第3話⑥ 真岡葵 その6

「なんで……なんで俺なんかの味方するんだよ」


 俺の声は震えていた。思わぬ優しい言葉は、俺の化膿した心の傷に沁みる。それは薬のようにも、毒のようにも思えた。


 真岡はわざとらしく肩をすくめると、あっけらかんとした口調で言った。……不自然なくらいに。まるで演技しているかのように。


「そりゃそうだろ。今回は明らかにエリスの逆ギレだ。たとえ怒った理由が自分のことじゃなくて、柏崎のためであったとしても、さ、おまえは悪くないよ」


 こいつなりに、俺を慰めようとしているのかもしれなかった。


「逆ギレって、エリスがそんなことするわけないだろ……? 悪いのは俺だ。エリスは悪くない」


 だが、俺はそれを受け入れることができない。


「あのな……」


 しかし、真岡は呆れた様子で腰に手を当てた。そこまで届く長い髪がふわりと揺れる。


「おまえはそうやって自分を責めてりゃ満足なのかもしれないけど、それじゃ事態は前に進まないんだよ。少しは冷静になって客観的に考えろよ。自分から逃げ出したのに、必死で探し出してくれたおまえにひどい言葉ぶつけてまた逃げた。どう考えてもエリスが悪いだろ」

「ちょ、ちょっと真岡さん! そんな言い方って……!」


 真岡のぶしつけな物言いに、桐生が抗議の声を上げかける。だが、彼女は何事もなかったかのように無視して続けた。


「だいたいあたしに言わせりゃ、エリスも桐生も柏崎に色々期待しすぎだし求めすぎなんだよ。こいつは基本的にヘタレな陰キャなんだぞ? あんまりハードル上げるのは酷だって」

「べ、別に私は……」


 桐生は言い淀む。


「そんな奴なんだ。自分に自信を持つだとか、自虐をやめるとかなんて、一朝一夕でできるような簡単なもんじゃない。時間が必要だよ」

「真岡さん……」

「柏崎はさ。エリスが間違ってて、自分は何も悪くないなんて、そんなふうには思えないんだろ? エリスと自分が対等だなんて、考えたこともないんだろ?」

「………それは」


 真岡は嫌になるくらい、俺の心理を、弱さを理解できてしまっている。

 ……だって、俺と彼女は同類だから。ずっと空気とか同調圧力とか学校の厄介なものから、背を向けてきた似た者同士だから。


「別に責めてるわけじゃないぞ。あんな現実離れした美人だし仕方ないさ。あたしだって、じゃなきゃそんなふうに思えなかったよ」


 ……趣味?


「あたし、前にも言ったよな? エリスの前だとおまえはカッコつけてるって。無理してるから動揺するし、心のバランスも崩れるって」

「…………」

「対等だと思えてないのに、無理してエリスの前では強がって我慢し続けてきたから、その歪みがこうして表面化したんだ。さっきのあの女どものせいってだけじゃない。遅かれ早かれ、きっとこうなってた」


 俺はただ、唇を強く噛む。何も言い返せなかった。桐生も俺をチラチラと見るだけで、真岡の言うことは否定しなかった。


「大切に想い合うのはいいけどさ、お互いにあんまりガラス細工に触れるような扱いばかりしてると、いつかは割れて壊れちゃうだろ」

「なら……どうすりゃいいんだよ」


 そんな愚痴だけが漏れた。

 それなのに、めちゃくちゃ情けない泣き言なのに、それを聞いた真岡は本当に楽しそうに笑った。


「簡単さ。エリスに文句を言ってやりゃあいいんだ。本音、ぶつけてやればいいんだ。『勝手に期待して勝手に失望すんな。おまえに俺の何がわかる』って、物語お決まりのクソダサ台詞を吐いてやればいいんだよ。ガラスには熱を加えないと丈夫にならないだろ?」


「……!」

「……エリスに弱いところ、見せてやれよ。ワガママ…言ってやれよ。ケンカ……してやれよ。きっとエリスは、それを待ってる」

「真岡……」

「まあ、今のあたしの言ったことが全部見当はずれで、もしホントにエリスに愛想尽かされちゃったらさ……」


 真岡はそこで言葉を切ると、まるで悪戯を思いついた子どものように笑みを浮かべた。


「あたしが一緒に逃げてやるからさ」


 ……今にも泣きそうな顔で。



  ×××


 ~Another View~


 去っていく。走っていく。悠斗が。ただ真っ直ぐ、ひたすらに。

 その遠ざっていく彼の背中を見つめる葵と千秋は。


「なあ桐生」

「……何かしら」

「……これ、あたし、フラれたってことかな」

「…………」

「……理不尽だよな。三人の中じゃあたしが一番あいつのことわかってる。あいつだって、三人の中であたしのことを一番理解してる。自惚れなんかじゃなくて」

「……ええ、そうね。私もそう思う」

「……なのに、なんであたしが一番じゃないんだろ」

「……一つだけでも一番があるだけマシじゃない。私なんて全部最下位よ」

「過ごした時間があるじゃんか」

「なにそれ嫌味? もっとも意味のない指標だわ」

「そりゃ自業自得だろ。グズグズしてた桐生が悪い」

「それこそお互い様でしょ。半年もあったのに」

「10年には完敗だけどな」


 葵は、自分より背の低い千秋の肩に顔を押しつけた。

 ……誰にも今の表情を見られないように。


「……桐生」

「……千秋、でいいわよ」

「……ああ、千秋。……その、ごめん。……ちょっとだけ、貸してくれ」

「……うん、葵。……お疲れさま」


 ほんの少しだけ、葵は泣いた。

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