51.

「ごめん!遅くなって」


 その電話がかかってきたのは、紗江が家に帰り着いた直後だった。


「店に行ったらいないから。もしかして、帰ってた?」

「ごめんなさい。帰ってから連絡しようと思ってて。ごめんなさい」

「いや、いいんだよ。かなり遅くなってたから。元々は連絡できなかった自分が悪いんだし。気にしないで」


 どうしてこの人はこんなにも優しいんだろう。

 泣きたくなるほど嬉しいのに、心に芽生えた黒い華の芽はその丈をさらに伸ばした。


「いいの。大丈夫だから」


 大丈夫?何が?


 自分で言ってて、その台詞に笑いがでそうだった。


「でも」

「本当に大丈夫。お仕事なんだから。そうでしょ?」

「いや、まあ、そうだけど」


 仕事だからしょうがない。何度も自分に言い聞かせた言葉だった。


「代わり、というか、週末逢ってくれる?」


 週末は全国的に晴れるという気象庁の予報が出ていた。

 もしも雨が降らないときに二人でいれたなら。そうすれば何かを信じられそうな気がした。


 しかし。

 その願いは至極あっさりと、残酷に切り捨てられた。


「ごめん。週末は、だめなんだ」

「ダメ…」

「あ、いや、他の日は大丈夫だから。それじゃ、ダメかな」


 週末はダメだと彼は言う。

(あ~、やっぱりね)

 黒い華から声がした。

(週末は忙しいじゃない、パパは、さ)

 華は静かに開きだす。

(気づいてたでしょ。声も聞こえたし。見たじゃない。車の中)

 それはとても艶めいていてこれみよがしに美しくて。

(信じてたの?自分だけだって?)

 どうしたって目が離せない。

(ばっかみたい。確かな約束なんて何一つないのに?)

 誘われて。

(だってそうでしょ?言われたことあるの?)

 囚われる。

(愛してるって)

 夢も見れない残酷な現実に。


「紗江?どした?」

「えっ?」

「月曜の7時はどうかなって。今度は大丈夫だから」

「月曜…」

「うん。逢えないかな?」

「そんなこと」

「逢って、くれる?」

「…はい」


 華からは雨の香りがした。

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