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「ねえ、アーキェル。――待ち合わせの時間って、昨日竜族の長に伝えた?」

「どうだったかな。……そういえば、伝えてなかったかも。でもきっと、そのうち向こうも来ると思う」


 三日連続で渡った橋の先、樹海の麓まで見通せる広場の中間地点に立つアーキェルは、確信を持って傍らのレスタに返した。


 なんでそんなに自信があるの? と言いたげに眉根を寄せるレスタに、だって、と笑って続ける。


「昨日も一昨日も、竜族の長は、おれたちがいるところに直接現れただろ? だから何らかの方法で、人間の気配を察知してるんじゃないかと思ってさ」


 それに、そろそろお出ましみたいだしな――と目を向けた先、ちょうど一昨日に門番が登場した辺りで、静かに白い人影が揺れた。


 そのままこちらに歩いてくるのかと思いきや、トッ、とごく軽く跳躍した白銀の少女は、次の瞬間、アーキェルとレスタの一間ほど先に、砂埃ひとつ立てずに優雅に降り立った。


 改めて間近で少女を観察すると、もはや人間としか思えないほどに体躯や容貌を変化させていることに、感嘆する。――無論、漂わせている雰囲気は、人間とは圧倒的にかけ離れているものの。



 高貴な宝石のごとき、黄金の双眸。完璧な形の鼻と、花びらのような唇が完全な位置にはめこまれた、片手で包めそうなほど小さな顔。小ぶりな顔を額縁のように彩る白銀の長髪は、さらさらと光のように流れ、陽を弾いて淡く瞬く。


 華奢な体躯を白い装束に包み、大地に佇むその姿は、さながら一幅の絵画か、端整な彫刻のようだった。



 隣でレスタが、ひっそりと息を呑む。――やはりこの少女は、存在そのものが、全くの別格だ。


(……昨日は、ほんの一瞬だけ、どこにでもいる女の子みたいに見えたのにな)


 弟を案じ、守ろうとする姉のごとき姿の名残は、もはやどこにもない。

 今ここにいる少女は、紛れもなく竜族を統べる長なのだ、と悟ったアーキェルは、背筋をぴんと伸ばして口火を切った。


「えーと、こんにちは。来てくれてありがとうございます。……あの、どうして人間の姿を取ってるんですか?」

「それが、お前たちの話したいこととやらか?」


 剣呑なまなざしとともに言外に切って捨てられ、慌ててアーキェルは首を振った。


「いえ、違います違います! 本題は別で――……」

「……わたしも、お前に聞きたいことがある」


 どこか緊張を孕んだ、少女の真剣な声音に、アーキェルは続けようとしていた言葉を思わず呑み込んだ。

 偽りを許さぬ龍の眼光が、アーキェルの身体を貫くように、炯々けいけいと注がれる。



「――アーキェル、といったか。お前が提げているその剣は、親の形見だと言っていたな。



 触れれば切れるような緊迫感が張り詰める中、アーキェルは、黄金の双眸をまっすぐに見返し、告げた。



「正直なところ、おれがどうやってこの白剣を手に入れたのかは、おれにもわからないんです。ただ――」



 束の間瞑目したまま、遥か遠くに漂う記憶を手繰り、そっと引き寄せる。



「おれを拾ってくれた人に言われたのは、――と」



 それは、まだ記憶すらおぼろげな、幼い頃。遠い歳月の彼方に、少しずつ輪郭を溶け込ませていった、懐かしい想い出。



「本当に育ての親が龍だったのかは、未だにわかりません。……かすかに憶えているのは、やさしい子守唄と、包み込まれるようなぬくもりだけなので。だけど、おれが二つか三つの頃に、ある日突然、火事か何かが起きたようで――気付けば、育ての親は、おれの前から姿を消してしまいました。……おれは、この白剣の刀身の部分だけを握り締めて、焼け落ちた森のすぐ傍で泣いていたそうです」



 そうしてアーキェルは近隣の街の住人に拾われ、〝忌み子〟と呼ばれることとなった。龍に育てられた子だと疎まれ、恐れられ――生まれつき力が強かったことも拍車をかけて、いつも周囲からは遠巻きにされていた。


 それでも、アーキェルは構わなかった。肌身離さず持ち歩いている親の形見が、自分を見守っていてくれるような気がしていたからだ。



「ある時、これを取り上げられそうになって――おれはそのまま、その街を出ました。それから何日も何日も走り続けて、ついに行き倒れたおれを引き取ってくれたのが――クロムの街の、家族でした」



 初めてできた、かけがえのない家族に――隣で一心にアーキェルを見つめるレスタに向かって、案じなくてもいい、と小さく頷く。


 瞬きもせず、じっと話に耳を傾けている様子の白銀の少女に語りかけるように、アーキェルはゆっくりと言葉を紡ぎ続ける。



「クロムの街は、貧しい街でした。気候が厳しく、農作物はほんのわずかな芋しか実らず、収益の源は鉱山から採れる黒鋼石だけ。その黒鋼石も、苦労して採掘した後に、盗賊に奪われるありさまでした」



 まだ幼いアーキェルの目から見ても、クロムの街の荒廃ぶりはひどいものだった。

 ――家は雨漏りするのが当たり前で、食事は一日一回ありつければ儲けもの。

 以前住んでいた街では蔑みの対象だった擦り切れた衣も、クロムの街ではありふれたものとして、皆から当たり前のように受け止められた。



「食事にも事欠くような状況下で――クロムの街の人々は、それでもおれを、笑って受け入れてくれたんです。だからおれは、この人たちに必ず恩返しをしよう、と誓いました」



 誰もがひもじい状況の中で、食い扶持を一人分増やすことは、どれほど大変なことだったろう。――けれども彼らは、誰一人として、アーキェルを責めなかった。それどころか皆が自分の息子としてアーキェルを可愛がり、めいっぱい愛情を注いでくれた。



「それから鍛錬を重ねて、盗賊から街を護ることができるくらい強くなって――おれが護衛の任務で多少なりとも稼げるようになっても、街の貧しさは、一向に変わりませんでした。……なぜなら、戦で課される重税は、増える一方だったからです」



 ――終わることのない、竜族との戦。


 誰もが倦み疲れながらも、かけた労力と費用ゆえに、もはや引き返すことができぬ、血塗られた道。



 ……その愚かしい連鎖を断ち斬るために、自分は、ここまで来た。




「――おれは、この戦を終わらせたい。この争いを終わらせて、クロムの街に住む家族に、もっと楽な暮らしをさせたい。……それが、おれの願いです」




 シン、と降りた沈黙をさらうように、龍の渓谷を、ひょうひょうと一陣の風が吹き抜けてゆく。



 長く、重い、静寂を経て――――白銀の少女が、おもむろに口を開いた。



「お前が、――〝龍の乳飲み仔〟だったのか」

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