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突如として頭上に広がった、遥かな蒼穹。
戦いの場にはいっそ不釣り合いなほど、澄み切った青い空の只中に――星のごとく瞬く、白銀の輝き。
「――お待たせ、アーキェル」
陽の光を浴びて、淡い星辰のきらめきを身に纏うは、至高き竜の姫。
次いで、さらさらと清廉な光を零す
「……シェリエ! レスタ!」
高鳴る心のままに、二人の名を呼ぶ。するとレスタはこちらにちらりと視線を寄越し、後は任せろ、とでも言うかのように、大きく頷いてみせた。
「さあ、約束は果たしたわよ。……今度は、わたしたちの願いを聞いてもらう番ね」
上空から降ってくるレスタの声は、風に掻き消されることなく、くっきりと地上まで届いた。朗々たるその響きに、すわ何事か、と窓から顔を出した城の人々が、宙に浮かぶ竜姫とレスタの姿を認め、一様にぴたりと動きを止める。
絶対的な存在感を湛えながらも、どこか儚く、幻想的な竜姫の佇まいに、一人残らず言葉を忘れて見惚れているかのような、静寂が満ちる。
破壊の息吹を放たんとしていた黒き龍さえも、あまりの神々しさに圧倒されたかのごとく、動きを止める中――炎の壁を消した領主は、白々しくも
「約束? いったい何のことだ?」
「しらばっくれても無駄よ。竜族の長をこの城に連れてきたら、あなたの全身全霊をもって、どんな望みでも叶えてくれるって言ってたわよね? わたしたちの願いは、たった一つ。――竜族との戦を、終わらせて」
ロルムの、アーキェルの、城中の耳目を一身に集める領主は、長い沈黙を経て――周囲に訴えかけるように、声を張り上げた。
「竜族との戦を、終わらせる? そのような絵空事を口にしているが、そなたらの狙いは、竜族を率いて、この城を落とすことなのであろう? ――皆、この者たちに騙されるな! こやつらは軍に叛意を抱いている! 竜族を引き込み、この領内を乗っ取るつもりだ!」
「……なにを、言ってるの? 竜族の長を連れてくれば、和平交渉をするつもりだって、他でもないあなたが――……」
「耳を貸すな、敵襲だ! ――皆、反逆者どもを捕らえよ!」
領主の
地上から波のごとく押し寄せる攻撃に、アーキェルが警告を発そうとした、その瞬間。
『――目障りだ』
幾百もの魔法が、竜姫の周囲に瞬く白銀の光に灼かれ、跡形もなく消え失せた。
にもかかわらず、冴ゆる天満月の双眸は、地上の兵にわずか一瞥すらくれることはなかった。――睨むように細められた黄金の瞳が見据える先は、ただ一点。
『……貴様、我が同胞に、いったい何をした?』
鎖に繋がれ、異形と成り果てた、黒き龍。
全身から血を滴らせ、自我すらも奪われたその有様を目の当たりにして、天上の旋律のごとき妙なる声音は、かすかに震えていた。
「……見よ! これが、私が創り上げた、竜族に対抗するための駒だっ! 竜族の長よ、とくとその身で味わうがよい!」
再び集まった衆目を散らさんと放たれた、領主の身勝手極まりない台詞に。
姫たる竜は――ただ一言で応えた。
『
瞬間、真白き雪花のごとき光が、黒き龍を抱くかのように、優しく天から降り注ぎ――直後に、漆黒の輝きに弾き返される。
『……つまらぬ小細工を』
散らされた白銀の光を打ち払うかのように、黒き龍は半ばから折れた両翼を、奇怪な悲鳴とともに広げる。――その両脚と翼は、先程まで絡み付いていた鎖から、解き放たれていた。
「助かったぞ、竜族の長よ。……貴様が城の対竜結界を破ってくれたおかげで、ついにこれを解き放てる日が訪れた! ふはははは、さあ、行くがよい!」
領主の哄笑に応じるかのように、黒き龍の角に、闇色の光が宿り――猛烈な粉塵と風を従えて、瞬くうちに空へと飛び立った。
『……この城ごと同胞を葬ってやってもよいが、どうする?』
「今回ばかりは同意したいけど――追いましょう。ここで戦ったら、犠牲が出すぎるわ」
『――アーキェル、行くぞ』
名を呼ばれるや否や、視界が翠色の光に包まれ、身体が重力に反してふわりと浮かび上がった。中空のシェリエの背を目掛けて、風魔法で引き寄せられていく、その刹那に。
この上なく残忍な笑みを露わにした領主の囁きが、風に運ばれて、アーキェルの耳元まで届いた。
「――どこに向かったと思う?」
領主の血走った眼に、歪んだ口元に、黒き龍の行き先を、はっきりと悟る。
身体の底から噴き上がるような憤怒に目の前が白く染まり、気付けばアーキェルは、黒剣を抜いて咆哮していた。
「……俺は、決して、お前を赦さない!」
「今、貴様が抱いている感情は、領民が竜族に対して抱いているものと同じだ。少しは思い知ったか?」
酷薄な笑みを湛えた領主の瞳に宿るのは、紛れもない狂気だった。そのまま壊れたような高笑いを響かせる領主に向けて、玲瓏たる声が、静かに宣告する。
『――貴様は、我が逆鱗に触れた。死者を汚す輩を、けして竜族は赦さぬ。死を以って
シェリエが何事か呟いた瞬間――領主の全身が、白い劫火に包まれた。途端に甲高い絶叫が上がり、地面をのたうち回るも、一向にその身に絡み付く炎が薄れる様子はない。
『痛覚だけは残しておいてやる。自ら死を選ぶことは赦さぬ。……己が身で、死を踏み躙った罪過を償え』
もはや興味は失せたと言わんばかりに、白銀の両翼を羽ばたかせ、黒き龍の跡を追わんとするシェリエの背から、一瞬だけアーキェルは地上を見下ろした。
――救いを求めるように、領主が天に向かって炎に包まれた腕を伸ばすさまが、ほんの束の間、視界に映り、流れ去ってゆく。
『お前たちには、行き先の見当がついているのか?』
風を操り、すさまじい勢いで加速するシェリエの背にどうにかしがみついたまま、アーキェルは声を振り絞った。
「ああ。――あの龍が向かったのは、俺たちの故郷の街だ!」
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