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 ――とさ、と草を揺らし、その場にくずおれたのは、少女の背後に隠れるように立っていた、仔龍。



 苦し気に大地に横たわり、浅く胸を上下させる姿に、いち早く反応したのはレスタだった。


「……この子、過呼吸を起こしてるわ!」


 立ち上がろうとしたレスタは、両脚を氷の鎖に囚われていることを失念していたのか、勢いよく上半身を地面に打ちつけた。もどかしげに一つ舌打ちをしつつ、土に塗れた顔を上げ、鋭くアーキェルに告げる。


「早く、これを取って! 治療しなくちゃ」


 アーキェルの返事も待たず、素早く上体を起こしたレスタは、両腕を使って這いずるように前へと進み始める。


 我に返ったアーキェルが、慌てて白剣の柄に手を掛け、一歩踏み出そうとした瞬間――白銀の少女の張り詰めた声が、大気を震わせた。



「――動くな!」



 魔法の発動を寸前で取り止めた少女は、ぱっと閃くように跳び下がり、仔龍をそろそろと抱き上げた。やわらかな宝石に触れるかのように仔龍を抱き締めたまま、少女は威嚇するように片手をこちらに向ける。



「動かなければ、命は奪わないでおいてやる。もしも――」

「――そんなこと言ってる暇があるなら、早くその子を治してやりなさいよ!」



 手負いの獣のように黄金の双眸をぎらつかせる少女の言葉を、レスタの咆哮が断ち切った。ばっと上体を起こし、全身から燃えるような意志を立ち昇らせたレスタの剣幕に、少女が一瞬黙り込む。



 土に塗れた顔の中で、いっとうきらめく若草の瞳が、射抜くように白銀の少女を見据えた。




「あなたも一族の長なら、今、何が大事かなんてわかりきってるでしょう! ……子ども一人守れないで、何が竜族の長よ!」




 レスタのもとに駆け寄ったアーキェルは、両脚を氷で戒められたままの、細い身体を抱え上げた。――制止の声は、今度は上がらない。


(……そうだよな、レスタ)


 アーキェルの脳裡に、故郷の街の、けして忘れ得ぬ記憶が蘇る。


 鉱石症で苦しみながらも、懸命に微笑もうとする、少女の姿。

 水すらも飲めず、枯れ木のようにやせ細った手足。炎のような熱を持った後、微笑みの欠片をかすかに残して冷たくなった頬。喪服に身を包み、泣き叫ぶ家族の姿。


 あれ以来、レスタが本を読み漁り、寸暇を惜しんで医学の知識を学んでいたことを、アーキェルは知っている。



 レスタは、そしてアーキェルも――たとえ相手が竜族てきであろうと、病人を放っておくことはできない。


 ……あまりにも、多くの人を、大切な家族を、病で失い過ぎたから。



 土塗れのレスタの腕が、ゆっくりと仔龍に向かって伸ばされる。――その手に握られているのは、何の変哲もない、空の袋だ。



「……ただの袋よ。これで、この子の鼻と口元を覆うの。心配なら、あなたがやってあげて」

「……なぜ?」



 純粋な戸惑いと疑問の滲んだ口調で、瞳を揺らした白銀の少女が、ぽつりと呟く。

 ――なぜ敵である竜族の仔を助けるのか、という問いに、レスタは笑って答えた。



「ばかなこと聞くのね。……苦しんでる人を、まして子供を助けるのに、理由なんているの?」



 俯いた少女の、華奢な腕が一瞬だけ震え――手を伸ばそうとして、ぎゅっと拳を握り締める。レスタが促すように袋を差し出すと、少女はぴくりと手を止めた後、ひったくるようにさっと掴み取った。


 そのまま、おそるおそる袋を仔龍の鼻先と口元にあてがい、少女は息を潜めて様子を見守る。戸惑ったのか、わずかに身動みじろぎした仔龍に大丈夫だと囁き、そっと頭を撫でてやるその姿は、まるで病気の弟を案じる姉のようで。


 息を詰めて仔龍を見つめたまま、永遠にも思える時間が過ぎ――やがて、白銀の少女の腕の中で、すぅ、すぅ、とおだやかな呼吸が、聞こえ始めた。



 ほっと息を吐き、レスタと視線を交わす。緊張が解けたのか、表情をゆるめたレスタと思わず微笑み合い、――はっと息を呑んだ。



 黄金の双眸が向けられた瞬間、りん、と儚い音を立て、レスタの脚に絡んでいた鎖が、砕け散る。



「……ありがとう」



 半ば呆然とした面持ちでレスタが告げると、白銀の少女は決まり悪そうに顔を背けた。穏やかな呼吸を取り戻した仔龍を抱えてそっと立ち上がり、無機質な表情に戻って、呟く。


「――何が望みだ?」

「……へ?」


 話の意図が理解できず、アーキェルとレスタは二人そろって間の抜けた声を上げた。鈍い反応に苛立たしそうに片眉を上げた少女が、不愛想な声音で繰り返す。



「竜族は人間おまえたちと違って、恩を忘れない。……話とやらを、聞いてやってもいいが」



「え? いや、別に恩ってほどのことじゃ――痛い痛い痛い!」

(なに馬鹿なこと言ってるの! 絶好の機会じゃない!)


 つい平時のように返そうとすると、レスタに背中を思い切りつねられながら凄まれた。こいつらは何をしているのか、と胡乱げにこちらを見つめる黄金の双眸に向かって、アーキェルは取り繕うように慌てて告げた。


「じゃあ、明日! 今日はその子の容態も心配だろうし、話は明日で。えーと、あの、……橋の近く。門番の龍がいた辺りで、待ってる」

「……わかった。お前たちも、今日はもう去れ」


 本音を言えば、もう少し捜索を続けたかったところだが、止むを得まい――とレスタと頷き合い、アーキェルは踵を返した。レスタがこつりと胸を叩き、もう大丈夫だから下ろして、と囁く。


 久方振りに地面に降り立ったレスタは、晴れ晴れとした表情で、アーキェルを見上げた。誇らしげに輝く若草の瞳に、つられるように笑みが浮かぶ。


(……あの子が元気になって、良かったな)


 往路よりも軽い足取りで森の中を歩みつつ、アーキェルは抑え切れない昂揚感に全身が包まれるのを感じていた。


(……明日、か)


 ――明日、自分の願いは叶うのかもしれない。


 まばゆい希望に心を躍らせながら、アーキェルはまだ来ぬ明日を待ちわびるように、大きく一歩を踏み出した。




 * * *


「――シェリエさま、ごめんなさい」


 遠ざかる二つの背中を見つめていた白銀の少女は、腕の中から聞こえたか細い声に、つと視線を落とした。


「シュリカ、無理に喋るな。……それに、なぜ謝る? お前のせいじゃないだろう」

「ぼくが、すぐに、逃げなかったから……シェリエさまは、せっかくお出かけしてたのに」


 ごめんなさい、と真摯に告げるかすれた声に、つきりと胸が痛んだ。その痛みを覆い隠すように、微笑みを浮かべる。


「謝るのは、わたしの方だ。……怖い思いをさせてすまなかった」


 そっと頭を撫でると、シュリカはくすぐったそうに笑った。気持ちよさそうに目を細めたシュリカは、何気ない調子で、そういえば、と続ける。



「ねえシェリエさま、 竜族なかま



 でも、そんなにわるい生き物じゃなさそうだったよね、と無邪気に呟くシュリカを抱いたまま、白銀の少女は、しばらくその場に立ち尽くしていた。


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