MISSION 7「トリガーに決意を」

 ――3/9 10:08 宮城県軸丸高校 体育館内倉庫―― 


 無線がぶつりと切れた。通信相手が入れ替わり、間髪入れずに怒声が飛び込んできた。


 【何考えているんですか隊長⁈ 要救助者を討伐に加担させるなんて‼】


 コウの耳元のスピーカーから怒声が聞こえる。コウはおもわず顔をしかめていた。トオルコとコウは体育館右横にある倉庫の中、一番隅にある跳び箱の横に隠れていた。

 鉄製の壁にもたれかかるように座る二人。いかんせん倉庫は雑多として、広くはないので肩が付くほど近い距離に二人はいた。


 ――というかこの人、さっきとんでもないことを言ったような……


 扉の向こうからは時折、金属が踏みしめられる甲高く不愉快な音や、木材が割れるような音が断続的に聞こえていた。

 それと同時に、変わらないリズムで床を歩む、なにか大きなものの足音。それはつい数分前、トオルコの頭を噛み砕こうとした灰色のトラが歩く音であることは考えるまでもなかった。


 【いくら隊長の権限でも、幹部に聞かれたら始末書じゃ済みませんよ?】


 「報告書には、あくまで俺が撃ったと書けばいい。どのみち奴を仕留めるには『グレポン』が必要だ」


 女性のため息が聞こえた。その様子から、いつも振り回し、振り回される間柄なのだということがわかった。女性の苦労がいたたまれる。


 「よし、ではアント1からバタフライ。10秒後に点呼を頼む。チャンネルは隊員間共有用の1番を使え」


 【バタフライ了解です。いつも強引なんですから……】


 呆れたと言いたげなその声と同時に、コウは首周りにまいたデバイスに手を当て、ダイヤルを回し、1のメモリに合わせた。


 【こちらバタフライ。アント1から3まで状況を報告せよ!】


 「アント1。スタンバイ」


 【アント2。スタンバイだよ~】

 【アント3。スタンバイ! ってか早くドローンだせよ! 弾が尽きちまうよ!】

 【こちらバタフライ、部隊内の無線確認完了。では隊長、作戦内容を】


 「よし、じゃあ作戦内容を通達する。アント2、3はそのままC型の殲滅を最優先。生憎ドローンは偵察型しか展開できない。支援部隊の到着まであと10分だ。何としても踏ん張れ。できるか?」 


 「とか言っちゃって、どうせやるしかないんでしょう? 隊長さん?」


 初めて聞く男性の声だ。物腰が低そうな穏やかな声。そして通信中の彼と入れ替わるように、別の女性が無線をとった。


 「いわれなくてもやってやるよ! 牛タンは肉増しにしてもらうからな!」


 「おお、さすがだな! あとは頼んだぞ。二人とも!」


 愚痴をいいながらも女性はやる気のようだ。口調が少し怖いけど。コウは二人の返答に満足したように頬を緩め、檄を飛ばした。


 「いよし、バタフライ。準備はいいな? ドローンの座標を提示するぞ。体育館の見取り図を開いてくれ」


 コウは、左腰のポーチに入れられた携帯デバイスを取り出す。光沢のないマットブラックを基調としており、文庫本ほどのサイズ。


 慣れた手つきでスライド式のスイッチを押し込み、デバイスを開くコウ。開いた感覚はノートパソコンのそれだが、キーボードが無い。折り畳み式の全画面タブレットだ。


 画面には体育館の見取り図が表示されている。黒の背景に白線で縁取られた見取り図は、ひどく無機質だった。


 「二階の階段を上がった先、ステージ側から見て右側、二番目の窓の直上に『ドローンT』を展開し、高架させてくれ」


 命令を下しながら、画面の見取り図に赤い線で丸を描く。


 「天気予報ではそれほど大きな風は吹かないとのことだったが、この季節だ。突風で煽られないよう注意してくれ。やれるな、キー?」


 にやりと笑うコウ。無線の先からこの状況に不釣り合いな明るい返答が聞こえる。


 【んー、ちょ~っとしんどそうだけどやってみるね!】


 「よしよし。今度また新しい義眼探しに行ってやるから待ってな」


 甘い言葉をマイクに垂れ流すコウ。無線の向こうからから小さく、キーの歓声が聞こえた。


 「では、作戦を開始する。トキワ、また状況が変化したら無線をくれ」


 【はいはい。私にも何かお願いしますね】

 「今度良い酒を買おう。晩酌が楽しみだな」

 【なら、絶対に帰ってきてください……ね】


 「『ゲッシュ』に誓ってな。アント1オーバー」


 無線はそれで終了した。タブレットをぱたりと閉じ、丁寧に腰のポーチに収納する。コウはトオルコの方に体を向ける。お互いに座りながら向かい合った状態だ。



 「よし……大体無線は聞いていたね」


 コウは、まっすぐに少女を見る。ゴーグルに覆われた青とも黒とも違う、深い紺色の瞳がトオルコを見つめている。

 

 トオルコは、それに気圧されるように、こくりと頷いた。しかし、不思議と悪い気はしなかった。たぶん、彼が私を信頼しきっているからなのだろうと、トオルコは無意識に自覚した。


 「君を狩猟行為にさせることになってしまったことを、まず詫びる。本当に済まない」


 紺色の視線が床に落ちる。コウは、ヘルメットで覆われた頭を小さく下げた。その時に見せた姿が、それまでに見せていたものより、少しだけ小さく見えた。


 数秒の沈黙。換気口から漏れた光が、埃の粒子をまだらに煌めかせる。時間がゆっくり流れる。そして、ヘルメットが持ち上がり蒼い瞳がトオルコを捉える。


 「それでも…力を貸してほしい。」


 小さく願いを伝える声。それでも、その声には力強い思いが込められていた。彼は、グローブで覆われた手を固く握り、トオルコの前に拳を突き出した。


 ――まっすぐに私を見つめる、濃紺の双眸。


 埃臭い倉庫に静寂が訪れる。相変わらず扉の向こうでは、金属がひしゃげる音や、木材が軋む音が聞こえている。怪物が獲物を探して虱つぶしをしているようだ。


 「もちろん君には拒否する権利がある。そうなったら支援部隊が来るまで、何としても君を保護して……」



 「わかりました。やります」コウはあっけにとられた表情でトオルコを見た。



 「どのみち…やらないといけないんですよね?あれを倒さないといけないんですよね?」


 「まあ確かにそうだが…本当にいいのか?」


 コウは初めて不安の表情を見せた。鋭い顔つきには似合わない弱弱しい姿勢と、歪めた目じり。トオルコ自身が、見ているこちらが逆に不安になると思わせるほどに。



 「ならやります。やらせてください……!」



 トオルコは、先ほどの無線を聞き終えたところで、既に心を決めていた。


 ――この人が私を必要としてくれている。


 この願いを聞き入れる理由は、そんなことで十分だった。



 トオルコはふと、自分の両の手のひらを見た。右手は、転んだ時にできた擦り傷と、倉庫に潜りこんだ時に付いた埃で、まだらに汚れていた。


 左手には、ついさっき渡されたハンドガンがある。手の中にある小さな金属と樹脂フレームの集合体。グロックと呼ばれた銃は私の手の内で黒く鈍い光沢を放っていた。この手でまだ誰かを助けられるのなら。


 ――私は進みたい。進まなきゃいけない。


 強迫観念にも似た助力への歪な覚悟。掌にある殺人の道具を模したそれが、歪な覚悟をより歪曲させ、歪な形のまま、より強固に硬化させる。


 「やりましょう、コウ。さん」


 まだ慣れない呼び捨てに、とって付けた『さん』付け。ぽつりと差し出されたままになっていた彼の拳に、トオルコの小さな拳を突き合わせた。


 拳を合わせて気がつく、自分の手の小ささに、彼の手の大きさに。


 この差が、トオルコの覚悟に極小の闇をさした。その闇を知覚したトオルコは、心の中で『それでも』と小さくつぶやいた。


 そう、『それでも』やると決めたから。これがきっと、『やりたいこと』なのだと言い聞かせるように、ハンドガンのグリップを強く握りしめた。

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