第三章

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「……やっぱり、罠は仕掛けられてなかったな」


 ――龍の聖域に足を踏み入れ、竜族の長と死闘を繰り広げた翌日。

 アーキェルとレスタは、再び断崖に架けられた橋を越え、敵地の真っ只中に舞い戻ってきた。


 無事に橋を渡り終えたことに安堵する暇もなく、気配を忍ばせて、二人は生い茂る樹木の奥へと分け入ってゆく。


「昨日の今日だから、途中で橋が落ちるぐらいの覚悟はしてたんだけどね。ちょっぴり拍子抜けしちゃった」

「……油断し過ぎるなよ」

「もちろん、冗談に決まってるでしょ。……門番、今日はまだ出てこないわね」


 おどけるように肩をすくめたレスタは、ふっと真顔に返って声の調子を落とした。


 姿を隠すため、光魔法が編み込まれた外套マントを羽織ってはいるものの、あくまでその効果は錯視に過ぎない。ある程度の声や足音はレスタの風魔法で緩和できるとはいえ、それにも限度というものがある。


「昨日の脳震盪が、まだ治ってないのかもな」

「まあ、いくら頑丈な竜族でも、数日は安静にしておいた方がいいとは思うけどね。……アーキェル、もう少し右に寄って」


 できる限り声を潜め、背の高い樹木の影に紛れるようにして歩を進める。天然の要塞のごとき樹海は恐ろしく深く、ひとたび方角を見失えば、二度と出ることは叶わないだろう。


 けれども幸いなことに、道行く二人には、明確な道標があった。



「それにしても、本当に大きい種族やつらよね……」



 レスタの呟きにつられるように、数間先の、ぽっかりと開けた空間を見遣る。


 ゆったりとした弧を描きながら、いずこへともなく延びているのは、ゆうに人間十人以上が両手を広げて立つことができるほどの幅がある――


「おれたちにとっては、目印代わりになって助かるけどな。……ただ、罠かどうかは、進んでみなくちゃわからない」


 アーキェルとレスタは、昨日森の奥から現れた門番の痕跡を辿り、この獣道を発見するに至った。


 だが――あまりにも、不自然なのだ。


(……翼を持つ竜族が、わざわざ本拠地から橋の近くまで、脚を使うか?)


 万一門番が人間に倒された場合、この道が見つかってしまえば、本拠地まで一気に攻め込まれかねない。狡猾な竜族が、はたしてそんな迂闊な真似をするだろうか?


 ゆえに、どこかで道が途切れるか、もしくは詰所のような場所があるのではないか、と二人は考えているのだが――この獣道が罠である可能性も、もちろん捨てきれない。


「どっちにしても、本気でこの樹海を踏破しようと思ったら、一旦出直して本格的な装備をそろえなきゃ無理よ。どうせだったら、偵察して少しでも情報を得られる方に賭けましょ」


「それもそうだな。……レスタ、もうすこしゆっくり。足が見えるぞ」

「あ、ほんとだ。気を付けるね」


 先へ先へと逸るレスタの腕を引き、外套から身体がはみ出ないよう注意を促す。


 ――光魔法が編み込まれた外套は、かつてアーキェルがレスタに贈ったものだ。

 魔法の力を宿した布は大変希少なため、それまで貯めていた報奨金をほぼ全てつぎ込んでも、一着しかあつらえることができなかった。


 そのため、現在二人はたった一着の外套を広げて、どうにか自分たちの姿を隠せないかと奮闘を続けている。



「……見て」



 声を忍ばせたレスタが、アーキェルの肩をつつき、すっと右前方を指差した。

 細い指が示す方向に目を向けると――巨大な洞穴が、滴るような闇を湛えて、ひっそりと口を開けている。


「いかにも怪しげだな。……どうする? 行くか?」

「でも、内部なかはかなり暗そうよね? 炎を灯火代わりにしたら、すぐにばれちゃうかも」


 ああでもない、こうでもない、と小声で意見を交わしていると――



「……だあれ?」



 ――不意に、背後からあどけない声が聞こえた。

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