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(……こんなに早く尋ね人が見つかるなんてこと、ある?)


 眼前の光景は幻なのではないか、とレスタは束の間呼吸も忘れて、まじまじと少女を凝視した。

 危険は承知の上で、数日をかけて龍の聖域を探索するつもりだったのだ。にもかかわらず、あまりにもあっさりと邂逅してしまったがために、胸の中で弾けんばかりに膨らんでいた気負いは、ぷしゅう、と呆気なくしぼんでしまった。


 感情の滲まぬ、貴石さながらの黄金の双眸と視線がかち合い、はたと我に返る。同時に、レスタはぴんと背筋を伸ばした。――そうだ、自分が今、真っ先にするべきことは。



「この間はごめんなさい。あなたを傷つけてしまって、本当に申し訳ないと思ってる。……見殺しにされて当然なのに、さっきはわたしを助けてくれて、ありがとう」



 深々と腰を折り、謝罪する。言い訳は一切しなかった。その代わりに、顔を上げてまっすぐに少女の瞳を見つめ、心から感謝の言葉を口にする。


「……自惚うぬぼれるな、お前を助けたわけではない。この子を護っただけだ」


 にべもない少女の返答に、動かぬままの冷ややかな表情と声色に、けれどもレスタはひそかに期待を募らせた。


(だって、仔龍を護りたいだけなら――それこそ、わたしを跡形もなく消し飛ばしたってよかったんだもんね。……だけど、わざわざ魔法を使って降ろしてくれた)


 まだ記憶に新しい、まばゆい翠色の光と、風の懐に抱かれたかのような、やわらかな感触。怪我一つない状態で地上に降り立つことができたのは、間違いなく少女の風魔法のおかげだった。


(この前、ロルムさんが雷魔法で攻撃してしまったことも――もしかしたら、水に流してくれているのかもしれない)


 ちらりとレスタの脳裡を過ぎった、虫のいい考えを見透かしたかのように。

 竜族を統べる少女は、淡々と、しかし一片の容赦もなく、聖域を侵したレスタを問い質した。



「――それで、今度は空から援軍を率いてきたというわけか」



 ぴしゃり、と頭から氷水を浴びせられたかのように、すうっと身体の芯が冷えていく。


(……なにを、思い上がっていたんだろう)


 この身は、情報を得るために生かされていたに過ぎないのだ、とようやく悟り、唇を噛み締める。本当は赦してくれているのではないか、とひそかに期待していた自分のおめでたさに、吐き気すら覚えた。


 なにより腹立たしいのは――そんな権利などとうにないのに、少女の言葉に傷ついている、己の身勝手さだ。


 反射的に、違う、という弁解が口先から滑り出そうになり、寸前で言葉を呑み込む。

 いくら真実を述べようと、一度信頼を損なった以上、すんなりと受け入れてはもらえまい。それならば、自分にできることは、真摯に事実を述べるだけだ。


「……上空に人間の気配があれば、あなたならわかるでしょう? ここに来たのは、わたし一人よ」


 レスタの言を認めるかのように、少女の片眉がかすかに上がった。この日初めて目にした表情の変化に目を奪われる暇もなく、氷柱つららのごとく冴えた声音が、喉元に突きつけられる。


「お前が真実、単騎でここまで乗り込んできたというのなら、目的は何だ?」


 来たるべき問いに、レスタは軽く息を吸った。

 ずっと想い続けてきたはずの言葉を、口に出すのが怖い。まして希望などとうについえたこの状況で、少女はどんな反応をするのか、火に油を注ぐだけなのではないか、と恐怖ばかりが先に立った。


(アーキェルは、本当にすごい……)


 少女に向かって、臆面もなく願いを口にした彼の勇気に、遅ればせながら感服する。どうか声が震えていませんように、と祈りながら、レスタは黄金の瞳をまっすぐに見つめた。



「わたしの、……わたしたちの目的は、変わっていません。――竜族と人間の戦いを、終わらせたいんです」



 果たして、対する少女の表情は――小動こゆるぎもしなかった。


「……呆れて言葉もないな。この期に及んで、まだ戯言を抜かすか」


 まあいい、と切って捨てられ、レスタがなおも食い下がろうと口を開くより先に、少女が続ける。


「――を、どこで手に入れた?」


 少女の視線が示す先は、レスタの背後に横たわる、

 ……しまった、と歯噛みをするも、もう遅い。


「龍の遺骨は、そこらで手に入れられる代物ではない。……おおかたどこぞの、権力者の狗にでも成り下がったか。まあ、お前たちが何にくみしようと、わたしの知ったところではないが、これは返してもらう。――人間おまえたちにとっては単なる道具かもしれないが、竜族わたしたちにとっては、同胞なかまの遺骸だからな」


 何気なく付け足された最後の言葉に、レスタは目を伏せ、ぐっと拳を握り込んだ。


(いくら緊急事態で、他に方法がなかったからって――龍の聖域に、龍の遺骨を持って乗り込むなんて、無神経にも程があるわよね……)


 例えるならば、クロムの街に、かつての住民の遺骸を掲げた盗賊が侵入するようなものだろう。住民からすれば、喧嘩を売られたどころの騒ぎではない。正直なところ、その場で殺されても文句を言えないほどの狼藉だ。

 ……すなわち自分は、竜族に対して、まさしく厚顔無恥な振る舞いをしたことになる。


 にもかかわらず、少女の表情に、怒りの片鱗すら滲んでいないことに、レスタはひそかに絶望する。理解されることなど求めていない、と――人間と龍は、決定的に隔絶した存在なのだと、その態度が何よりも雄弁に語っていたから。


 返答がないことを気に留めるでもなく、少女は無言で複合魔法を発動させた。レスタの背後から、龍の遺骨が音もなく消える。


「もうお前に用はない。……早くここから立ち去れ」


 さもなくば同胞に取り囲まれるぞ、と告げられるも、レスタの脚は動かない。ここで引き下がるわけにはいかないのに、停戦を訴える言葉が、どうしても喉につかえて出てこなかった。


(だって――何が、言えるの?)


 何を言っても、上っ面だけの言葉にしかならない。しかし綺麗事では、決してこの少女に届かない。鉛を呑むような無力感が胸を押し潰し、レスタは口を噤むほかなかった。


 重苦しい沈黙が落ち、少女が宣言通り、す、とレスタに背を向けようとした瞬間、それまで一言も発しなかった仔龍が、おずおずと声を上げた。


「この匂い、……この前の、にんげん? もしそうなら、ぼく、ずっとお礼が言いたかったの」


 少女の脚がぴたりと止まり、シュリカ、と制止の声が響く。

 けれどもまろい声の持ち主は、目を瞠ったレスタに向けて、なおも懸命に続けた。



「――ぼくをたすけてくれて、ありがとう」



 何も、言えなかった。……その時胸に込み上げた感情を言い表すことなど、到底できなかったから。

 代わりに、想いが雫となって瞳から溢れ、頬を静かに伝っていく。――ああそうだ、応えるには、この言葉しかない。


「……どういたしまして」


 涙をぐい、とローブの裾で拭い、顔を上げる。苦み走った表情の少女と、交差する視線。――今度こそ逸らさぬように、逃がさぬように、瞳に力を込めた。


「どうにかして、領主は――人間の権力者は、説得してみせる。……ねえ、あなた、誓いを信じるに足るだけの何かを示すことができるか、って前に言ってたわよね?」


 少女は眉根を寄せたまま、答えない。だが、半身をこちらに向けたまま、立ち止まっている。畳みかけるように、レスタは一歩、少女に近付いた。



「――これが、わたしたちの答え」



 懐に手を差し込み、アーキェルから託された白剣を、少女に差し出す。黄金の双眸が、音もなくはっと見開かれた。


『もし戦いを止めてくれるなら――おれは、この白剣を、竜族に返す』


 レスタの耳の奥で、アーキェルの決意の言葉がこだまする。きっと目の前の少女も、あの力強い響きを、あのひたむきなまなざしを、思い返しているはずだ。


「……これで、アーキェルもわたしも、もう竜族あなたたちには太刀打ちできないわ。人間が、武力で竜族を脅かすことは、もはやない。あとは争いを止めるために、まず、領主をわたしたちが説得する。……それでいつか、人間側が交戦を止めることがあれば、あなたたちも、停戦を考えてみてほしい」


 まっすぐに見据える天満月の瞳は、それでも揺らがない。ただ、乾いた風のような声音で、少女は一言だけ呟いた。


「――これは、返してもらう」


 華奢な指が伸ばされ、細身の剣が少女の手に渡った瞬間――



「……なっ!?」



 小振りな掌の中で、淡い白銀の光がきらめいた。

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