46.
突如、耳に携帯電話の着信音が届いた。突然のことに紗江の体が小さく跳ねた。はっとして周りを見ると、そこは自分の部屋で、窓から差し込む光はとても弱く部屋の中を薄ぼんやりとしか照らさなかった。
私、いつの間にここに…?
記憶が曖昧だった。
紗江が状況把握に努めている間にも携帯電話は鳴り続け、薄暗い部屋の中で忙しく小さな青い光を明滅させていた。導かれるように手を伸ばすと、ディスプレイに『殿上正樹』と表示されていた。
再び紗江の体が跳ねた。
躊躇う紗江を無視するように着信音は鳴り続ける。電話が切れるように、切れないように願いながら、ゆっくりと受話ボタンを押した。
「もし、もし」
「あ、紗江?もしかして、今、忙しい?」
「いいえ」と答えながら電話が切れなかったことに安堵し、通話口から伝わる低く甘い声に体が震えた。
「ちょっと時間が空いたから電話したんだ。迷惑、だったかな」
「そんな、迷惑だなんて」
「なら、よかった」
二人の間に沈黙が流れる。その中で優しく微笑む正樹が見えたような気がした。
「最後に逢ってからもう三日になるんだっけ。なんか、早いな。いや、遅いのか?はは、何だかわかんなくなっちゃったよ」
「まだ、忙しい?」
「うーん、後二・三日ってとこかな。帰るときには連絡するよ」
「はい」
「紗江」
正樹の声が1トーン低くなった。
「はい?」
「俺に、逢いたい?」
突然の問いに紗江は戸惑った。電話の向こうにいる正樹は何も言わず返事を待っているようだった。
どうしてこんなことを聞くのだろう。あんなところを私に見せておいて…
それでも、紗江の答えは一つしかなかった。
「逢いたい。正樹に逢いたいの」
ほんの少しの間の後、正樹は「うん」と言った。
「そろそろ行かなきゃ」
「あっ」
「ん?」
正樹の優しく甘い声が次の台詞を促す。
”あの女性は誰ですか?”
紗江の目の前にあの光景が甦る。痛いくらいに、そして、色鮮やかに。
「何?」
はっとして顔を上げると、さらに闇が深くなっていた。
「いえ、あの、お仕事頑張って」
紗江が言えたのはそれだけだった。
「ありがとう。それじゃ、また連絡する」
紗江の返事を聞くとすぐに電話は切れた。耳には切断音だけが届いていた。紗江は徐々に深くなる闇の中で、たった一人取り残された。
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