25.

 次の日、紗江は仕事が終わるや否や、真っ直ぐに家に戻ってきた。何時に連絡があるかなんて検討がつかなかったが、それでも早く帰らずにはいられなかった。前日の正樹からの連絡は、駅で別れて家に帰ってから送ったのであろうおやすみのメールだけだった。仕事の邪魔になってはいけないと、あえて紗江からも連絡はしなかった。


 しばらくはピクリともしない携帯を見つめていたが、恨めしいほど長い正樹との逢瀬までの間、軽い食事とシャワーを浴びることにした。それでもまだ8時過ぎだったので、見る気もないテレビを見ることにした。ただじっと待つために。


 テレビの向こうの芸人達が紗江を笑わそうとこれでもかと奮闘していたが、ついに笑わせることもなく次々と入れ替わっていく。そんな彼らの様子を見るとはなしに見ながら、いつしか紗江は眠りの淵に足を入れていたらしい。そんな紗江を現実へと引き戻したのは、テレビとは明らかに違う音だった。


 それは、待ち焦がれていた連絡。正樹からの電話だった。紗江は慌てて携帯電話を手にした。


「もしもし、磯裏です」

「紗江?ごめん、遅くなって。今、終わったんだ。今から迎えに行くけど、大丈夫かな?」

「ええ。私のほうは全然」

「じゃ、近くに着いたらまた連絡入れるから。それじゃ、後で」

「はい。気をつけてください」


 電話を切って時計を見ると、23時を回っていた。遅くなるとは言っていたが、本当にこんな時間だとは、時計を見て改めて実感していた。


 とはいえ、いつまでも時計を眺めて呆けているわけにはいかない。紗江は身支度を整えるため素早く動き始めた。


 薄化粧を施し、髪をセットする。ワンピースを着ようかと思ったが、この時間はさすがに肌寒いので長袖のカットソーにパンツ、そしてロングカーディガンを羽織ることにした。そして、全ての身支度を終えた頃、再び正樹からの電話が鳴った。


「もしもし」

「あ、紗江。この間タクシーを止めたところまできたんだけど、ここからどう行けばいいかな?」

「そこで待っていてください。すぐに出ますから」

「わかった。ここで待ってるよ」


 バッグを掴み、もう一度鏡の中の自分を見直して玄関に向かった。出してあった少し高めのヒールのサンダルを履いて扉を開くと、そこは真っ暗な闇だった。闇のせいか、それとも少し肌寒かったせいか、紗江は小さく身震いした。


 紗江の動きにあわせて階段そばの灯りが点灯してくれたお陰で、躓くことなく地上に降り立つことができた。そして、この時間には不謹慎なほどのヒールの音を辺りに響かせながら、紗江は正樹の待つ場所へと急いだ。


 車での通り抜けが不可能な道を走りぬけると、あの日タクシーが止まった場所に1台の車が止まっていた。ライトは消えていたもののエンジンは掛かったままのその車の中に、人が一人、ハンドルに覆いかぶさるようにしているのが見えた。車の背後から近づいて街灯に浮かぶ横顔を確認すると、間違いなく正樹だった。どうやら後方から紗江が近づいてくるとは思っていないらしく、しきりに前ばかりを見ているようだった。


 小走りに車まで駆け寄り、助手席側の窓をコンコンと叩いた。音に気づいた正樹はそちらを見やり、紗江に気づくとすぐさま笑顔を見せた。そして、体を伸ばして助手席のドアを開いた。


「遅くなってごめん。どうぞ、乗って」

「あ、はい」


 促されて車内に入ると、外よりも少し暖かかった。FMラジオが小さく流れていた。


「どこから来たの?ずっと見てたはずなのにな」

「あの、後ろです。そのわき道から」


 紗江の指差したほうをチラッと見て正樹は納得したようだった。


「そっか。てっきり前のほうから来るものだと思ってたから。そこからすぐなの?」

「はい。ほんとにすぐです」

「でも、こんな時間だと近くても危ないよな。ごめん、こんな時間になって」

「そんな!」


 こんな時間と言うが、その『こんな時間』まで仕事をしていたのだ。誰が文句を言えよう。


「いいんです。私、今日は早かったし。私よりも正樹のほうが今まで仕事だったんだし」

「はは。それこそ別に気にしないで。こんな時間は日常茶飯事だから。さて、と。ここにずっといるのもなんだし、どこか行きたいところ、ある?」


 行きたいところ、と言われても、紗江も困ってしまった。逢うこと以外、何も考えていなかったのだ。


「えっと、特には…」

「こんな時間だからなぁ。ドライブでもするかな。いい?」

「はい」


 そうして二人は深夜のドライブに向かった。

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