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(……ちょっと、やりすぎちゃったかも)
眼下に広がるザカルハイド城の、まばゆいばかりの純白の中に――ぽつりと穿たれた、黒い空洞。
先程発動させた風魔法の刻んだ痕跡に、かすかな畏怖と一抹の不安が、ざら、と胸を掠めてゆく。
(武装してた他の二人はともかく――アーキェル、大丈夫よね?)
上空から目を凝らせど、いかんせん距離があるため、瓦礫だらけの室内の様子までは見て取れない。引き返してアーキェルの無事を確認したい気持ちをぐっと堪え、レスタは前方に視線を向けた。
(……行かなきゃ)
――なぜなら、自分はアーキェルから、託されたのだから。
固く握り締めていた白剣の鞘を、万が一にも落とさぬよう、
衣越しに鞘の感触を確かめた後、レスタはそろそろと時間をかけて体勢を変え、龍の骨に跨るような格好になった。ゆるやかな弧を描く龍の骨の、ちょうど中央付近に腰を据えたため、これで比較的平衡を保ちやすくなるはずだ。
(ただ、……落ちたら命はないわね)
できる限り風の抵抗を受けないように身を屈め、両手で龍の骨をぐっと掴むと、さらりとした粉のようなものが、汗を吸って掌に貼りついた。
――目指すは、北東。
さながら舵を取る船乗りのように、ゆっくりと進行方向を変えていく。
一つ息を吐き、さあ行くぞ、と気ままに行き交う風を、北東目掛けて収束させた瞬間――
視界から、忽然と風景が消え失せた。
(……え? なに、)
数瞬を経て、あまりに急激に加速したがゆえに、周囲の景色を置き去りにしてしまったのだ、ということに思い至る。
しかしその仮説を確かめようにも、吹き付ける風が強すぎて、ろくに目を開けられない。それどころか、自分の装束と
(十年以上前の遺骨で、この威力? ……嘘でしょ)
龍が操る力が、どれほど桁外れなものであるのかを、背筋が寒くなるような感覚とともに、改めて思い知る。
こつ、こつ、と懐の鞘が肋骨に触れる音が、耳の奥に響くような錯覚を覚え、レスタは
――龍の遺骨にこれほどの力が宿っているのならば、龍の角であるこの剣は、術具として、いったいどれだけの素質を秘めているのだろうか?
まして、唯一白剣を
……もしも、仮に、そのような事態に陥ってしまうことがあれば。
アーキェルは、戦乱を止めるどころか、人間側の切り札として、兵器そのものの扱いを受けるだろう。
そして血を流しながら数多の竜族と切り結び、その果てに、いつかあの竜姫とも戦うことになる。
――そんな最悪の筋書きを回避するには、今この時しかない。
すでにクロムの街に派兵されている以上、自分たちがこれから帰還しても、状況を好転させることはできない。家族を人質に取られてしまえば、レスタもアーキェルも、決して相手に抗えないからだ。
アーキェルも、向こうの思惑は痛いほどわかっているに違いない。だからこそあの場に留まり、レスタに白剣と、己の意志を託した。
……自分たちが謀反の罪を着せられている以上、その疑いを晴らすよりほかに、事を丸く収める方法がない。
すなわち、クロムの街とアーキェルを護るためには――竜族との争いを終わらせることで、身の潔白を証すしかないのだ。
(待ってて、アーキェル)
……故郷の街を、相棒たる彼を、必ず自分が救ってみせる。
レスタは唇を噛み締め、吹き荒ぶ逆風を睨みつけながら、未だ彼方の目的地を思い描いた。
気流に煽られ、時に横風に大きくよろめき、流されるうちに、次第に天頂の色が移り変わってゆく。
ザカルハイド城を出た時青かった空は、今や赤く染まっていた。刻一刻と近付く夕暮れの気配に、嫌が応にも焦りがひたひたと押し寄せてくる。
(参ったな……。夜になったら、さらに方角がわからなくなりそう。ただでさえ、方向調整が難しいのに)
黄金の光に全身を包まれながら、懸命に目を凝らして、眼下の風景に方角の
(魔力の残りが、もう半分もない。……明日まで、何とか保てばいいけど)
強力な術具はその反面、発動に莫大な魔力を必要とする。龍の骨を術具として、朝から風魔法を発動し続けているレスタの魔力も、もちろん無尽蔵ではない。
一度、地上に降りて休息をとろうかとも考えたが、着陸と浮上の際に必要な魔力量を計算すると、おそらく現実的な案ではない。降りるのは運がよければ何とかなるだろうが、飛ぶ方は魔力が戻り切るまでは無理だ。そもそも、ゆっくり魔力を回復できるような時間は残されていない上に、次の発動時に術が暴発しないとも限らない。
あれこれ思案を巡らせているうちに、留める間もなく太陽が山の端に沈んだ。それを合図に空の色がゆっくりと移ろい、紺青から藍色に、藍色から漆黒へと塗り替わってゆく。
滴るような宵闇の中、焦燥と不安を抱えながら、懐の白剣の存在を頼りに、ひたすら進んで、進んで、進んで――
やがて周囲に星が瞬きはじめ、細い月が雲間に姿を現した頃――レスタの魔力探知が、何かに反応した。引かれるように、つい、とほんの少しだけ首をもたげ、目を細める。
(……まだ遠い。でも、この先に――何かある)
うっすらと、どこかで覚えのある魔力の気配に、脳裡の記憶を手繰り寄せる。
きっと、つい最近だ。それどころか、ここ数日の――……
「……シェリエ?」
気配の主に思い当たった瞬間、レスタははっと目を見開いた。
(そうよ! 龍の聖域の、重力魔法だわ!)
広大な龍の聖域を、くまなく取り囲む超大規模の重力魔法。おそらく、自分が察知した魔力反応の正体は、あの結界だ。
そして、これほどの遠距離からでも感じ取れるほどの魔力の持ち主は、レスタが知る限り、ただ一人。
(よかった。……これで、迷わず進める!)
夜空に瞬く星辰のごとき希望を胸に灯し、レスタは己が感覚が指し示す方角に向けて、一直線に先を急いだ。
空が白み、うっすらとした黄金の光に世界が包まれ、やがて透きとおるような青色が、滲むように姿を現した時――レスタは眼下に、遥かな霊峰の裾野を捉えた。
(なんて、……大きい)
深い緑に覆われた龍の聖域は、上空からであっても、その広大さゆえに全貌を見晴るかすことはできなかった。
ぐるりと首を巡らせると、途方もない大きさの縄張りの周囲に穿たれた、黒い円が視界に入る。……あれはおそらく、崖なのだろう。
そして全域を取り巻くように、ちらちらと瞬くのは――鋼色の光。
一か八かの賭けに勝ったことを確信したレスタは、その光景に笑みを深くする。
鋼色の結界は、対人間用として、龍の聖域に張り巡らされたものだ。裏を返せば、竜族は他の場所から自由に出入りしていることになる。
無論、翼ある竜族は、空から聖域を行き来する。
ゆえに、重力魔法が壁のように高く聳え立っていようと――結界に、天井部分は存在しない。
(やった……!)
レスタは残り僅かな魔力を振り絞り、さらに上へ、上へと昇ってゆく。結界の天辺まで、あとほんの数間だ。――龍の骨を術具として用いていなければ、とてもではないが、この結界を飛び越えることはできなかっただろう。
(……まさかとは思うけど、罠は仕掛けてないわよね? もしあったとしても、もう解除できるだけの魔力なんて残ってないんだけど)
胸を破るような緊張とともに、ようやく鋼色の壁の上空に差し掛かり――
……やっと越えた、と深く息を吐いた瞬間、地上から不意に、嵐のような突風が吹き上がってきた。
(嘘! まさか、もう見つかった?)
姿を隠す
みるみるうちに迫り来る大地の上に、小さな影がぽつりと見えた。
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