第二章
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おい、見えてきたぞ、という案内役の声につられ、アーキェルは視線をつと前方に巡らせた。馬上ゆえに上下に揺れる視界も、三日も経てば何ら平素と変わりない。変わりないのだが――軽く眉根を寄せる。
(……妙に、暗くないか?)
聳え立つ霊峰の影にひっそりと佇むその街は、そうと言われなければ存在自体に気付くことができなかったろう。
陽が落ちてゆく黄昏時ともなれば、家々に小さな灯りが一つ二つと瞬きはじめるものだが、その様子が一向にない。もう少し暗くなれば、あるいは状況が変わるのかもしれないが、こうして街に近付いている合間にも、夜灯りが点いていく気配はまるでない。
アーキェルの故郷、クロムのような貧しい街であっても、夜盗の襲撃を防ぐために夜灯りは絶やさない。まして山麓の街なら、家畜を襲う獣の類もいるはずだろうに、と訝しんでいるうちに、いつしか街の入り口に辿り着いていたらしい。
先頭を走っていた案内役の男が馬を降り、固く閉ざされた木の門を叩く。ややあってから、目の高さにはめ込まれた木の板が横に滑り、
「……どちら様かね」
「トゥルム領ザカルハイド城より参上した、ロルムと申す。領主ザカルハイド様から勅命を承っている」
案内役が懐から何かを取り出し、木の板が動いてできた隙間にそれをかざすと、すぐさま大扉が開いた。
「ようこそ、ようこそ! よくぞここまでお越しくださった……。さ、お疲れでしょうから、早く宿で休んでくだされ」
いかにも人の好さそうな顔をした老人は、目元をくしゃくしゃにして表情を綻ばせ、張りのある声で高らかに呼ばわった。
「おい! みんな、ご使者様のご到着だ!」
すると間もなく民家のそこここから住民が顔を出し、一様に目を輝かせて通りまで飛び出してきた。興奮した様子で我先にとアーキェルたちに近寄ってくる住民の勢いに圧倒され、思わず一行は通りの中央で立ち尽くす。
「まあ、本当に来てくださったの!」「本当だ、信じられない」「領主様は、何て慈悲深い方なんでしょう……」
ざわめく通りの中を、転がるように壮年の男が駆けてくる。途端に住民たちがさっと道を開け、男を三人の前へと導いた。息を切らした男は肩を上下させながら案内役の前で立ち止まり、深々と頭を下げた。
「街長の、ナランと申します。……ようこそお越しくださいました、心より感謝申し上げます」
どうぞこちらへ、お待ちしておりました、と告げ、街長はきびきびと通りを歩き出した。
街長に案内された先は、通りの突き当りにある宿屋だった。
馬を厩に預け、木の扉を開けると、ふわりとした暖気が頬を撫でた。見ればぱちぱちと薪が爆ぜる暖炉が一番奥でぽかりと口を開け、その手前では串に刺された肉が炎に炙られている。香辛料の混ざった香ばしい匂いが鼻先をくすぐり、ぐう、と腹の虫が鳴った。
広間の中、二、三十組ほどある机と椅子に掛けているのは、二人。
奥の方に腰を下ろしているふくよかな体つきをした女性は、何かを混ぜる手を休め、目を丸くしてこちらを見つめている。
もう一人、入り口の近くに足を組んで座っている痩せた男は、いかにも不健康そうな顔で、じっと窺うようなまなざしをアーキェルたちに向けていた。
「――ヤト! 久しいな、元気にしていたか?」
案内役の男は、思わず、といった調子で痩せた男に声をかけた。一方のヤトと呼ばれた男は、いかにもくたびれたような乾いた笑みを浮かべた。
「元気かって? 元気なわけがないだろう、もう結界を張り続けて一月だ。お前さんがあと数日着くのが遅かったら、日干しになってたところだぜ」
「それだけ軽口を叩けるようなら、あと一年は大丈夫そうだが……悪い、待たせたな」
「まあ、それはいいんだが――ロルム、後ろにいるお二人さんはどうした? 迷子か?」
すっと目を細め、ヤトが後ろに控えたアーキェルとレスタを指さす。ロルムが促すより先に、レスタがさっと前に出た。
「初めまして、レスタ=カーヴェントと申します。こちらはアーキェル=クロム。名高き〝クロムの盾〟でございます。――無傷で竜を退けたこともある、我が街自慢の〝盾〟ですわ」
にっこりと優雅な微笑みを浮かべながらレスタが告げた言葉に、ヤトと街長はそろって目を瞠った。
街長はまじまじとアーキェルに目を向け、やがてはっとした顔で呟いた。
「……そうなのかい? 君のような若い子が? ――ああ、でも、本当だ! 黒鋼色の髪と瞳! あの〝竜殺し〟がこんな辺境に来てくれるなんて!」
(――いや、俺は、龍を殺したりはしていないんだけど……)
アーキェルが訂正しようと口を開きかけた瞬間、外から勢いよく扉が押し開けられた。街長が目を輝かせ、闖入者に高らかに告げる。
「なあ、こちらのお二人は〝竜殺し〟らしいぞ!」
「えっ!? 〝竜殺し〟だって?」
「嘘、やった! ようやくあいつらから解放されるのね!」
皆に知らせてこなくちゃ、とそのうちの一人が身を翻して宿を飛び出してゆき、間もなく扉の外でわっと歓声が上がるのが聞こえた。
「……ほれ見たことか。また宴が始まるぞ」
苦虫を噛み潰したような顔で頭を抱えるヤトに、ロルムが声をかける。
「また? またってのは?」
「俺が最初に来た時も、この調子で一週間宴が続いた。……そのせいで、ろくに眠れやしなかった」
ヤトの言葉を示すように、二度、三度とひっきりなしに宿の扉が開く。そのたびに街の人々が酒や食べ物を掲げながら、意気揚々とあちこちの席に腰を下ろしていった。
奥の席で何かを混ぜていたふくよかな女性が、腕まくりをして立ち上がり、食材を寄越しな、今夜は大盤振る舞いだよ! と声を張る。途端にどっと喝采が湧き起こり、窓をびり、と震わせた。
「……また徹夜か。おい、覚悟しておけよ。こいつらの気が済むまで収まらないからな」
くい、と置かれた杯をやけになったように呷り、ヤトは諦めたような表情で呟いた。
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