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『……同胞が、お前たちの故郷の街に向かっていると、どうして言い切れる?』
領主の思わせぶりな台詞だけで、なぜ行き先を特定できるのか、と疑念を表したシェリエに、アーキェルは端的に答えた。
「あの龍が飛び立った後に、『思い知らせてやる』って領主が言ったからには、目的地は一つしかないだろ? おまけに今、クロムの街には軍が駐留している。と、いうことは――」
『ここまで来いと、兵たちに予め
「多分、それで正解。だからあの龍は迷いもせずに、一目散にクロムの街を目指しているってわけだ。……それにあの調子だと、領主は最初から龍を解き放って、街を滅ぼすつもりだったんだろうな」
アーキェルの言を聞くや否や、シェリエの喉から、雷鳴のごとき唸り声が漏れる。その弾みに、小刻みな揺れが背中を伝い、二人は慌てて白銀の毛並みにしがみついた。――心なしか、ちらちらと零れ始めた白い炎が明滅するにつれて、気温が上昇しているような気がする。
これは話題を変えねばまずいかもしれない、とアーキェルが懸命に頭を回転させていると、すかさず傍らのレスタが、心得たと言わんばかりに助け船を出してくれた。
「ねえ、ちょっといい? こんな時だけど、まず情報共有をしておいた方がいいんじゃないかと思うの。……わたしが領城から抜け出した後、いったい何があったの? そもそも、あの黒い龍は、どうしてあんな状態になってるの?」
そういえばレスタとシェリエは、龍の渓谷から戻って来たばかりだったな、と今更ながら思い至り、アーキェルは自分が目にした出来事を、かいつまんで語った。
領主の机の下で、秘密の空間に続く階段を見つけたこと。その先で、鎖に繋がれた黒い龍に出逢ったこと。そして領主の恐ろしい所業と、思惑のすべてを話し終え――深く息を吐いたところで、はたと気付く。
「俺も、一つ訊きたかったんだけど……どうしてシェリエは、ここまで来てくれたんだ?」
白銀の背中に問いかけるも、返ってきたのは沈黙だった。やむを得ず隣のレスタに視線を送るも、「……実は、わたしにもよくわからなくて」と、眉根を寄せて耳打ちされる。
アーキェルの記憶の限りでは、龍の渓谷で和平交渉が決裂した際に、シェリエは激怒していたはずだ。にもかかわらず、彼女はなぜ、一転して自分たちに協力的な態度をとってくれているのだろうか?
考えても、その理由はわからなかった。ただ、これだけは伝えねば、という想いに駆られ、アーキェルは沈黙を保ち続ける彼女に向けて、真摯に告げた。
「シェリエ。この前は傷つけてしまって、ごめん。……本当に、悪かった」
『――お前はあの時、制止の声を上げていただろう。そもそもわたしは傷など負っていないのだから、別に構わない。……そんなことよりも、わたしはお前に詫びなければならないことがある』
……シェリエが、自分に、謝る?
それこそ全く思い当たる節がないのだが、と戸惑うアーキェルに構わず、シェリエはどことなく決まり悪そうな様子で続けた。
『レスタに託された、お前の育ての親の形見だが――あの角には、お前と、お前の母親の記憶が宿っていた。手渡された時に、わたしの魔力に反応したのか、突然記憶が流れ込んできて……見て、しまった』
お前の同意もなく、勝手に過去を覗き見てしまってすまなかった、と珍しくも歯切れの悪い口調で謝するシェリエに、ぽかん、と呆気に取られる。
「……それこそ、そんなこと気にしなくていいのに。だって、勝手に記憶が流れ込んできたんだろ? まさかそれで悪いと思って、俺たちに協力してくれてるのか?」
『違う。――お前の半生を垣間見て、お前の覚悟と決意が、本物であると悟ったからだ。……何より、同胞があのような痛ましい有様になっているのを、捨て置くわけにはいかないだろう』
思いがけないほどまっすぐな言葉を、希求して止まなかった信頼を、不意に贈られて――呼吸が、止まる。
胸が詰まるような心地で、アーキェルは、ようやく一言だけを口にした。
「ありがとう、シェリエ。……必ず、あの龍を、弔ってやろう」
返答はない。だが、一度は決然と分かたれたはずの道が、時を経て再び繋がったことを確信して、アーキェルは表情を綻ばせた。
「――はい! じゃあ、今までの状況は共有できたわけだし、これからは作戦会議の時間にしましょう。……あの龍が、わたしたちよりも早く街に着いたら終わりよね? どうにかして、先回りできない?」
束の間の静寂に浸る間もなく、凛と声を張ったレスタが、話題を元に戻した。アーキェルも素早く頭を切り替え、目下の対応策を全員で練り始める。
『……行き先がわかっているなら、おそらく可能だ。だが、
「標的を壊すか、少なくとも安全な場所に移すかしなきゃいけないってことか。……あとは当然、あの龍の足止めが要る」
「じゃあ、標的探しはわたしが適任よね? どんな場所なら隠しやすいか、何となく見当もつくし。龍の足止めは、二人に任せてもいい?」
「ああ。余裕があれば、街の皆の誘導も頼む」
「任せて! ……あ、そうだ。あの龍って、魔法を増幅させて跳ね返すのよね? 間違っても、
『心配するな。その前に終わらせる』
シェリエの頼もしい言葉に、レスタが幾分表情をやわらげた、その時。
『――だから、お前は先に向かっておけ』
「……え?」
シェリエの謎の宣告に、ちょっと待って、どういうこと、と焦るレスタの身体が、ふわりと宙に浮き――瞬くうちに、その姿が眼前から掻き消えた。
「……一応聞くけど、レスタは?」
『飛ばした』
この上なく簡潔な答えに、冷や汗がじわりと首を伝っていく。忽然と視界から消えた幼馴染の身を案じながら、そうか、とだけアーキェルは呟いた。
『わたしの魔力を込めた
「もし万が一、失敗したらどうなるんだ?」
『跡形も残らないだろうな。――レスタも、お前の故郷も』
「……冗談、だよな?」
『残念ながら、れっきとした事実だ』
「悪いレスタ、ここにとんでもない伏兵がいた……!」
いや増す緊張感を紛らわせるかのように、軽口を叩きながら、逆巻く風の先を見据える。――強大な気配と濃厚な血の匂いは、刻一刻と、間近に迫ってきていた。
『アーキェル。……これは、言うか言わまいか、迷っていたが』
「その言い方だと、教えてくれるつもりなんだろ? じゃあ、頼む」
真剣な口調で言い淀むシェリエに、若干の違和感を抱きつつも、何の気なしに答えて――直後に告げられた言葉に、思考が、白く染まった。
『あの黒き龍は――――お前の、育ての親だ』
いま、なんて、と勝手に口が動き、シェリエがほんの一瞬押し黙る。急速に視界が狭まり、手で掴んでいるはずの毛並みの感触が、遥か彼方に遠ざかってゆく。唯一取り残された聴覚が、苦し気なシェリエの声を、かろうじて拾っていた。
『お前の記憶を見たと、言っただろう。……お前の育ての親は、両翼が半ばから折れていた。あの龍と、全く同じ形で、だ。――角こそお前に託せたものの、おそらく人間に襲われ、弱っていたところを捕らえられたのだろう』
世界がぐらりと崩れ落ちるような衝撃に打ちのめされる間もなく、シェリエの声が、にわかに鋭さを帯びた。
『しっかりしろ。……もう、追いつくぞ』
両手が小刻みに震えているのに気付き、迫り来る戦いに集中しようと目を瞑る。――なつかしい子守唄の旋律が、あのやさしい声が、耳の奥から離れなかった。
(俺が、……この手で、倒すのか?)
年月の波に晒されて、幼い日の記憶は、すでに彼方へと溶け去っている。
けれども、かすかに残る想い出の残滓が、どうしようもないほどに、その存在を訴えかけていて――息も、できなかった。
怒涛のごとく襲い来る感傷に、呑まれかけていたアーキェルを引き上げたのは、竜族を統べる姫の、冷徹な声音だった。
『見つけた。――お前には悪いが、一撃で仕留めさせてもらう』
耳と目に気をつけろ、と警告するが早いか、シェリエの全身が、まばゆい白銀の光に包まれる。直後に、竜姫の大いなる言霊が、妙なる楽のごとく世界を震わせた。
『――
さながら創生のごとく、森羅万象を全き白に染め上げる光彩が、天地に満ちる。
瞼を閉ざす寸前の一刹那、前方を飛翔していた黒い影が、巨大な光の柱に跡形もなく呑み込まれるさまを、アーキェルは、確かに見届けた。
……これで、終わった。
そう錯覚した、次の瞬間。
禍々しい漆黒の光が、奔流のごとく膨れ上がり――瞬きすら許さぬ速度で、視界一面を覆い尽くした。
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