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「……で? なんでお前さんたちに白羽の矢が立ったんだ?」


 そこここで笑い声とがなり声が響き渡る中にあっても、抑えた声音でヤトは尋ねてきた。なりゆきでその向かいに腰かけたアーキェルは、そういえば選ばれた理由までは訊いていなかったな、と思い返しつつ、率直に答えた。


「どうしてなのかは、俺にもわかりません。……龍を退けたという話を、たまたま領主様が耳に留められたから、でしょうか?」


 むしろ、それ以外に理由など思いつかないと口にすると、珍しいものでも見たかのようにヤトは目を細めた。


「お前さん、変わってるな。……普通なら、龍を退けたなんて話、嬉々として語るだろうに」


 〝竜殺し〟なんて物騒な通り名がついているわりにゃ、ずいぶん大人しそうに見えるしな、とヤトは口の端をにやりと吊り上げる。


「それで? どうやってあの化け物を退けたのか、教えていただきたいね」


 ぎらぎらと輝くヤトの瞳に、どこまで答えたものか、と一瞬だけ思案を巡らせる。

 こんな時いつも助け船を出してくれるレスタは、あいにく離れた席で場を盛り上げている真っ最中だ。

 逡巡しつつ、アーキェルは慎重に口を開いた。


「――俺の力だけでは、及びませんでした。向こうにいる、レスタのおかげです」

「ほお……あの嬢ちゃんが? 剣士にゃ見えないが――もしや、魔法士か?」

「はい」


 ――嘘は、吐いていない。

 狙い通り、ヤトの興味がレスタに移ったことにほっとしていると、ヤトはおもむろに傾けていた杯を置き、意味ありげに笑った。


「お前さんは、隠し事が下手そうだな。……まあ、訊かれたくないことなら無理には訊かないが――」


 言葉が中途で途切れ、ヤトのこめかみがぴくりと引き攣る。何事かとアーキェルが視線を上げるより前に、ダン、ドン、と酒杯を机に置く音が続けざまに響いた。


「ヤトの旦那! こんなところで一人で呑んでちゃいけねえ!」

「そうだそうだ、みんなあんたに礼を言いたがってるんだ!」


 ヤトが頭を抱える。しかしその仕草を気に留めるでもなく、街の男たちがヤトを取り囲むように次々と椅子に腰かけていく。――アーキェルは、気配を忍ばせてそっと席を立った。


「ヤトさん! あんたのおかげでいつも助かってるよ、ありがとなぁ」

「そうそう、あんたの結界のおかげで、龍どもに目を付けられずに済んでるんだからさ」

「まあ飲みなよ、ほれほれ」


 空にしたばかりの杯になみなみと酒を注がれるヤトに背を向け、アーキェルはこれ幸いとばかりにレスタがいる一角へと向かう。

 おい、待て、と留める声が聞こえた気がしたが、空耳に違いない、とアーキェルは振り返らなかった。




 レスタがいる一角にはどうやらロルムもいるようで、新しくザカルハイド城からやってきた使者に、みな興味津々のようだった。

 またあれこれ聞かれても困るな、とアーキェルは一座から少し離れた席に腰かけ、話の成り行きに耳を澄ませることにした。


「――ヤトさんは結界を張り続けていて大変だから、ヤトさんの交代要員でロルムさんがやってきたのよ! ね、ロルムさん?」

「……え? ああ、そうだな」


 ロルムはすでに大分酒が回っているようで、レスタの言葉に対してもやや反応が鈍い。おおかたレスタが酔いつぶれさせようと奮闘した結果なのだろうが、さて、どうなることか。


「結界を張るのって、やっぱり大変なのかい?」

「そうよ! ヤトさんやロルムさんみたいに、魔法がすごく上手な人じゃないと、難しくて歯が立たないんだから。わたしじゃ魔力が足りなくて、とてもできっこないもの」


 へぇー、やっぱり城の騎士様は凄いんだな、と口々に感嘆の声が上がる。ロルムが杯を傾けながら、口元を緩めた。やはり、直接領民から賞賛を浴びるのは嬉しいのだろう。――しかし。


(……レスタ、クロムの街全体に結界を張ってたのはどこの誰だよ)


 いけしゃあしゃあと嘘を吐く幼馴染は、この場ではどうやら健気な少女を演じているらしい。魔力が足りない、というレスタの言葉を案じた街の人が、心配げに声をかける。


「嬢ちゃん、あんたたち二人だけであんなところに行くなんて、大丈夫かい? ロルム様かヤトさんに、ついて行ってもらった方がいいんじゃないかい?」

「――大丈夫です。わたしにも、頼りになる相棒がいますから」

「でも、そんな……」


 身を案じる人々に心配をかけまいとするかのように、健気な微笑みを浮かべたレスタは、それに、と続ける。


「領主様がこっそり教えてくださったんです。結界は、本当は二人以上で交代で張るものだって。ヤトさんはあんなにやつれられていて、ロルムさんが来てやっと休めるって喜ばれていたのに、私たちのせいで休めないなんて可哀想。ね、ロルムさん、ヤトさんと交代してあげてくれませんか? 私たちなら大丈夫ですから。……お願いです」


 目を潤ませて訴えかけるレスタに、ロルムはややあってから重々しく頷いた。――単に居眠りをしていて、がくりと船を漕いだだけのようにも見えたが。

 街の人々も、なんて優しい嬢ちゃんなんだ! と目をしきりに瞬かせている。


「ロルムさん、ヤトさんと一緒に、この街の方々を守って差し上げてくださいね。私たちも、危険なことはしませんから」


 とどめの台詞に、酒が回っているせいか咽び泣く者まで現れ、場は騒然とする。その騒ぎの中を、疲れちゃったのでもう寝ますね、とするりと抜け出し、レスタは階上へと上がっていった。

 しばし経ってからその後を追うと、果たしてレスタは、アーキェルにあてがわれた部屋の中で待っていた。


「……どうやって鍵、開けたんだ?」

「え、知りたい?」


 にやにやと笑うレスタに、先ほどの目を潤ませていた少女の面影は欠片もない。まったくこいつは、と思いつつ、アーキェルは深く息を吐いた。


「いや、いい。……レスタ、助かった。ありがとう」

「名演技だったでしょ?」


 演者になれるぞ、と喉元まで出かかったが呑み込む。――寝台に腰かけたレスタが、窓の外を見上げながら、どこか遠いまなざしをしていたから。


「あのね。……この街の人はさ、龍に目を付けられるのが怖くて、夜に灯りの一つも点けられなかったんだって。まあ、ヤトさんが来て結界を張ってからは、多少安心したみたいだけど、それでもね。……何だか、クロムの街を思い出しちゃってさ」


 少しでも期待に応えられるといいよね、と遥かな空を見上げたまま、レスタは淡く微笑む。その横顔に、そうだな、とアーキェルも独り言のように呟いた。

 そのまま、束の間の静寂に二人ともしばし身を委ねる。


 やがてアーキェルの方に向き直ったレスタの表情は、いつも通り晴れやかだった。んー、と一つ伸びをした後、作戦成功だね、と不敵に微笑む。


「まあこれで、街の人がロルムさんに張り付いてくれるでしょ。……あ~、良かったぁ。これで心置きなく戦えるね」

「……ああ」


 これで、懸念事項の大半は取り除かれた。取り除かれたのだが――


「ところでレスタ。……何でまた、サイコロなんて持ってるんだ?」


 嫌な予感をひしひしと感じながら問うと、レスタは決まってるでしょ? と言わんばかりに悪い笑みを浮かべた。

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