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「竜族の長は、
思い返せば、最初から違和感はあったのだ。
――霊峰を取り巻く千尋の断崖にあって、削り取られることなく残された、細い道。
なぜ、
「本当に外敵を排除したいなら、あの橋を壊してしまえばいい。そうすれば、龍の聖域に外敵が立ち入る
無言で頷いたレスタと目を合わせたまま、さらに思考を研ぎ澄ませてゆく。
霊峰の周囲に張り巡らされた重力魔法を、人間は超えられない。まして翼を持つ竜族に、橋など必要であるはずがない。
おまけに、その唯一の通行路に罠ひとつ仕掛けていないとくれば――竜族は、何らかの目的のために、あえて人間を懐に招き入れようとしているのではないか、という推論が自然と浮かび上がる。
「それに、おれたちが橋を渡っている時も、竜族の長は追撃してこなかっただろ? ……本当に倒したいなら、橋ごとおれたちを崖下に落としてしまえばよかったのに」
竜族の長の刺し貫くような視線と、相反するように大地をぐっと踏みしめたままの、華奢な両脚。――アーキェルに確信を抱かせた光景が、くっきりと脳裡に蘇る。
「不吉なこと言わないでよ、うっかり想像しちゃったじゃんか。……まあ、あれだけ術の威力と射程があれば、土煙で何も見えなくたって関係ないもんね。それこそ風魔法で周囲一帯を吹き飛ばせば終わりだったのに――そうはしなかった」
独りごちるように呟いたレスタは、人差し指を顎に当てて一瞬黙り込んだ後、おもむろに口を開いた。
「……人質か、情報。アーキェルは、どっちが目的だと思う?」
「情報」
「その心は?」
「竜族の長が、人語を喋っていたから。
「それも、
ことり、と首を傾げたレスタは、栗色の髪を指先でもてあそびながら、一旦間を置くように口を噤んだ。アーキェルも立てた片膝に顎を置き、おそらく同じ疑問を抱いているであろうレスタとともに、しばし思考を巡らせる。
……いくら門番が倒されたからといって、一族の長が前線に出てくることなど、本来はあり得ない。例えるならば、ザカルハイド城の警護兵が倒された直後に、領主が自ら戦いに乗り出してくるようなものだ。
ましてや、自分たちが踏み入ったのは龍の聖域だ。わざわざ族長が登場するまでもなく、戦闘ならばいくらでも他の龍に任せることができただろう。
だが――あえてそうしなかった理由は、何だ?
「……竜族の長は、一体何を知りたかったんだろうね?」
傾きかけた夕陽に目を細めたレスタの問い掛けに、長い、沈黙が落ちる。
互いに思考に沈み込み、戦いの最中に起きたことを辿り、思い返し、分析をするための――深い、静寂。
せせらぎの音と、風が草を揺らすかすかなざわめきだけが、静かに場を満たす。
青い草の香りがほのかに漂う中、ゆっくりと空気が黄金色に染まり、風景が淡い光を放つように輝きはじめる。
やがて山の端が燃えるように朱く色づき、しんとした夜気の気配が忍び寄ってきた頃、レスタがうーん、という唸り声とともに告げた。
「……手持ちの
「おれも、大したことは考えついてない。人間側の拠点の情報とか、弱点を知りたいんじゃないかとか、そんなところかな。ただ――……」
話しながらふと、胸の中に兆した希望。不意に言葉を切ったアーキェルにレスタが視線を向け、続きを促した。
「……相手の目的にもよるけど、もしかしたら交渉の余地があるんじゃないかと思って」
口にした途端に、輪郭を伴って胸の奥で膨らみはじめた淡い期待は、レスタの呆れたような声で、あっけなく砕け散った。
「交渉の余地が、あったかもしれない、でしょ。……ねえアーキェル、竜族の長を怒らせたこと、もしかして忘れてない? 怒り狂ってる相手に、どうやって聞く耳を持ってもらうわけ?」
そもそも、どうして竜族の長はあんなに激高したの? と尋ねられ、アーキェルは再び記憶を辿った。
「おれにもわからない。白剣が親の形見だってことと、どうして術を断ち斬れるのかはわからない、って答えただけなんだけど」
「竜族の長は、何て言ってたの?」
「ええと、確か――」
『……貴様、その剣が、形見だと抜かしたか』
『何が、原理などわからない、だ。――ふざけるなっ!!』
レスタが、むう、と腕組みをしながら眉を寄せる。
「そのやりとりを聞いた限りだと、わたしにもわからないなぁ。確かに、白剣が術を斬れる理由は知りたかったんだろうけど……でも、それだけであそこまで怒る?」
「それとも、形見って言ったことが気に障ったのかな。……ただ、白剣を見た瞬間は、本当に驚いてる様子だった」
新たな干し果物を袋から取り出し、口の中に放り込んだレスタが、栗鼠のように頬を丸くしてふむふむと頷く。水の入った革袋を差し出すと、隣からすぐさま細い指が伸びてきた。
「ありがとう。……まあ、アーキェルに乙女心の機微を考察してもらうのは、またの機会にするとして――まずは、向こうに機嫌を直してもらわないとね」
「…………」
てっきり冗談で言っているのかと思ったが、こちらを見つめるレスタの瞳はあくまでも真剣だった。
きらめく若葉の瞳に気圧されたのか、脳裡を飛び交っていた数多の疑問は、喉元につかえたまま一向に出てくる気配がない。結局アーキェルが口からどうにか絞り出せたのは、「どうやって?」という一言だけだった。
「贈り物はどう?」
意外なことに、レスタは悩むでもなく即答した。これは本当に名案が浮かんだのかもしれない、と悟ったアーキェルも俄然前のめりになり、問いを重ねる。
「すごくいい考えだと思う。……ただ、そもそも竜族って何が好きなんだ?」
その質問を待っていました、と言わんばかりににんまりと笑みを浮かべ、レスタは
「――こんなこともあろうかと、お城から拝借してきちゃった」
古びたその表紙には、かすれた文字で、『竜族の生態について』と記されていた。
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