第3話
結論からいえば、今日の街頭演説は成功と言ってよかったと思う。我ながら奇妙なことだけれど、拡声器片手に駅前で声を上げ始めると、世界の中心が自分になったような気がする。何を話しても上手くいくと思えるし、実際に聞き手の反応は上々のようだった。元いじめられっ子にとっては高すぎるハードルだと最初は思ったが、今では隠レ角における演説担当のような位置付けになってしまっている。かつては少しヒートアップしてしまい、煽動がすぎると逆縞に怒られたりもしたけれど。僕に乗せられて隠レ角に参加し、地道な活動内容に失望して出ていった人もいる。
スマホをみると、時刻は既に二十時を回っていた。職務質問の餌食になる前に撤収した方がよいだろう。サポートとしてついてきていた逆縞もその空気を察したのか、片付けに取り掛かり始めている。
「あの」
終わりの雰囲気を感じ取り、三々五々に散っていく人々の波をかき分けてやってきたのは、一人の少女——だったが、どこか不思議な違和感を持つ少女で——時間にして数秒後に、僕はその正体をようやく特定する。
角が、ない。
「あの。お話、とてもよかったです……お話の中では、署名をしてくれればそれでいいって仰ってましたけど、私どうしても皆さんのお手伝いがしたくなっちゃって……」
勇気を振り絞るような様子を見せつつ少女がいう。年の頃は二十歳前後。全体的に色素が薄い。ふわふわとした髪質と周囲を伺うような目つきはどこか小動物を彷彿とさせる。絶世の美人という表現には当たらないが、どこか好ましく思わせる愛嬌があった。角がないことを除けば、だけれど。
逆縞がにこやかに応対する。
「ありがとう。名前……はいいや。聞いての通り、俺らは角をトラウマに持つ人間の集まりでね。その角にまつわるあだ名をつけて親しみを込めて呼ぶことで、少しでも緩和できないかっていうのを試してる。君がよく呼ばれていたのは?」
「えっと……“角なし”とか“のっぺらぼう”とか……」
「うーん」
仲間の名前として呼ぶには、ちょっと愛がなさすぎる。
「そうだなぁ。よし、新しいのを俺がつけてあげよう。今日はもう遅いから、今度時間のあるときに、新宿の隠レ角って店でボンドマティーニを頼むといい。大体みんな、そこにいるから」
「あっ……はい!」
彼女は嬉しそうに返事をし、活動内容についていくつか会話を交わした後、去っていった。
後日、彼女がアジトを訪れたとき、逆縞は彼女に“
こんな厄介な角だけれど、そもそもない、というのは醜いのとは意味が違う。誰もが持っているものを自分は持っていない、というのは一体どんな気持ちなのだろう。美しい角を持った人間達に僕らの気持ちがわからないように、僕らも彼女の気持ちを簡単にわかった気になってはいけないような気がしていた。
「絵を描いてもいいですか?」
何度かアジトに足を運び、メンバーの大方と面識を得た頃に、それでも遠慮がちに空は言った。
「私、絵が得意で。ビラやポスターに絵をつけたらもっとわかりやすくなるかもなって。それとこっちは私の個人的なお願いなんですが……皆さんの角を描きたいんです。あっ、もちろん嫌でしたら全然いいんですけど……」
メンバーの何名かは目を丸くする。醜い角を目に入れるなと言われたことはあっても、絵に描きたいと言われたことは皆無だったから。
「俺は、別に構わないけど……なんでまた?」
「私には角がないので、皆さんの気持ちをわからずにお話してしまいますが……誰を見ても一つとして同じ角がないのが、ずっと興味深いなと思っていて。皆さんのお人柄を考えながら描いたら、いい絵になるんじゃないかなって」
逆縞の問いに、言葉を探しながら答える空。そんな風に言われてしまうと、断る理由の方がむしろ見つからないように思えた。メンバーの皆も似たような思いだったようで、照れ臭いような、不安なような、複雑な表情を浮かべつつ、最終的に断る人間は一人もいなかった。
そうして、空は角の絵を描き始めた。会議や作業をしているときはもちろん彼女も参加するので、それらが終わって駄弁っているときや、始まる前に雑談しているときに、部屋の片隅で体育座りをするように小さくなり、ノートを抱え込むようにしてペンを走らせている。細い輪郭線と淡い色彩で、白いノートの上に浮かび上がるように表現された各々の角はどこか幻想的で、特徴はしっかりと捉えつつも醜さがいくらか和らいでいるように感じられた。
「別に、何か配慮したり、忖度しようとしたりしてるわけではないんですよ?」
僕がその旨を指摘すると、不服だというように口を少しだけ尖らせながら彼女は言った。
「ただなんというか……パッと見たときの印象と、ちゃんとお話しした後での印象はやっぱり違うんです。私なんかからすると角はとても目立って見えますから、逆にそのギャップが大きいというか。折れ三角さんも、実はそうです」
「え?」
意味を測りかねて、間抜けに問い返してしまう。
不意を討てたのが嬉しいのか、くすりと小さな笑い声をこぼしながら彼女は続ける。
「演説を聴いていたときは、グワーッと心に迫るというか、自分も何かやらないといけないぞ、という気持ちにさせられたんです。でもこうして一対一でお話してみると、むしろ人を落ち着かせるような話し方で。二面性みたいなものを感じます」
「ふうん……」
つい取り繕うような生返事をしてしまったけれど、悪い気はしない。そもそも、ここまで踏み込んで自分について語られたこと自体が少ないのだ。メンバー同士で仲は良いと思うけれど、お互いの素性にはあまり深く入り込まないのが一種のマナーのようになっている。
「空は、もし自分に角があったら、どんな形をしていたと思う?」
苦し紛れに出てきた質問としては上出来だっただろう。実際に、その答えにも興味はあった。角が人間の能力や人格を反映するという説を信じるとしたら、彼女に角があったとして、それが醜い形をしているとはとても思えなかった。きっと綺麗な六角形の断面で、空に向かって真っ直ぐに伸びているのではないかと思った。
しかし彼女の答えは、
「多分、私にふさわしい角はないんだと思います。最初から」
「……どうして、そう思う?」
「こうして、人の角を描くことができるから」
そう答えた彼女の笑顔はどこか寂しげだったけれど、暖かいものだった。
「ねえ、これ、あげます」
彼女は丁寧にノートから一枚のページを切り取って、僕に渡す。
そこには、彼女なりの解釈で、彼女なりのタッチで描かれた僕の角があった。
僕はその絵に目を奪われ、声を失う。
そんな僕を、彼女は優しい目で見守っている。
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