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「竜族の長は、外敵おれたちと戦うつもりなんてなかった。――より正確に言えば、『外敵を倒すこと』は偽装された目的カムフラージュで、真の目的は別にあったはずなんだ。……でなきゃ、あの橋の説明がつかない」



 思い返せば、最初から違和感はあったのだ。


 ――


 なぜ、外敵にんげんが聖域へと至る手段を、竜族はこれ見よがしに残しているのか?



「本当に外敵を排除したいなら、あの橋を壊してしまえばいい。そうすれば、龍の聖域に外敵が立ち入るすべはなくなるんだから」



 無言で頷いたレスタと目を合わせたまま、さらに思考を研ぎ澄ませてゆく。


 霊峰の周囲に張り巡らされた重力魔法を、人間は超えられない。まして翼を持つ竜族に、橋など必要であるはずがない。


 おまけに、その唯一の通行路に罠ひとつ仕掛けていないとくれば――竜族は、何らかの目的のために、あえて人間を懐に招き入れようとしているのではないか、という推論が自然と浮かび上がる。



「それに、おれたちが橋を渡っている時も、竜族の長は追撃してこなかっただろ? ……本当に倒したいなら、橋ごとおれたちを崖下に落としてしまえばよかったのに」



 竜族の長の刺し貫くような視線と、相反するように大地をぐっと踏みしめたままの、華奢な両脚。――アーキェルに確信を抱かせた光景が、くっきりと脳裡に蘇る。



「不吉なこと言わないでよ、うっかり想像しちゃったじゃんか。……まあ、あれだけ術の威力と射程があれば、土煙で何も見えなくたって関係ないもんね。それこそ風魔法で周囲一帯を吹き飛ばせば終わりだったのに――そうはしなかった」


 独りごちるように呟いたレスタは、人差し指を顎に当てて一瞬黙り込んだ後、おもむろに口を開いた。


「……人質か、情報。アーキェルは、どっちが目的だと思う?」

「情報」

「その心は?」


「竜族の長が、人語を喋っていたから。敵対種族にんげんの言葉なんて、竜族の、それも長ともなれば、聞く機会なんてほとんどないはずだろ。それなのに、あれだけ流暢に話せるってことは、何か目的が――知りたいことがあって、習得したんじゃないかと思って」


「それも、族長おさが直々にお出まししてまで知りたいことが、ね。……仲間にも知られたくないことなのか、それとも他に理由があってなのかは、わからないけど」


 ことり、と首を傾げたレスタは、栗色の髪を指先でもてあそびながら、一旦間を置くように口を噤んだ。アーキェルも立てた片膝に顎を置き、おそらく同じ疑問を抱いているであろうレスタとともに、しばし思考を巡らせる。


 ……いくら門番が倒されたからといって、一族の長が前線に出てくることなど、本来はあり得ない。例えるならば、ザカルハイド城の警護兵が倒された直後に、領主が自ら戦いに乗り出してくるようなものだ。


 ましてや、自分たちが踏み入ったのは龍の聖域だ。わざわざ族長が登場するまでもなく、戦闘ならばいくらでも他の龍に任せることができただろう。


 だが――あえてそうしなかった理由は、何だ?



「……竜族の長は、一体何を知りたかったんだろうね?」



 傾きかけた夕陽に目を細めたレスタの問い掛けに、長い、沈黙が落ちる。

 互いに思考に沈み込み、戦いの最中に起きたことを辿り、思い返し、分析をするための――深い、静寂。


 せせらぎの音と、風が草を揺らすかすかなざわめきだけが、静かに場を満たす。

 青い草の香りがほのかに漂う中、ゆっくりと空気が黄金色に染まり、風景が淡い光を放つように輝きはじめる。


 やがて山の端が燃えるように朱く色づき、しんとした夜気の気配が忍び寄ってきた頃、レスタがうーん、という唸り声とともに告げた。


「……手持ちのカードが少なすぎて、わかんないや。アーキェルは? 何か思いついた?」

「おれも、大したことは考えついてない。人間側の拠点の情報とか、弱点を知りたいんじゃないかとか、そんなところかな。ただ――……」


 話しながらふと、胸の中に兆した希望。不意に言葉を切ったアーキェルにレスタが視線を向け、続きを促した。


「……相手の目的にもよるけど、もしかしたら交渉の余地があるんじゃないかと思って」


 口にした途端に、輪郭を伴って胸の奥で膨らみはじめた淡い期待は、レスタの呆れたような声で、あっけなく砕け散った。


「交渉の余地が、、でしょ。……ねえアーキェル、竜族の長を怒らせたこと、もしかして忘れてない? 怒り狂ってる相手に、どうやって聞く耳を持ってもらうわけ?」


 そもそも、どうして竜族の長はあんなに激高したの? と尋ねられ、アーキェルは再び記憶を辿った。


「おれにもわからない。白剣が親の形見だってことと、どうして術を断ち斬れるのかはわからない、って答えただけなんだけど」

「竜族の長は、何て言ってたの?」

「ええと、確か――」



『……貴様、その剣が、形見だと抜かしたか』

『何が、原理などわからない、だ。――ふざけるなっ!!』



 レスタが、むう、と腕組みをしながら眉を寄せる。


「そのやりとりを聞いた限りだと、わたしにもわからないなぁ。確かに、白剣が術を斬れる理由は知りたかったんだろうけど……でも、それだけであそこまで怒る?」

「それとも、形見って言ったことが気に障ったのかな。……ただ、白剣を見た瞬間は、本当に驚いてる様子だった」


 新たな干し果物を袋から取り出し、口の中に放り込んだレスタが、栗鼠のように頬を丸くしてふむふむと頷く。水の入った革袋を差し出すと、隣からすぐさま細い指が伸びてきた。


「ありがとう。……まあ、アーキェルに乙女心の機微を考察してもらうのは、またの機会にするとして――まずは、向こうに機嫌を直してもらわないとね」

「…………」


 てっきり冗談で言っているのかと思ったが、こちらを見つめるレスタの瞳はあくまでも真剣だった。

 きらめく若葉の瞳に気圧されたのか、脳裡を飛び交っていた数多の疑問は、喉元につかえたまま一向に出てくる気配がない。結局アーキェルが口からどうにか絞り出せたのは、「どうやって?」という一言だけだった。


「贈り物はどう?」


 意外なことに、レスタは悩むでもなく即答した。これは本当に名案が浮かんだのかもしれない、と悟ったアーキェルも俄然前のめりになり、問いを重ねる。


「すごくいい考えだと思う。……ただ、そもそも竜族って何が好きなんだ?」


 その質問を待っていました、と言わんばかりににんまりと笑みを浮かべ、レスタはローブの懐から分厚い書を取り出した。


「――こんなこともあろうかと、お城から拝借してきちゃった」


 古びたその表紙には、かすれた文字で、『竜族の生態について』と記されていた。

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