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 レスタと同時に振り返ったアーキェルは、そこにいるはずがない人物の姿が視界に飛び込んできたことに、ひそかに動揺する。



(……どうして、ここに?)



 広い肩をそびやかし、橋の袂から数歩離れた場所で、仁王立ちしていたのは――ザカルハイド城から山麓の街まで二人を案内してきた騎士、ロルムだった。



「お前たち、何をしている! 時間は俺が稼ぐから、早く逃げろ!」



 朗々たる声で告げられた内容を咀嚼するための数秒を経て、アーキェルはようやく現状を理解する。


(……しまった。出立してもう三日経ったから、おれたちが竜族にやられたと思って、麓の街からここまで探しに来たのか!)


 ぱっと、視線を白銀の少女に戻し――鋭く息を呑む。


 水面のように瞳を揺らしていた少女に、先程までの迷いの気配は、もはや微塵もない。


 冴ゆる月の双眸に映るのは、ただ、かすかな諦念と、凍てつく憎悪だけ。




「……所詮、お前たちも人間だった、ということか」




「――ちが、」


 乾いた声音に滲む失望に、思わず否定の言葉を告げようとした瞬間、炎のような激しい光が、黄金の瞳の奥でぎらりと閃いた。

 それまで心の裡深くでくすぶっていた、己が身をも焦がす凄絶な感情を爆発させるかのように、身を震わせて少女は咆哮する。



「何が違う! 一日空けようと申し出たのは、援軍を引き入れるためだったのだろう! 人間おまえたちはいつもそうだ、平気な顔で騙し、他者わたしたちから奪い取ろうとする!」



 ばっとかざした少女の掌に、膨大な魔力が宿る。それを見て取ったロルムが、間髪入れずに叫んだ。



「――危ねえ!」

「……やめろ!」



 制止もむなしく、ロルムの手から放たれた雷魔法が、白銀の少女の頭上から滝のように降り注ぐ。その決定的な光景を、アーキェルは絶望とともに見つめた。



 ぶすぶすと、焦げた地面から白煙が立ち昇る中――微動だにしなかった少女は、全くの無傷で、大地に佇立していた。



「……怪物ばけもの、か」


 かざしたままの両腕を震わせ、呆然と立ち尽くすロルムに、少女が静かに視線を向ける。――獲物を認めた、絶対強者のまなざしに、ロルムが凍り付いた。



「――レスタ!」



 相棒の名を叫びながら、アーキェルは眼光に射竦められて動けぬロルムの下へと、全力で駆けた。足裏を押し返す大地の加護を信じ、祈るように強く、脚を踏み込む。




「……やはり、人間おまえわたしは、どこまでいっても敵同士なのだな」




 剣閃と同時に交差する、視線と視線。

 一度は重なったかに思えたそれが――今は、遥かに遠い。



「……もう二度と、この地に足を踏み入れるな」



 疾走するレスタがどうにかアーキェルに追いついた直後、目の前で大気が爆発した。そのままなすすべもなく、橋の上空を、崖の対岸に向かって吹き飛ばされながら――



 アーキェルは、白銀の少女が拳を振り上げ、橋を砕く瞬間を見た。




 * * *



 怒りに任せて拳を振り下ろした白銀の少女は、とどめとばかりに、雷魔法を紡ぎ始める。


 先程攻撃を受けた、意趣返しのように――もう二度と、逆らう気など起こさせぬように、圧倒的な実力の差を、これでもかと見せつける。



『――天槍ひかりあれ



 少女の言霊が大気を震わせた瞬間、神の裁きのごとき幾千もの白雷が、天から地へと降り注いだ。


 白光の中に、橋が跡形もなく消えた後――数秒を経てから、天が裂けるような轟音とともに、大地が鳴動する。


 揺れる大地に気も留めず、少女は再度手をかざし、橋があった場所に重力魔法を発動させてゆく。……これで、もはや人間が聖域に立ち入ることはない。



 早くねぐらに帰ろうと、踵を返したその時――装束の懐で、かさ、と乾いた音が鳴った。


 眉を上げてあらためると、先の侵入者にんげんの片割れから渡された包みと、小さな紙片が懐から顔を出す。


 手渡された時の、ほんの一瞬重なった指のぬくもりが不意に蘇り――大地に叩きつけようと振り上げた腕が、寸前でぴたりと止まった。



(……もしかしたら、シュリカの病に効くかもしれない)



 無論、人間の言うことなどを、真に受けたわけではない。

 ――そうだ、この紙切れも、一度目を通した後は、灰も残らぬように燃やし尽くしてやればいい。



 小さく頷いた少女は、包みと紙片が載った掌をそっと閉じ、一人広場を後にした。


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