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 肌を舐め焦がすような熱と、視界一面に広がる白波のごとき炎。

 瞬く間に迫りくる白炎の壁を前にして、アーキェルは醒めた思考が高速で頭の中を流れていくのを、他人事のように感じていた。


 ――斬っても、さっきの重力魔法の二の舞になるだろう。術全体を一度で断ち斬るのは、至難の業だ。

 ――なら躱す? 否、この距離では避けきれない。何より自分が退けば、後方のレスタにまで累が及ぶ可能性がある。それだけはできない。


 ――すなわち、一刀で斬り伏せるしかない。


 斬れるはずのないものを、今度こそ斬らねばならない。難題そのものの結論に至り、アーキェルは迫る白炎を見据えた。


(……炎が薄くなっている場所も、力の偏りもない、か)


 煌々と輝く白い炎が、アーキェルに抱擁を求めるかのように手を伸ばす。大気が、陽炎のごとく揺らめく。視界が、歪む。

 反射的に滲む汗すら、蒸発するような熱波の中――あまりに場違いな感想が、ぽつりと心の奥から零れ落ちた。



 ……ああ、うつくしい。



 さながら、すべてを浄化する、裁きの炎であるかのように。

 熱と光そのものを、限りなく純粋にしたような、あまりにまばゆい純白。神という存在がもしも実在するならば、きっとその怒りは、このような形を取るに違いない。


(……だめだ、魅入られるな)


 白剣の柄を、強く握り締める。息を吸い、肺に灼けつくような痛みを覚えながら、アーキェルが決死の一撃を振るおうとした、その刹那。



 ――アーキェルと白いほのおの間に、土色の壁が立ちはだかった。



 脚が動いたのは、反射だった。

 大地を蹴立てて二歩進んだ瞬間、土の盾が儚く崩れ落ちるのが気配でわかった。同時に、一閃。――吹き荒ぶ熱波が、アーキェルの身体を包み込む寸前で止まった。

 さらに強く、一歩を踏み込む。地面がしかと、足裏を押し返してくれている。


(……抜けた!)


 返す刀で白い炎を斬り伏せ、術の効力範囲を脱する。そのまま一目散に、アーキェルは後方に向かって駆けた。


(――レスタ、待ってろ)


 重力魔法で、大地に磔になったままの彼女レスタ

 竜族の長の、並外れた威力の術に、抗うだけで命がけだったろう。今にも、身体が押しつぶされそうになっているだろうに――彼女はまた、自分を助けてくれた。


 あと、数間。重力のくびきに囚われたレスタを解放せん、とアーキェルがさらに足を速めた、その時だった。



「――逃がすと思うか?」



 白い影が、視界を横切った、と感じた瞬間、アーキェルは後先考えずにその場に伏せた。ほぼ同時に、頭上をものすさまじい風圧とともに、何かが通過した。肝を冷やす間もなく体勢を整え、数歩跳び下がる。


 と、黄金の双眸と真っ向から視線が合った。――獣さながらの獰猛な光を放つ瞳の奥で、火花のように閃く憎悪。


「……あの娘は、邪魔だな」


 桜色の唇が動き、竜族の長が身を翻そうとしたその瞬間。

 アーキェルは、無造作に――


 竜族の長の視線が、白剣に吸い寄せられる。その寸毫すんごうの隙を狙い、アーキェルは数歩の距離を詰めた。宝玉の瞳が見開かれ、直後にまなじりが剣呑に吊り上がる。構わず、アーキェルは、猛る竜族の長にさらに一歩近付き――



 拳を、振り上げた。



 花弁のような唇に、はっきりと嘲笑の色が浮かぶ。白剣ならまだしも、人間ごときが生身で竜族に挑むなど、笑止千万。自殺行為そのものに他ならない。――そう思っているに違いない。


 憐れみすら含んだまなざしで、ひらり、と白い花のような繊手をかざす。見た目は華奢な少女の手でも、その実態は竜の比類なき剛力を宿すかいなだ。

 受けて立ってやる、とばかりに開かれた掌を目掛けて――アーキェルは、全力で拳を振り抜いた。



「「――――――――……っ!」」



 声を上げたのは、


 ――アーキェルは、想像を遥かに超える、その掌の強靭さに。

 ――竜族の長は、ただの人間の拳が、己の掌を後ろに反らしたことに。


 平静を取り戻したのは、アーキェルがわずかに先だった。

 すかさずぱっと身を翻し、横に駆けながら、軽く手首を返す。瞬間、まるで図ったかのように、落下してきた白剣の柄が、ぴたりとアーキェルの手中に収まった。その勢いのままに、レスタを戒める鋼色のひかり目掛けて、刃を振り下ろす。


 閃光の残滓が花のように舞い、背後で唸り声が聞こえたその時――大量の砂塵が巻き上がり、瞬く間に視界を覆いつくした。

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