50.
店の時計はとうの昔に8時を過ぎ9時を指そうとしていた。正樹からの連絡はなかった。
店内にいる人間はスタッフも含めて紗江が店に入ったときとは全て入れ替わってしまっていた。店内にる誰一人として、紗江がいつからいるかなんて知らなかった。
あれから、連絡は一本もなかった。
忙しいのよ。彼は、いつも、そうだから…。
それでも、と自分の心の奥で声がする。電話の一本くらいできるのではないかと。もちろんそれは相手のことをどれだけ思っているのかにもよるのかもしれないのだが。
なら、電話の一本もないこの状況は?
紗江の黒い部分が蠢く。
忙しいのよ。時計なんか見る暇もないくらい。誰だってそういうこと、あるでしょ?
しかし、相反するように、心の奥の声がさらに声高にものを言う。
『決まってるじゃないの。遊びなのよ』
紗江は耳を塞いだ。でもどこから聞こえるのか、声は力を持って頭の中に反響する。正樹を待っている間にその声はさらに力を増していた。
違うわ。そんな人じゃないもの!
『彼のことをどれだけ知っているの』
知ってるわ!何度も逢ったわ。毎日逢っているもの!
『それが理由になるの』
今からだって逢うの!待っているのよ、私。
『でも、連絡もない。来ないじゃない』
抗う力もなくして、紗江は店を逃げるように飛び出した。
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