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 龍の脚からゆっくりと力が抜け、地響きとともに黄金色の巨躯が崩れ落ちる。

 砂煙が立ち込める中、アーキェルは油断なく相手の気配を探った。

 やがて視界が晴れ、横たわった小山のような巨体が微動だにしないことを確認してもなお、警戒は解かない。気絶したふりをして、こちらが油断した瞬間に反撃を仕掛けてくる可能性も捨てきれないからだ。


「――レスタ」


 囁くほどの声量でも、レスタが風魔法を遠隔発動しているため、互いの声ははっきりと聴き取ることができる。

 その一言だけで正確に意を汲み取ってくれたレスタが、しばしの間を経て返答した。


『――うん、大丈夫。魔力が発動する前兆もないし、呼吸も鼓動も全くの正常。すっかり昏倒してるよ』

「……そうか」


 ふ、と息を吐き、肩の力を抜いた。視線は倒れた龍に向けたまま、レスタに語りかける。


「レスタ、ありがとう。助かった。……よく最後のやつ、わかったな」


 今しがたの戦闘で、レスタが地面を隆起させ、アーキェルを龍の頭部まで到達させた、その直後。


 


 おそらく頭をもたげていた龍には、ただ土魔法の効力が切れただけのように見えたことだろう。

 しかし、地上から押し上げられた勢いのまま、斬られた大地はほんの一時、重力の軛を逃れて宙に浮かんだ。その一瞬を逃さず、レスタの炎魔法が静かに発動し、そして――


 炎魔法によって硬度を増した土塊を、アーキェルは龍のこめかみ目掛けて蹴飛ばした。


 すかさずレスタが放った風魔法で加速した土塊は、狙い違わず龍の目の脇を直撃した。

 無論、地上で最硬を誇る龍の皮膚に、傷などつけられるはずがない。しかし、生物には、共通の弱点がある。


 ――。すなわち、脳を揺さぶられることで、どんな生物も一時的に意識を失う。


 いかに龍の皮膚が硬いとはいえ、脳までもが金属のように硬いわけではない。ゆえに、内側まで衝撃が伝わるようにすれば、意識だけを刈り取ることも可能となる。


『相棒だし、これくらい当たり前。……それに、クロムの街に来た龍にも、ほぼ同じ手を使ったしね?』


 レスタの言葉に、初めて龍と相対した時のことを、ふと思い返す。

 あの時は確か、龍を失神させるには至らなかったのだった。それを思い返せば、今回の戦略は、成功だったと言えるのかもしれないが――


「そうだったな。……ところでレスタ、この後どうやって、情報を引き出す?」

『……………………』


 レスタも黙り込み、アーキェルもどうしたものかと思案に暮れる。

 命がけで戦っていたため、二人ともそこまで考える余力がなかった、というのが正直なところだった。

 昏倒している龍から、情報を引き出すことはできない。かといって、仮に龍が目覚めたとしても、すんなりと情報を教えてくれるはずがない。むしろ意識を取り戻すや否や、即座に再戦になるだろう。


『……人間だったら、人質にでもして引っ立てていけるんだけどね~。仕方ないから、このまま先に進もっか?』


 全く同じことを考えていたであろうレスタが、先に結論を口にする。ああ、と同意したアーキェルの脳裡に、ふと戦闘前に龍が口にしていた言葉が過ぎった。


「そういえば、この龍は戦う前に、『姫様』って言ってたよな? ということは、竜族の長は――……」


 アーキェルの言葉が、不意に半ばで途切れる。身体の内側がざわめくような感覚に襲われるも、周囲に敵の気配はない。そのはずだが――


『……アーキェル?』

「――レスタ、離れろ!」


 何が、悟らせたのかはわからない。あるいは、幾度も死線を潜り抜けてきた、勘とでもいうべきものが働いたのだろうか――。

 アーキェルが渾身の叫びを上げ、腰に提げた剣を引き抜いた直後、ぎち、と大気が軋む音が響いた。



 ――轟、と巻き起こったのは、嵐のごとき旋風。



 先の龍の風魔法など比較にならないほどの、すさまじい暴風に、森の大樹が根こそぎ吹き飛ばされてゆく。まるで木の葉であるかのように木々が舞い、ぶつかり合うたびに、悲鳴のような破砕音が響き渡る。

 咄嗟にレスタを案じるも、振り返ることすらままならない。冷たい汗が伝うこめかみを拭うこともせず、アーキェルは、ひたすらに前方を見据えた。


(…………来る、)


 とてつもなく強大な気配の持ち主が、瞬くほどの間に、すぐそこまで迫っていた。

 そして、視界が晴れ――



 ふわり、と羽のように優雅に岩の小山に降り立ったのは、一人の少女だった。



 自ら淡い光を放っているかのようにきらめく、白銀の長髪。

 風になびくたびに、星辰の瞬きを宿す長髪に縁取られた、凛と気高い面立ち。

 陽にさらしたことなどないような真珠の肌と華奢な肢体も相まって、まるで幻想の世界から抜け出てきたかのような、少女だった。


 その少女と相対した瞬間、ざわ、とアーキェルの全身を、震えが駆け抜けた。無論、少女の可憐な容姿に見惚れたゆえではない。


 ――冷然とこちらに向けられた、宝石のような黄金色の双眸。その瞳に浮かんだ冷ややかさと、肌を刺す明確な敵愾心。


 そして何よりも、少女が湛える、尋常ならざる存在感に、背筋をつうっと汗が伝っていく。生物としての本能が、逃げろ、と警鐘を鳴らしている。――それでも。


 自らを鼓舞するように、拳をぐっと握り締め、アーキェルは声を張った。


「――あなたと話がしたくて、ここまで来ました。おれの話を、聞いてもらえませんか!」

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