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 謎の影の正体を見極めん、と目を凝らすレスタを妨げるかのように、吹き荒れる旋風が、すれ違いざまに身体を大きく揺さぶっていく。


(もう、何なのよこの風! ……もしかして、竜族の術? でも、魔法が発動してる気配はないから――ひょっとしなくても、地上したから気流が吹き上がってきてるだけ?)


 聖域に降り立とうとするレスタを阻む上昇気流は、どうやら竜族の攻撃ではなく、複雑な地形が生み出す自然現象のようだった。

 さりとて一安心、というわけにもいかず、レスタは懸命に天へと突き進む風の流れを躱し、大地を目掛けて流星のごとく墜ちてゆく。ごうごうと唸るような風鳴りに全身を包まれ、激しく翻るローブと装束は悲鳴を上げていた。


 地表に叩きつけられるまであと十間、というところで、レスタは不意に、眼下の影が、ひどく小さいことに気付いた。――竜族の巨躯ならば、この距離からでも確実に目に付くはずなのに、なぜ?


(……そもそも、どうして地上から迎撃してこないの?)


 必死に風魔法で落下速度を調整しながら、頭の片隅でじわじわと膨らむ疑問の答えを、探し続ける。

 重力結界を越え、聖域に立ち入ろうとしているレスタは、明らかに排除すべき対象であるはずだ。竜族であるならば、攻撃を仕掛けてきて当然。にもかかわらず、今に至るまで、相手は魔法の発動すらしていない。


(ということは――少なくとも地上にいる龍は、ってわけ?)


 次の瞬間、目を瞠ったレスタは、地表に向かってあらん限りの声を張り上げた。



「――危ないわ! そこから離れて!」



 ……侵入者にんげんの存在に気付くことが困難な、身体の小さい竜族といえば――竜姫の傍にいた、あの仔龍に違いない!


(どうしよう。……本当に、まずいかも)


 地面まであと五間もあるというのに、レスタの魔力はもう底を突きかけている。――すなわち、このまま墜ちてしまえば、下にいる仔龍を巻き添えにしてしまうことになる!


(避けられる? いや、もう軌道を変えられるだけの魔力なんてない。それより、地上に風魔法を発動させないと――ああでも、ちょうどあの子がいるから、その手も使えない!)


「お願い、避けて!」


 喉を嗄らして訴えるレスタの声がようやく届いたのか、仔龍が薄青の瞳を天に向ける。じっと何かを見定めるようなまなざしを虚空に向けた後、もどかしくなるほどの速度で仔龍が細い四肢を動かし始める姿が、やけにゆっくりと目に映った。


(……だめだ。もう間に合わない!)


「逃げて! 早く!」


 瞬く内に、仔龍の淡い白金の毛並みが目視できるほどの距離に迫り、緑に覆われた大地が、視界いっぱいに広がる。


 来たるべき衝撃と痛みに備えて、反射的に目を閉じた。瞼の裏に、故郷の母の、家族の、友の笑顔が、次々に浮かんでは消えてゆく。

 最後に、領主の執務室の中で叫んだ、アーキェルの顔が、声が過ぎり――レスタは、かっと目を見開いた。



(……そうよ。わたしはアーキェルに託されたんだから、こんなところでうかうか死んでる場合じゃないわ!)



 もはや爪の先ほどしか残っていない魔力を振り絞り、せめて着地の衝撃を和らげん、と風魔法を発動しようとした、その瞬間。



 ――まばゆい翠色の光とともに、やわらかな風が、レスタの全身をそっと包み込んだ。



(……え?)


 ふわり、と羽のように大地に降り立ったレスタの身体は、ばらばらに砕けているどころか、無傷そのものだった。


 思わず両手を顔の前に掲げて、しげしげと観察する。……龍の骨の白い粉のようなものが付着しているが、それ以外は平素と変わりない。全身をざっと検めても、魔力の著しい消費による疲労以外は、怪我の一つもなかった。


(実はもう死んでいて、これは夢だったりする? ――いや、この疲労感は、間違いなく生きてるわね……)


 その場にへたり込みたくなるのを堪え、気を取り直して、地上にいたはずの仔龍の姿を探す。膝に手を置き、肩を浅く上下させながら、ぐるりと視線を巡らせると――




「……もう二度と、この地に足を踏み入れるな、と言ったはずだが」




 ――仔龍を懐に抱いた白銀の少女が、天満月あまみつつきの双眸を、じっとこちらに向けていた。

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