく、誰にも聞かれないように小さく呟く。まるで、誰かに語りかけるように。



 「トオルコか……良い名前だよ。そう思わない? なあ……『――』」



 森のざわめきが男の声をかき消した。

 

 男の眼は空を見上げていた。夜の蒼さによく似た瞳は、地球という惑星を周回するただ一つの衛星、月を見ていた。


 

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