4章「残月の鬼のしもべ」その1

 さて、その翌日の昼下がり。華伝の家の庭では、赤い髪の男がしかめっ面をしていた。


「なぜ俺がこんなことを……」


 彼は手に軍手をはめ、そのへんに生えている草をむしっては、ゴミ袋に詰める作業――草むしりをしていた。よく晴れた日で、空には雲ひとつなかった。


「孝太郎、そこはもういい。次はあっちだ」


 と、後ろから華伝の声が聞こえた。振り返ると、彼は縁側に立っていた。何か台所で作っているらしく、今はエプロンをしている。


「お前、俺をナチュラルに顎で使うの、やめてくれない?」


 孝太郎は彼のいる縁側にゆっくりと近づいていく。


「君が草むしりをしてくれるおかげで、僕は心おきなくバジルと紫蘇の種をまけるんだ。助かるよ」

「いや、俺、お前の家庭菜園計画とかマジでどうでもいいし! つか、さっき、お前、俺に言ったよね? 一生に一度のお願いがあるから聞いてくれって。なんかすごい深刻そうだったから、引き受けたのに、それが、これ? この誰でも出来る、簡単だけど、クソめんどくさい作業、草むしりですか! どういうことだよ! お前の一生のお願いって、そんなに安いの?」

「どうせ君にはもう会う機会はないだろうし、君ができることもこれぐらいしかないだろう。だから『僕からの一生に一度のお願い』であってる」

「あってねえよ! お前、俺を何だと思ってんの! 勘違いするなよ、俺は庭師でもメイドさんでもなくて、鬼封符術師なんだぞ!」

「いいから、口を動かす前に早く草をむしってくれ。ここ数日、君はこの家で散々飲み食いしただろう。だから、少しは働け」

「ま、まあ……それは確かに」

「僕はこれからブルーベリーのミルフィーユを作る。それを君が食べられるかどうかは、今からの君の働き次第だ」

「う……」


 食い物で釣るとはまた卑怯な。しかし、食べたい。ブルーベリーのミルフィーユ。


「はいはい、わかりましたよ。やればいいんだろ。『ラジオネーム恋するウナギちゃん』よお」

「ちょっと待て。誰がウナギだ」

「お前の旧姓、竜薙じゃん。だから、りゅうなぎ、で、ウナギじゃん?」

「……君は小学生か」


 華伝は、呆れたようにため息をついた。なんだこの、気取った瘴鬼野郎。誰だって、一度くらいは考えることだろうがよ。


「お、そうだ。名前といえば、俺の名前。百瀬孝太郎って言うんだけど、何かピンと来ないか?」

「さあ?」

「ほら、ももせ、こうたろう……略して?」

「ももこ?」

「そうそう。俺、実は桃子っていう名前の女で――って、ちげーよ、バカ! ももせこうたろう、略して桃太郎だよ! なんと、俺様、鬼退治のレジェンドと同じ名前になっちゃうのだ。ふふ」

「……君の場合は、最初に桃から生まれる時、桃と一緒にナタで真っ二つにされる太郎だろう」


 華伝はいかにも小馬鹿にしたように鼻で笑った。そして、そのまま勢いよくガラス戸を閉めて家の中に引っ込んでしまった。


「何それ! 伝説始まる前に終わってる太郎とかありえないんですけど!」


 人がせっかくお名前トークで歩み寄ってやったのにさ。いくらなんでも、コミュニケーションとる気なさすぎだろ。コミュ障じゃなさそうなのに、あえてそういう態度なのがまたむかつく。孝太郎はいらだちながら、近くの草を乱暴にむしった。ぶちぶち、ぶちぶち……。一応、真面目に仕事する彼だった。これから華伝が作るはずのブルーベリーのミルフィーユは、きっととても美味しいに違いないから。


 そう、ここ数日、この家に滞在し、華伝が作った料理を飲み食いして、その料理スキルの高さはいやというほど思い知っている孝太郎だった。まあ、男同士向かい合って同じものを食べていても、何も会話はなかったのだが。食事しながら、華伝は電話で二階のルカと和気あいあいと話をするだけで、孝太郎の存在はほぼ無視だったのだが。


 さらに料理だけではなく家事全般も完璧にこなすようだった。掃除はかなり丁寧で、孝太郎がいじわるな姑のようにけちをつけようとしても、できなかった。アイロンがけもやたらとうまく、仕事が早かった。ゴミの分別も一切抜かりがなかった。洗濯物の畳み方にも、熟練の技を感じた。スマフォのアプリで常に近所のスーパーの特価情報をチェックしているなど、お買い物上手でもあった。その上、昨日の夜遅くには、何やら慣れた手つきで縫い仕事をしていた……。あれはなんだ。プロの主夫か。

 やがて、雑草をほどんと抜き終えたときだった。家の方から、一人の少女がちょこちょこ歩み寄って来た。今日は白いワンピースを着ている。


「なんの用だよ、チビッ子」

「チビッ子ではない。ルカだ。私はお前より年上の大人なのだぞ」


 ルカはむっとした顔で孝太郎をにらんだ。その彼我の距離は五メートルほどだ。彼女は、最初は孝太郎にかなり怯えていたものの、ここ数日でだいぶ慣れていた。この距離なら、なんとか普通に話せるくらいには。


「実はな、私はお前に頼みたいことがあるのだ」

「何だ? 成長の止まったロリ鬼を大人にする薬なんか持ってねえぞ」

「違う! そろそろ出来上がる、ミルフィーユのことだ。あれはお前も食べることになっているのだろう?」

「ああ、一応な」

「そうか。ならば、お前は、自分のぶんのミルフィーユを私に与えるのだ。よいな?」

「え……なんで?」

「そういうものなのだ、世の中というものは」


 ルカは妙に自信たっぷりに言う。が、当然、孝太郎には理屈がさっぱりわからない。


「俺がお前にミルフィーユをやることで、俺が何か得をするのか?」

「私が感謝する」

「それだけ?」

「そうだ。感謝の気持ちというのは、お金では買えないものだぞ。ありがたいものなのだぞ」

「いや、別にそういうのいらないから。俺、あいつのミルフィーユ食べたいし」

「なぜだ? お前は華伝が嫌いなのだろう? ここ数日で、私は、お前達の仲の悪さはよくわかったつもりだぞ。それなのに、なぜあいつの作った菓子を欲する。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというではないか?」

「まあ、そうだけど、食い物の話は別っていうか。美味いものなら、製造元はこだわらないっていうか……」

「だ、だめだぞ! そんな軟弱な気持ちでは。もっと、己の中の憎しみの炎を燃やせ! そして、早く華伝の作った菓子は食べられない体になってしまえ!」


 ルカは孝太郎の半径約五メートルのラインをちょろちょろ動いて、必死に目で訴えかけてきた。そんなにたくさん食べたいのか、あいつの作ったスイーツ。そういう態度でこられると、余計に譲歩する気がなくなる孝太郎だった。むしろ食べたくなるし。


「いや、お前の分はちゃんとあるだろ。だからそれで我慢しろよ。俺だって、こんな、やりたくもない草むしりさせられてんだぞ。おいしいお菓子のご褒美でもなきゃ、やってられんわ」

「なるほど。お前は草むしりの報酬にミルフィーユをもらう契約を交わしたのだな」


 ルカははっとしたように一瞬目を見開き、急にすとんとその場に腰を落とした。そして、孝太郎の真似をするように、草むしりをしはじめた。


「ならば、私も手伝うことにしよう。その代り、お前は私にミルフィーユを分け与えるのだぞ。私は鬼だが、心根はやさしいほうなのだ。だから、このさい、半分くらいでいいぞ」

「え……」


 もう草むしり、ほとんど終わってるんだが……。孝太郎はルカのしつこさに、なんだか根負けしたような気持ちになり、苦笑いした。まあ、半分くらいなら分けてあげてもいいかな。


 と、そのときだった。孝太郎のスマートフォンが鳴った。沙織からだった。


「百瀬さん、お願いです、助けてください! うちの学校が大変なことになって……」


 沙織は電話に出るなり、ひどく切迫した調子でこう言った。


「大変なことって?」

「ば、化け物が……学校のみんなが、たくさん智子みたいになっちゃったんです。それで、今、みんな暴れて――」

「なんだと!」


 高校で瘴鬼が大発生とは、またとんでもない事件だ。


「私、昨日、駅で華伝さんの弟に会ったんです。あの人、智子のケータイを見て、私が華伝さんの知り合いだって気付いたみたいで、それで華伝さんのことを聞かれたんですけど、怖くなって、その時はすぐに大声を出して、逃げたんです。そしたら、今日になって、こんなことに……。きっと、あの人の仕業だと思います。さっき、校内放送で私を探してるみたいなこと言ってましたから」

「あいつ、今、そこにいるのかよ!」


 しかも、校内放送だと。テロリスト気分かよ。


「今の話だと、そいつの狙いは明らかに西崎さんだよな。大丈夫なのか?」

「は、はい……。今のところは、安全そうな所に隠れてます。でも、いつ見つかるかわかりません……」

「わかった、すぐ助けにいく!」


 孝太郎は電話を切った。そして、華伝を呼びに家の中に向かう――と、そこで、ルカに通せんぼされた。


「華伝は置いていけ。あいつはもうこの仕事から外されたのだからな」


 彼女はとても心配そうな顔をしていた。


「悪い。今は緊急事態だ。俺一人じゃ、どうしようもなさそうなんだよ」


 孝太郎はルカを振りきり、家の中に飛び込んだ。そして、ちょうど居間で、会心の出来栄えのブルーベリーのミルフィーユをながめ、写真を撮影し、一人でどや顔をしていた華伝に、今の電話のことを話した。


「頼む、一緒に来てくれ!」

「そうだな、方向音痴の君が、一人で彼女の高校に行けるとは思えないし」


 二人はすぐに家を出て、沙織の通う高校に向かった。高校の場所は華伝が知っていた。移動手段はバイクで、運転するのは華伝。孝太郎は後部座席で彼にしがみつきつつ、弓雅に連絡した。


「わかった。すぐに応援をそっちによこす。お前達はそれまで持ちこたえてくれ」


 弓雅の答えは簡潔だった。そう言うと、すぐに電話を切った。


「応援が来るまで、お前達で持ちこたえろって言われたけど、よく考えたら、お前、やばくないか。あいつに出くわしたらまた瞳術食らうんじゃ?」

「問題ない。彼の瞳術は不完全だし、一度は破っている。もう一度かかったとしても、せいぜい動きを止められるくらいだ。だから、僕の存在は、少なくとも君にとってはマイナスにはならない。今度は瞳術を食らわないようにうまく立ち回るつもりだしね」

「でも、万が一、お前が無力化されちゃうと、俺一人で戦うことに……」

「ああ。そのときは頼りにしてるよ。百瀬の家の秘蔵っ子の鬼封符術師君!」

「お、おう……」


 華伝の運転するバイクは法定速度を無視して、すさまじい速さで、車の間を駆け抜けていく。やがて、十分ほどで西崎沙織の通う高校に到着した。


 だが、門の外から中を見る限り、学校は平穏そのものだった。瘴鬼が暴れているらしい気配はどこにもない。校庭のすみでは、体操服を着た生徒達が、体育の授業を受けているようだ。念のため、こっそり壁を乗り越え、高校の敷地内に入ってみたが、やはり不審なところは何もない。


「孝太郎、これはいったいどういうことだ?」

「い、いや、確かに電話じゃ、学校が大変なことになってるって……」


 孝太郎は焦り、その場で沙織に電話した。


「西崎さん、俺達、今学校に着いたんだけど、瘴鬼なんてどこにもいそうにない――」

「屋上です」

「え?」

「そこに、化け物がいます」


 と、電話はそこで切れた。


「いきなり屋上って言われても――」

「そうか。そっちか」


 華伝は何やらすたすたと校舎のほうに近づいていく。「おい! さすがに中に入ったら見つかるぞ!」孝太郎はあわてて彼を追うが、彼は建物の中には入るつもりはないようだった。校舎の壁の前でぴたりと足を止め、ふと、上を見た。


「そういえば、君には僕を家まで運んでもらった恩があったな」

「え、何いきなり?」

「せっかくだから、それをここで返しておくよ」


 と、言うや否や、彼はひょいと、孝太郎の体を肩にかついだ。そして、その場で軽くジャンプしたのち、壁に向かって勢いよく走りだし――そのまま、壁を垂直に登り始めた!


「ちょ、おま――」


 なんだこの曲芸! わけわからんし! 孝太郎はいろんな意味で目を回すほかなかった。そして、そうしている間に二人はすぐに屋上に着いた。華伝は屋上のフェンスを飛び越えたとたん、孝太郎を邪魔なお荷物のように下に投げ捨てた。痛い……。


「てめえ、人を何だと思って……」


 孝太郎は痛む体をさすりながら、身を起こし、華伝をにらんだ――と、そこで華伝がひどく険しい顔をして前を見ているのに気づき、視線の先を追った。そこには、そう、彼らのすぐ近くには一人の少女が立っていた。西崎沙織だ。だが、その表情は能面のようにこわばっている。さらに、その瞳はうっすらと金色にきらめいている。


「あ、あれって……」


 孝太郎は息を飲んだ。


「ごめんなさい。百瀬さん、華伝さん。学校で化け物が暴れてるなんて嘘を言っちゃって」


 沙織はうつろな瞳を金色にきらめかせながら、機械のように淡々と言う。


「沙織ちゃん、君に瞳術をかけて、そうさせたのは誰だ?」

「華伝さんの弟さんです。昨日、帰り道に駅で会って……それで……」

「瘴鬼にされちまったのか」


 孝太郎は苦渋の気持ちで顔をしかめた。つい昨日まで、彼女は普通の人間だったのに。あのクソ野郎……ひどいことしやがる!


「君はなぜ、僕達をここに呼んだ?」

「さあ? そんなの知りません。でも、いいじゃないですか。華伝さんは、恋人のルカさんのために、化け物の命を食べなくちゃいけないんでしょう? だったら、この私を食べちゃえば……」


 沙織はふと妖しく目を細め、笑った。そして、ゆっくりと華伝に近づき、その胸に寄りかかった。


「ずっと前から思ってました、私、華伝さんが好きです。だから、華伝さんに食べられたいです。お願いします。その口を、牙を、私の体に突き立てて、私を残らず空っぽにしてください」


 沙織は華伝の胸板を撫で、さらに指を、彼の鎖骨へ、首筋へ、唇へと這わせ、遊ばせた。華伝はそんな彼女の言葉や仕草には何も反応しなかった。ただ、じっと、そのうっすらと金色にきらめく瞳だけを見ていた。まるで何かを見極めているかのようだった。


 こいつ、一体何やってるんだ? なぜ瘴鬼をすぐ殺さない? 知り合いだからか? でも、自分の祖父が瘴鬼になったときは、すぐに殺したのに……。


「おい、お前がやれないって言うなら、俺が代わりに――」

「違う。彼女はどういうわけか、浅いんだ」

「浅い?」

「ああ。何か持っているのかもしれない」


 と、言うと同時に、華伝は沙織の首筋を手で払った。彼女はすぐに気を失った。その反応はまるで普通の人間だった。瘴鬼ならば、この程度で意識を失うことはないのだが。


 華伝は彼女を下に横たえると、制服の胸ポケットをまさぐった。生徒手帳が出てきた。そして、そこには一枚の黒ずんだ紙が挟まっていた……って、あれ、これって、どこかで見覚えがあるような? 孝太郎は首をかしげ、記憶をたどった。


 と、そのときだった。華伝のスマートフォンが鳴った。


「弓雅さんか?」

「いや、家からだ」

「なんだ、お前の彼女かよ」


 華伝はすぐに電話に出た。そして、直後、「な……」と、絶句し、顔をこわばらせた。その理由は孝太郎も瞬時に理解した。かすかだが、声が漏れて聞こえてきたのだ。聞き覚えのある男の声が……。


「はは、そんなに驚かなくても、兄さん」


 そう、その声は、あの男、竜薙左紋のものだった。


「なぜ君が僕の家にいる!」

「場所を聞いたんだよ。そこの女の子にね。最初は質問に答えてくれなかったけど、瘴鬼にしてやったら、すっかり従順になって、知ってることは何でも話してくれたしねえ。兄さんの、とても大事にしているものとか……。あ、この番号は家電の電話帳からだけどさ、はは」

「大事にしているもの? まさか、君は彼女に何か――」

「ああ。今はちょうどオレの足元に転がってるよ。ちょっと蹴飛ばしたら動かなくなっちゃったんだよな。死にかけの、残月の鬼のガキがね」

「左紋!」


 瞬間、華伝の瞳は赤く燃え上がった。彼の行動は早かった。ただちに、その場から跳躍し、フェンスを飛び越え、下に落ちて――降りて行った。


「ちょ、待て!」


 孝太郎があわててフェンスに近づくと、彼はすでに高校の外壁を飛び越え、バイクに乗り込んだところだった。そして、そのまま、家の方に疾駆して行った。


「俺、どうすりゃいいんだよ……」


 倒れている沙織を前に、すっかり途方に暮れる孝太郎だった。

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