第13話

 その夜にやってきたのは、おじいさんだった。

 「こんばんわ。お嬢さん」自分より何歳も年上だったけど、その人は丁寧にお辞儀をした。

 「ここに来るのは、あんまり好きじゃないんだがね。いやなことを思い出して、恥ずかしい話をしなければならない」

 「誰でも、恥ずかしかったことはあると思うよ」

 「…そうだね。だけど、その恥ずかしさの大きさは人それぞれで、自分のはとっても大きいんだ」

 「じゃあ、私の恥ずかしかったことも話すよ。私の恥ずかしかったことがどのくらいの大きさかはわからないけど」

 

 「なんで、おじいさんは家出をしたの?」

 「妻と喧嘩したのさ。煙草を吸うな、お酒を飲むな、女遊びをやめろ、いっつも文句ばっかりだった…。これが私の恥ずかしかったことだ。こんなことをやめられなかったことも恥ずかしいし…、こんなことで家出したことも恥ずかしい…」

 「怒られてるとね、あなたはしっかりしていない。私はしっかりしているのにって聞こえるんだ」

 「…実際、彼女はしっかりしていたよ。ただ、俺の扱いに関しては理解していなかった…。あの空気から離れたくて家を出たら…、引き返せなくなっちまった。大人にとって、経済的には家出しやすくても、なかなか家出できないんだよ」


 「どうして、家にかえったの?」

 「肺炎で、あいつが死んだからさ

 静かで安静な日常がおとずれるようになったよ。おこることもなくなって、煙草も、お酒も、女遊びもする必要がなくなったんだ」

 「お墓詣りには行った?」

 「不思議なことにね、行ったよ。別に手を合わせるでも、花を挿してやるでもなかったけどねただ、石を見に行ったんだ」

 「行ってよかった?」

 「…さあね。暇すぎて、ほかにすることがなかったんだ」


 おじさんは腰を上げてシャッターの前にたった。振り返って、

 「君の恥ずかしかったことは?」とそう聞いた。

 「あんまりよく知らない親戚のおじさんに帽子と雑巾を持ってきてって言われたんだ。そんなくみ合わせを頼まれることなんて経験したことある? 普通ないよね。で、運ぶときに帽子の中に雑巾を入れて運んじゃったんだ。

 ばれなかったと思う…。

 人生で一番の失態だよ。誰にも言わないでね」

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