32.
三十分ほど走って、車は小さな喫茶店の駐車場に停まった。
「外回りのときに見つけた店でね。オムライスがうまいんだ」
いつものように、正樹は扉を開いて紗江が店内に入るのを待ち、自分もその後に続いた。カランコロンとドアベルが鳴り、ついで「いらっしゃいませ」という声が聞こえてきた。店内には、家族連れやカップルなどが五組ほど座って食事を楽しんでいた。
「お好きな席へどうぞ」
アルバイトらしい若い女性がカウンターから出てきて店内を指した。奥のほうにいくつか無人の席があり、空いていた窓際の席へと正樹は紗江をエスコートした。二人が席に着いたのを見計らったかのように、先ほどのウエイトレスが水とお絞りを持ってきた。
「メニューはそちらにございますので、お決まりになりましたらお呼びください」
ウエイトレスが行ってしまうと、正樹はテーブルの上に合ったメニューを取り出し、紗江の方に向けて広げた。正樹が言っていたように、この店の看板メニューはオムライスなのだろう。メニューの2ページ分がオムライスで占められていた。周囲を見渡してみると、確かにオムライスを食べている人が多い。
「紗江は何にする?」
「せっかくなのでオムライスにしようと思うんですけど」
その種類の多さに即決というようにはいかなかった。
「ちなみに自分は前回デミグラスソース系を食べたけど、かなりおすすめだよ」
「そうなんですか」
メニューを見るとオムライスはソースの種類で分けられていて、でもグラスソースはその中でも一番初めにあった。そして、デミグラスソースのオムライスは十種類ほどもあった。
「私、この『きのこたっぷりデミグラスソースのオムライス』にします」
正樹お勧めのデミグラスソースであり価格も低めの設定で、何よりきのこ好きの紗江にはぴったりのメニューだった。
「そっか。じゃあ、自分は違うソースにするかな」
そう言って数秒メニューに目を走らせた正樹は、手を上げてウェイトレスを呼んだ。
「お決まりですか?」
「ええ。『きのこたっぷりデミグラスソースのオムライス』と『トマトで煮込んだハンバーグのオムライス』をお願いできますか」
「かしこまりました。『きのこたっぷりデミグラスソースのオムライス』と『トマトで煮込んだハンバーグのオムライス』ですね」
「ええ。それで、大盛りってできますか?」
「はい。プラス百円になりますが」
「じゃあ、ハンバーグのほうを大盛りで」
「かしこまりました。『きのこたっぷりデミグラスソースのオムライス』がお一つと、『トマトで煮込んだハンバーグのオムライス』の大盛りがお一つですね」
「はい」
「それでは少々お待ちください」
ウェイトレスが行ってしまうのを見届けてから、正樹は紗江に向き直った。
「紗江が作ってくれたおむすび、会社の人間にも食べられちゃってね。おかげでお腹がペコペコなんだ」
大盛りのオムライスを注文した理由を正樹は紗江に伝えた。
「もう少し余分に作っておけばよかったですね。『梅』以外で」
紗江が少し意地悪く言うと、正樹は慌てて弁解を始めた。
「違うんだよ。梅は食べれないわけじゃないんだ。紗江が作ってくれたものは一人で食べるつもりだったし、梅も食べたんだよ、ほんとに」
その様子に紗江は思わず吹き出してしまった。
紗江にからかわれたことに気づいた正樹は、「紗江は案外意地悪なんだな」とぼやいた。
そうしているうちに二人の前にはスープとサラダが並べられ、しばらくしてメインのオムライスが目の前に置かれた。
「おいしそう!」
思わずそう言った紗江に、正樹は微笑んで「熱いうちにどうぞ」と勧めた。
オムライスは予想以上においしくて、見た目以上に満足できるものだった。食後には飲み物までついており、正樹はコーヒー、紗江は紅茶を頼んだ。
食事も会話もいつものように時間を忘れてしまうほど楽しかった。
「そろそろ出ようか」
正樹がレシートをつかもうとするのを、すかさず紗江が奪った。そして、正樹が何か言おうとするよりも早く「私が払います」と言って、レシートを胸元で握り締めた。その姿を見た正樹は苦笑し、「じゃ、お願いします」と言って入ってきたときと同じように紗江をエスコートした。
「ありがとうございました」と言う言葉を背に二人が店を出ると、真っ黒な空からパタパタと雨が落ち、アスファルトを黒く塗り替えてしまっていた。正樹は紗江に「ここで待ってて」と言いおくと、走って車に乗り込み、店の前へと車をつけた。
「乗って」
正樹に促されて車に乗り込むと、それが合図のように雨足が強くなった。
車は静かに発進した。
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