夜話 願い
「……あら、二人とも寝ちゃったわね」
「レスタも念願の
「満を持してのお披露目ね。結局、どんな名に決まったの?」
「――アーキェル。これしかないだろ?」
「あなたたちが、揃いでつるはしに刻んでいる名よね? ……ねえ、いったいどんな
「あれ、話してなかったか? そもそも俺が言ってもないのに、あんな小さい彫り込みによく気付いたな」
「レスタよ。お父さんたちがお揃いで彫っているあの文字は何なの、って前に訊いてきたことがあったの」
「さすが俺の娘だ、目敏いな」
「何言ってるの、私の娘だからに決まってるでしょ」
「うはははは、こいつは一本取られた! ――なあリズィ、山の守り神さまの話は知ってるか?」
「少しだけ、ね。……その昔、旅人の姿をした神様が、街を訪れたっていう伝説のこと?」
「ああ。――だが、あれはおとぎ話じゃない。実際にあった出来事だ」
「……え?」
「この街を、〝掃き溜めの街〟から〝希望の街〟に変えてくれたのは、偉大なご先祖さまと、ある旅人の出逢いだったのさ」
* * *
「俺もお前も、よく知っている話だが――この街は昔から、訳あって自分の故郷にいられなくなった者が集まる地だ。もちろん、大概は身一つで逃げてくるから、先立つ物なんざ持ってやしない。そんな余所者が次々にやってくるものだから、先に移り住んでいた連中は不満を持った。これじゃ貧しくなる一方じゃねえか、ってな。だが、たった一人だけ、新しい住人達を笑顔で受け入れた者がいた」
「それこそが、偉大なるアーキェルさ。……とはいっても、彼は小柄で痩せっぽちの上、特徴の黒髪は跳ね放題だったから、皆に笑われてばかりだったそうだがな。それだけ聞くと情けなく思えるが、本当の彼は、誰よりもよく笑う、誠実な男だった。そして彼は、街の困窮ぶりにひどく頭を悩ませていた」
「彼はまず、街の住人が収入を得るにはどうすればいいかを考えた。――ごくわずかしか採れない芋は、収入源には到底なり得ない。何かを加工して売ろうにも、肝心の材料が何もない上に、加工する技術を持つ者がほとんどいない。そんな状況下で、彼が辿り着いた答えは、山を掘ることだった」
「幸いなことに、街に一人だけ、鉱山を掘ったことがある男がいた。アーキェルは説得の末、その男とたった二人で山を掘り始めた。最初は、誰もが指を差して笑っていたそうだ。だが、その熱意に触れて、一人、二人と次第に彼らの仲間は増えていった。そして来る日も来る日も土に塗れ――ある時、ついに黒鋼石の鉱脈を発見した。その日は、住人皆が抱き合って涙を流したらしい」
「それから長い年月を経て、ようやく黒鋼石による収入を得ることができるようになった頃、街に一人の旅人が訪れた。……正確に言えば、訪れたというよりは、行き倒れていたところをアーキェルが拾ってきたらしいがな。しかも驚いたことに、その旅人は黄金の髪と瞳を持つ、並外れた麗人だった。そう、お察しの通り――旅人の正体は、人の姿をした竜族だったってわけさ。もちろん住人たちは、街に
「しかし、アーキェルは譲らなかった。『お前たちは、どれほどの想いでこの街を目指したのか、この街にどれだけ救われたのか、もう忘れたのか! ここは等しく、傷ついた者を受け入れる街だ』と皆を一喝して、旅人を自らの家に迎え入れた」
「アーキェルの懸命な看護の甲斐あって、やがて旅人の傷は癒えた。住人は皆、傷が塞がり次第、旅人が龍の姿に戻って暴れ出すに違いないと踏んでいたらしい。だが、信じがたいことに――旅人はアーキェルに深く感謝し、彼のよき友となった。そして、自分の恩人が生きるこの地を、けして
「聞くところによれば、旅人は魔法の力で鉱山の道を作り、黒鋼石の研磨の技を伝えたとも言われている。――しかし、平穏は長くは続かなかった」
「旅人を襲った領主の軍が、この街を訪れた。もちろん、狙いは仕留め損ねた
「やがて業を煮やした軍は、見せしめに街の長であったアーキェルを捕らえた。彼は引き立てられる時、笑ってこう言い残したらしい。『きみたちは僕の誇りだ。――決して、約束を違うことなかれ』と」
「アーキェルが処刑された、と聞いた旅人は、涙を流して嘆き哀しんだ。しかし、その正体を守り抜いた住人たちに説得され、旅人は軍に復讐することなく、この街に祝福を残して去った」
「『この街の鉱石が涸れぬよう。この街の高潔さが損なわれぬよう。彼の名を永久に忘れぬよう。――
「その日から、おれたちはつるはしに、〝アーキェル〟の名を刻んだ。彼の
* * *
「大切な話を聞かせてくれて、ありがとう。……でも、一つだけ言わせて。わたしはこの子に、平穏な人生を歩んでほしいと願ってる。我が身を顧みない英雄になんて、なってほしくはないわ」
「まさか! 俺だって、そんなこと考えてもみなかった。ただ、――せっかく笑顔を取り戻したこの子に、誰よりも笑っていてほしいだけさ。かの人は、良き友にも恵まれたそうだしな」
「じゃあ、この子にぴったりの名になるわね」
「ああ、もちろん! ……この子がどんな道を選んだっていい。ただ一つ、友との約束だけは守り抜いてくれる子になってくれれば、それでいい」
「ふふ、あなたらしいわね」
「さて、話もひと段落したことだし、そろそろ二人を寝床に運ぶか」
「ええ、そうね。……あら? 今、一瞬……」
「ん、どうした?」
「――アーキェルの持っている白いものが、光った気がしたの。でも、きっと気のせいね」
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