55.

ホテルのロビーで部屋のキーを預けて外にでることを伝えると、街の観光案内の載った地図と傘を二本貸してくれた。傘を差して通りに出ると、雨のせいか休日にもかかわらず歩いている人はまばらだった。


「雨がそう嫌いなわけじゃないんだけど、こういうときは邪魔だね」


 雨が邪魔だと言われ、紗江は自分のことのようにビクッとした。


「そう?」

「だって、さ」


 正樹は手に持った傘を見上げた。


「こいつのせいで紗江との距離がこんなに空いてる」


 そう言って悲しそうな顔をする正樹がおかしくて、紗江は笑った。


「紗江は笑うけどさ、もっと近くにいたいって思わない?」


 正樹が歩くのをやめたので、一歩遅れて紗江も立ち止まった。紗江のほうが少しだけ正樹の前にいたので、体を捻って正樹を見た。何故か先ほどまでとは違い、その表情は真剣だった。


「一緒にいたいって思わない?」


 正樹が半歩前に出て紗江の隣に並んだ。二つの傘が少しだけ重なった。


 もっと近くに。

 ずっと一緒に。

 正樹と出逢ったあの日から、その思いは押さえつけようとすればするほど紗江の中で膨らみ続けているのだ。今、この瞬間さえも。


「思ってる」

 ずっと。


 最後の言葉だけ飲み込んだ。それは、きっと、ありえない。


 紗江の言葉を聞くや否や、正樹は自分の傘を閉じ、紗江の傘の下にすばやく潜り込んだ。


「これで近くなった」


 そう言って笑うから、紗江もつられて笑った。


 今だけ。この瞬間だけ、私にください。


 誰にともなく願った。

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