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氷片が掠めていった頬が、ちり、とかすかな熱を持つ。肌にうっすらと血が滲む感触があるものの、さりとて呑気に拭える状況ではない。
アーキェルは白剣の柄を強く握り締め、ふ、と一つ息を吐く。
呼気さえもが、たちどころに白く凍てつく極寒の冷気。周囲を舞う、季節外れの風花と、地面から剣山のごとく突き出た氷柱。
木漏れ日の降り注ぐ森を、突如として一面の銀世界に塗り替えたのは、殺気を全身から漲らせる――白銀の少女。
昨日見せた激昂よりも、なお深い怒りの気配を湛えた少女の声が、冷気よりも鋭く、大気を震わせる。
「お前たち人間は、いつだってそうだ。――敵わないと見れば弱き者を狙い、欲しいものがあれば、際限なく他者から奪い取ろうとする」
押し殺した平坦な声音が、温度を失くした黄金の双眸が、氷柱のごとくアーキェルの肌に突き立てられる。一見静穏な態度の奥に秘められた激情の気配に、知らず背筋を冷たい汗が伝った。
「……違うわ。わたしたちは、ただ――」
声を震わせながらも、必死に訴えかけようとしたレスタの口上を遮るように、キン、と澄んだ音が響いた。絶句したレスタの両脚に絡み付くのは――氷の鎖。
「……全身氷漬けにされたくなければ、それ以上口を開かないことだな。――無駄だ。お前の剣でもこの氷は断ち斬れない」
「……っ!」
機先を制するように淡々と告げられ、アーキェルは抜刀するのをかろうじて堪えた。
(さっきも、氷柱の一部しか削れなかった。……氷柱は魔法そのものじゃなくて、魔法の発動の結果としてできた物体だから、物理的に壊すしかないのか)
宝石のように硬い氷塊を断ち斬るには、それなりに時間を要する。おまけに距離を詰められている現状では、レスタが魔法を発動するよりも、少女の魔法が二人を呑み込む方が、おそらく早い。
無論、反撃や口論でこれ以上少女を刺激するのは得策ではない。しかし、このまま何もしなければ、遅かれ早かれ自分たちの命はない。
(考えろ。……どうする? どうすればいい?)
一瞬の逡巡の後、アーキェルは白剣の柄から手を離し――ゆっくりと、両手を挙げた。
敵意はないのだと、伝えるために。
ただまっすぐに、凍てつく黄金の双眸を見つめて、告げる。
「おれは、あなたと話がしたい。その子の病気も、治してやりたい。だから、話を聞いてくれないか――――シェリエ」
……これは賭けだ。失敗すれば、自分たちの命はない。
奥歯を噛み締め、アーキェルは白銀の少女の審判を待った。
次の瞬間、温度を失っていた黄金の双眸に、ぱっと激しい炎が閃いた。同時に華奢な体躯の周囲に白い炎が浮かび上がり、その心の裡を示すかのように激しく明滅する。
全身を小刻みに震わせ、柳眉を逆立てた白銀の少女は、血を吐くような凄絶な声で、叫んだ。
「……なにが、治したい、だ! ――そんなことができるものなら、こんな苦労はしていないっ!!」
瞳を激しく燃やす少女の表情に、アーキェルははっと胸を衝かれた。
確かに今、肌が痛むほどの憤激と憎しみを向けられているはずなのに――ほんの一瞬だけ、少女の顔が、どうしようもなく哀しげに歪んだように思えて。
「わたしの名を、人間ごときが気安く口にするな!」
咆哮した白銀の少女が、幾重もの氷柱をアーキェルとレスタに向かって放とうとした刹那――
とさ、という軽い音を、やけにくっきりと、耳が拾った。
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