11.

「ただいま」


 返事の来ない部屋に向かって声をかける。

 帰りを告げてもしょうがないことはわかっているのだが、こう言わないと、なんとなく家に帰ってきた気がしない。無駄な、紗江の日課だった。


 肩のバッグから携帯を取り出し、着信を調べる。


 着信は、ない。


 あれから、彼からの着信はなかった。

 期待していたわけじゃない。忙しいのもよくわかっている。

 でも、ただ、待っていた。


 小さく溜め息をつき、部屋着に着替える。

 今日は何度、自分を納得させただろう。


 何を約束したわけでもない。ただ、待っていた、自分。

 一度、食事をしただけだ。それだけなのに。

 それだけ。

 それだけで、なぜ、こんなにも、待ってしまうのだろう。


 今日一日囚われていた疑問。

 答えの見つからない疑問に、答えを見い出そうとして、思考の波に揺られようとしていた時だった。


 手に持っていた携帯からのメール受信のメロディ。


 紗江は慌ててメールを確認した。


『こんばんわ。紗江さんはもう家でしょうか。自分は昨日と違って、早く帰ることができました。実は、このメールも家で打っています。この調子だと、明日の食事は高い確率で大丈夫そうです。もちろん、無理は全然してないから、気にしないで』


 やっぱり、彼だった。

 待っているわけではなかったが、待ち望んでいたメール。

 答えを探すことなど、もう、どうでもよかった。


『お疲れ様です。私も今、家に着いたところです。折角早く帰れたのですから、今日はゆっくり休んでください』


 メールを送信し、ベッドに腰を下ろす。もう一度、彼からのメールを見直していると、また、メールの着信音が鳴った。


『紗江さんの言うとおりですね。明日のために今日は早めに休むことにします。明日のことですが、六時に駅前で大丈夫ですか?』


 明日のために。

 彼も、明日のことを楽しみにしてくれているのだろうか。


『私は大丈夫です。六時に駅前でお待ちしています』

『今度は紗江さんを待っていられるように、仕事を早く切り上げて行きます。おやすみなさい』

『無理はしないで下さい。おやすみなさい』


 明日、何を着ていこう。


 携帯を脇に置いた紗江の思考は、明日に飛んでいた。

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