MISSION 5「跳躍する殺意と新緑の悪魔」

――― 3/9 09:57 体育館内通路前 ―――


 「くそっ……B型じゃなかったのか……? それでも説明がつかねえが……」


 苛立ちを声に乗せて小さくつぶやくコウ。顔の大半は装備で覆われていて、表情は読み取れない。でも、その表情は険しいものになっていることだろう。


 体育館は静まり返っている。無造作に散らかったパイプ椅子とトレニア。フロアシートの一部は破れ、床があらわになっている。


 稼働をやめた業務用ストーブのひとつには、先ほどたたきつけたバルーンの死骸が覆いかぶさるように倒れていた。だらりと垂れ下がった腕からは、ロウのようにどろりとした樹脂状の体液が滴っていた。


 壇上に立った獣は20mほど先で静かにたたずんでいる。黒い水面から体を出したものの、微動だにしなかった。


 「カミキさん……で良かったよね?」銃口を獣に向けたまま、コウは小声で話す。


 「はひ……」それにこたえる。恐怖でうまく言葉が出ない。


 三つの赤い眼光がこちらを捉えている。四足歩行の怪物、虎を彷彿とさせるフォルムの怪物は全身をグレーの皮膚で覆い、皮膚の奥にはどす黒い赤色の何かがゆらゆらとうごめいている。


 「たぶん次動いたら、奴はこちらに向かってくる。間違いない」


 ゴーグルの脇を沿うように流れる汗。目線と銃口を怪物に向けたまま、静かに話す。私の額にも汗。その汗はぬぐわれることなく、首筋を這い、ワイシャツの襟に吸われた。


 「俺の右太ももに銃がある。それをとってくれ。……できれば体と視線をやつに向けたまま」


 「え……あ……はい」


 意図が読み取れなかったが指示通りに動く。彼の太ももにゆっくりと、ゆっくりと手を伸ばす。指先に硬い何かが触れた。


 ざらりとしたグリップの感触。プラスチック製のホルスターに収められたハンドガンだ。手の触覚を頼りに、手のひらでグリップ全体を握った。


 「人差し指の先にボタンがあるはずだ。それを押すと引き抜ける」


 コウは微動だにせず、口頭で指示を述べる。言われるままに人差し指の先にあったボタンを押す。カチリと音が鳴り、銃がホルスターから引き抜かれた。


 外見のわりに重い。滑らかな表面のスライド。その上部には穴があけられており、銀色の内部パーツが見える。二つのトリガーを挟むように隆起した赤いトリガー。総じて、長方形の素材から削り出したような銃という印象を持った。


 「グロックだ。引き金を引けば弾が出る。カバーよろしくな」


 「はい……え?」


 怪物がいることを忘れて、間抜けに声を出してしまった。体育館にぽんと声が投げられる。


 その刹那、怪物は床を蹴り上げ、上体を翻した。


 ――迫りくる規則的に並んだ牙。


 ――怪物の牙が私の頭蓋骨を砕くまであと3秒……





――― 3/9 09:55 宮城県軸丸高校 校庭 ―――


 「シロミネ! マガジンよこせ‼」


 荒々しく命令するクロイ。左手を真横に突き出している。


 「はいはいっと! 多弾倉マガジンですよっと!」


 腰に備えられた灰色のマガジンを投げる。


 宙に浮かぶマガジンは放物線を描きながら、クロイの手に引き込まれる。マガジンリリースボタンを押しながら手首の回転を利用し、空になったマガジンを外す。挿入口から、ぱらぱらとBB弾が落ち、校庭の砂利と同化する。


 怪物を横目に、マガジンの差し込み方向を確認する。すぐさま新しいマガジンを差し込む。


 そして、校庭にはびこる怪物に銃口を向けた。


 「失せろ‼」怒声をかき消すように、バルーンの断末魔がこだました。


――オオオオオォ……


 なぎ倒される灰色の怪物。BB弾が命中したバルーンは次々と結晶化していく。しかし、それでもまだ終わらない。


 校庭の中央に生まれた黒い水面。直径3mのそれは、止まることなく怪物を吐き出し続ける。すでに水面から陸上に現れたバルーンは20体を超えた。


 波のように押し寄せるバルーン。半透明な皮膚の先に、みずみずしさすら感じさせるを宿した臓器がもやのように見え隠れしている。


 奮戦する二人の後ろで、保護者や生徒の避難が進められている。二人の耳には、生徒の悲鳴や保護者の狂人のような叫び声が聞こえることはなかった。


 「シロミネ‼ カバーして!」

 「了解っと!」


 首筋のチョーカーに手を当て、無線越しでオペレーターに質問を投げかける。シロミネは攻撃を中断したクロイに代わり、バルーンにBB弾を浴びせていた。


 「アント3からバタフライ! 馬鹿隊長から連絡はないの⁉」


 【こちらバタフライ! 隊長から連絡はありません! 目下、無線は飛ばしてるんですが……】


 トキワが答える。校舎を挟んで反対側にある駐車場に停車した戦闘車両『DOXY』からの無線だ。一瞬、ノイズが無線を閉ざし、通信相手が切り換えられた。


 【キーです! 仙台支局から入電! 現在こちらに三個小隊が応援に向かっています! 推定到着時刻は1020時! オーバー!】


 今度はキーの声。とぼけた口調が消え、オペレーター然とした話し方になっている。


 「……これは要するに時間稼ぎってことかな?」


 やれやれとシロミネが話す。話しながら、生徒の方角に向かっていた一体のバルーンの頭に照準を合わせる。


 引き金を引くと同時に、バルーンの頭に弾が命中した。怪物の頭部に穿たれた6㎜の銃創から結晶化が始まっている。


 クロイとシロミネは背中合わせに立った。背中のポーチやマガジンが擦れあい、がちがちと音を立てる。


 「シロミネ。弾足りる?」

 「多弾倉と120連が一個ずつかあ。セミオートオンリーで丁度くらいじゃない?」


 クロイは多弾倉マガジンのゼンマイをまく。シロミネはマガジンを差し替え、空になったマガジンを腰に備え付けられたダンプポーチに放り込んだ。


 次の瞬間、二人の前方で重い重低音が鳴り響いた。


 「体育館から⁈」クロイが叫ぶ。


 建物が揺れるような地響き、それは校庭にできた黒い水面の向こう、体育館から聞こえたものだった。


 クロイの背筋を伝う悪寒。すぐさま、無線チョーカーに手を伸ばす。


 「おいっ! 応答しろ隊長! 生きてんだろうなあ? 死んでたら殺してやる!」


 クロイが声の限り、首元のマイクに怒鳴り散らす。シロミネは背中を合わせたまま、灰色の怪物を薙ぎ払う。二人の背中を、汗がじっとりと濡らしていた。


 【……っはあっ……こちらアント1! 生きてんよ! そのどっちもデッドエンドな選択肢やめろ!】


 「うぇ⁉ 生きてんのかよ! 連絡くらいよこせ!」


 【わりいっ……クロイ……っふう……バタフライ。こちらの状況を報告する……チャンネルは2番だ。】


 コウからの無線。無線機越しにパラパラと音が聞こえる。やはり体育館内で何かあったのだろう。隊長の呼吸も少し上がっていた。

 その声にトキワが安どの声を漏らし、シロミネがやれやれと呟いた。

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