第9話 理想通りにはいかぬ現実

 真っ暗だ。


 頭に付けた重々しいヘッドギアをゆっくりと外す。

 この仰々しい機械がPSBの本体だ。

 このヘッドギアはゲーム使用者の頭のサイズにあうように何度も計測し作られる。


 ぼんやりとした意識のまましばらく天井を見つめる。


 首を右に傾け、時計を見る。


 午前3時過ぎ、日付はログインした日から三日たった5月20日となっている。


 天井から糸でつられるように身体を起こす。


 頭が少し痛い、今日の朝、いや昨日の朝から一滴の水も飲んでいないから軽い脱水症状になっているのかも。


 そのことを自覚すると頭痛が強くなっていく気がする。


 恐る恐るドアを外が確認できるくらいにそっと開け、廊下に誰もいないことを確認する。


 ドアの前には高級そうな黒塗りのトレーの上に食事が用意されているのを見つける。


 そこにはメモも置いてあった。


 『貴ちゃん、昨日からご飯食べてないけど大丈夫? 心配だから明日もご飯食べなかったら無理やり部屋の中に入っちゃうね。 顔少しでいいから見せてください』


 と書いてある。


 危なかった。

 あのままゲームを続けていたらとんでもないところで強制的にログアウトされていた。


 心配かけてごめんと心の中でおばさんに謝り、食事を部屋へと持っていく。


 ゲームで味わった豪勢な料理とは違い、質素だが確かに心がこもった食事を平らげる。


 やはりゲームでも現実には敵わないことがあると再認識する。


 食事を廊下の邪魔にならないところに置き、足音を立てないように一階の台所へと向かう。


 台所の冷蔵庫を静かに開けペットボトルを取り出しカップに注ぐ。

 一杯、二杯、三杯と一気に流し込む。全身の渇きが癒されていくのを感じる。


 また忍び足で、こそこそと誰にもばれないようにして自分の部屋へと向かった。


 現在、僕はおじさんとおばさんのところで住まわせてもらっている。


 おじさんは僕のあの人のお兄さんにあたる人で、おじさんとおばさんは長らく子供を持つことはなかった。


 だから僕が一人になってしまった時、おじさんは僕を快く引き取ってくれた。


 本当なら部屋に引きこもることなく、高校に通って、普通に友達を作ってその友達とバカみたいな話で盛りあがり、部活もほどほどに頑張って、勉強も机に向かってほどほどにペンを走らせ、時たまいい成績とって、


 おじさんとおばさんを安心させてあげていたのだろう。


 しかし現実は理想通りにいかず、中学校も周囲になじめることができず、孤立し、不登校となっていった。


 お情けで中学校を卒業させてくれたが、それ以降は高校に入学することはなかった。


 また幸か不幸か『ジ・ハード~咎人たちの聖戦~』との出会いもあり、部屋にだんだん閉じこもるようになっていった。


 そんな僕をおじさんたちは何も言わず、ただ僕を見守ってくれている。


 情けない、本当に情けない。


 この状況を改善するのは多分簡単なことだろう。

 そのためにはつまらない意地を捨てればいい、ただそれだけだ。

 でもそれができない。


 僕は布団を頭からかぶり、目をつぶる。


 そうすれば現実から目を背け、不安なことが頭をよぎることはなく、ベッドの暖かさに導かれるまま眠りにつくような気がした。

 実際はぐるぐると意味のない考えが頭に浮かぶ。

 将来のこと、将来と全く関係ないこと、脈絡のない突然降って湧く不安


 それが浮かんでは消え浮かんでは消え、その考えが目を覚ましているときか夢の中のことなのか、夢と現実の境界線が消え自分の意識というものがとぐろを巻いて認識できなくなっていったとき


 窓からさす光が月明りではなく、日の光だと気づいた。

 日の光は朝の初々しさはなく成熟し落ち着きのある午後の光のそれであった。

 まだはっきりしない意識のまま時計を見る。午後3時くらいだ。


 もうこんな時間になるのか、昼夜逆転とはこのことを言うのだろう。


 恐る恐る扉をそっと開いた。食事は置いておらずメモのみが置いてあった。


『昨日ご飯食べてくれたのね! 若いからって栄養ちゃんと取らないと身体壊しちゃうよ。 午後まで寝ていたら冷蔵庫にあまりものが置いてあるから適当にレンジでチンして食べてね』


 と書いてあった。


 突然、メモがだぶり、くしゃくしゃになる。


 涙がこぼれていたからだ。

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