17.
降りしきる雨の中、正樹は紗江の肩を抱き、雨から庇うようにして歩いた。
てっきり煌びやかなネオンの中へと連れて行かれると思っていた紗江だったが、予想に反して、小さくはあったが小奇麗なビジネスホテルへと正樹は足を運んだ。遅くなったときの定宿にしているのだろう。「ちょっと待ってて」と言い残し、正樹は慣れた様子でカウンターへと向かって行った。
濡れ鼠なのと先ほどまでの二人の間にある妙な緊張感のせいで何となく恥ずかしい紗江は、顔を上げることも出来ずただ下を向いていた。
「どうぞお使い下さい」
掛けられた声に顔を上げると、ホテルのスタッフがタオルを手に紗江の前に立っていた。カウンターのほうを見ると、同じようにタオルを渡されている正樹の姿が見えた。二人があまりにも濡れているので、ホテル側が気を利かせてくれたのだろう。正樹と同じように、紗江も遠慮なくタオルを受け取った。
ふんわりとしたそのタオルは、滴り落ちていく水滴をあっという間に吸い尽くしていった。
「お待たせ。行こうか、紗江さん」
チェックインを済ませたのだろう。カードキーを手に正樹が駆け寄ってきた。紗江が使っていたタオルを近くのスタッフに渡し、紗江の背に手を当てエレベーターへと促した。
無言のままエレベータに乗ると、正樹は『8』のボタンを押した。
静かに、でも確実に上がっていくエレベータの中で、紗江はどうしようもないくらい緊張していた。
こういうことが初めてというわけでもない。前の彼とプラトニックな付き合いだけで終わったわけではなかった。むしろ、逢う度に激しいほど求められた。そう、いつも相手から。
嫌だったわけではない。仮にも好きだった相手なのだ。ただ、明らかに温度差があった。それだけのことだった。
そうこうしているうちに、チンという小さな音とともにエレベータの扉が開いた。紗江が戸惑っていると、正樹が紗江の背に手を当て、目の前の通路を右へと誘った。
『805』とプレートのかかった扉の前に来ると、背に当てていた手を離し、カードキーを翳して扉を開いた。そして、そのカードを入ってすぐ横にあるキーカード用の穴に差し込み、部屋の明かりをつけた。
「どうぞ。急だったからあまりいい部屋じゃないけど」
そう言われて通された部屋は、正樹の言葉とは裏腹に淡いオレンジ色で統一された意外に広い部屋だった。
扉を開けて待っている正樹の前を通り、紗江は部屋の中へと進んだ。
「先にシャワーを浴びるといいよ。そのうちに食事が届くだろうから。あ、食事は勝手に頼んじゃったけど、いいかな?」
「あ、はい」
「濡れた服はクリーニングをお願いしてるから出しておいてくれればいいから。さ、風邪を引かないうちにシャワーをどうぞ」
急かされるままに、紗江は先にシャワーを浴びた。
シャワーを浴びてから着替えるときに白いバスローブが目についたが、かなり濡れていたジャケット以外を除いて、先ほどまで袖を通していた服に再び手を通した。
「あの、お先に頂きました」
浴室の扉を開いてみると、正樹が食事が乗ったワゴンを運んでいるところだった。
「ちょうどいいところに来たよ。コーヒーがあるからあったかいうちに飲むといいよ。それから、あれ?着替えなかったの?」
「え、ええ、ジャケットだけ脱ぎました」
「あ、そうか。着替え、ないか。ごめん」
見たこともないほど落ち込んだ様子の正樹に、紗江は思わず笑ってしまった。
「なんだか、今日の殿上さん、変です」
先ほどまでの微妙な緊張感やそれまでの自分の振る舞いも忘れて紗江が笑うと、つられるように正樹も笑い出した。
「風邪引いちゃわないうちに、殿上さんもシャワーどうぞ」
ひとしきり二人で笑った後、今度は紗江が正樹を促した。
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