49.

紗江は駅前のファーストフード店で通りに注意を向けながら手にした携帯を弄んでいた。時計は7時を過ぎていた。

定時前に正樹からメールが入っていた。そのメールには8時になりそうだということが書かれてあった。まだ約束の時間ではなかった。


ガラス越しにぼんやり通りを眺めていると、突如、視界が遮られた。こちらを見ているその顔に見覚えがあった。


「青木、くん」


青木はガラスの向こう側で片手を上げ、人懐っこい笑顔を向けていた。


「よう、久しぶり、だな」

「うん、久しぶり」


青木は店内に入り、紗江の向かい側に腰掛けた。別れてから三年が経っていた。同じ会社だというのに顔を合わすことはほとんどなく、面と向かって会話するのも三年振りだった。


「こんなトコで何してんだ」


当然の疑問であった。会社からそう離れていない場所で、とうに仕事も終わっている時間にこんな所で一人ぼんやりとしているなんて、どう考えてもちょっとおかしい。しかし、本当のことも言えず、紗江は答えに窮した。


「いや、ゴメン!言わなくていい!聞いた俺が馬鹿だった、うん」


何をどう自分の中で結論づけたのか、青木は一人で納得してしまったようだった。その様子が以前とちっとも変わっていないことにおかしくなり、思わず吹き出してしまった。


「何だよ!笑うなよ」

「だって、ちっとも変わってないから」


二人は顔を見合わせて、今度は一緒に笑った。三年間のわだかまりなど、どこかへ吹き飛んでしまったようだった。

ひとしきり笑った後、青木は急に真顔になった。


「咲子経由で話は聞いてた。あの時はゴメン」


”あの時”とは、別れるに至ったあの事件のことを差していることは容易に分かった。


「もういいよ。過ぎたことだし、もう、気にしてないから」


紗江がそう言うと、青木はほっとしたようだった。


「お前さ、男、いるんだろ」


突然の話の展開に、紗江は手にしていたコーヒーのカップを落としそうになった。


「えっ、どうして」

「咲子から聞いた」


紗江は咲子の顔を思い浮かべた。何かを言ったわけでもないのに、彼女の頭の中では紗江が誰かと付き合っていることになっているらしい。いつかは話をするつもりではあったが、まだ何も言ってないうちから人に言うなんて、と咲子のことを恨めしく思った。


「さっきのお前の顔見て、気になってさ」

「えっ?」

「お前さ、また一人で何か抱え込んでるだろ」


三年ぶりに会った青木は驚く紗江の顔を見て「やっぱりな」と言った。


「お前はさ、心配かけないようにと思ってんのか何なのかわかんないけど、すぐそうやって自分の中に隠しちまうだろ。それはさ、相手の男にしてみれば淋しいもんなんだよ。俺じゃ何の力にもなれないのかってさ。そういうのはさ、言った方がいいぜ。まあ、あの時の俺じゃ、確かに言えなかったと思うけどよ」


三年経って初めて聞く、青木の本心だった。


「私…ごめん…」

「あーーー!いいって」


謝ろうとする紗江を青木は制した。


「弱み見せたくないってのはあの時の俺にもあったからさ、おあいこだよ。だけどユキと、あ、俺のヨメさんな、ユキと出会ってからさ、お互いの綺麗なトコも汚いトコも全部見せ合ってさ、それでも好きな気持ちって増えるばっかでさ。うまく言えねーけど、言った方がいいと思うぜ。俺は」

「幸せ、なんだね」

「いや、まぁ、うーん、そうだな」


そう言って照れたように笑う彼の顔は、紗江が一度も見たことのない男の顔だった。


「ありがと」

「ハハ、いーって」


青木が腕の時計を見た。


「そろそろ行くわ。話しできてよかった」

「うん。私も」

「じゃな」


昔のように片手を上げて青木は去っていった。戻っていく先は、あの頃の自分ではなく、彼が本当に愛する人の元へと。

紗江は、青木と出会えてよかったと思った。

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