第3話⑤ そしてまたすれ違う
「……!」
「……」
「……君!」
「…………」
「…………悠君!」
「……えっ?」
何度も肩を揺さぶられてようやく我には返った俺は、俯いていた顔を上げた。
目の前には……。
「どうしたの!? そんなひどい顔してっ!?」
「あ、あれ、桐生……? ど、どうしてここに……?」
「どうしてって……。おまえ、今自分がいる場所を見てみろよ」
呆れて……というよりもどこか引いた様子で真岡が言った。俺の肩を掴む桐生の後ろで、腕を組みながら佇んでいる。
言われて、俺は周囲を見回した。
「あれ……ここ、体育館横……?。俺、戻ってきちゃってたのか……」
演劇部のステージと控室がある、ここに。
彼女が俺の元を去ってから先、何一つ覚えていない。裏の丘からどうやって戻ってきたのか、記憶がない。夢遊病患者のように、いつのまにかここでぼうっと突っ立っていたらしい。
「おい柏崎、マジで大丈夫か? エリスは見つかったのかよ?」
「エリス……」
その名前の聞いた瞬間、ぶわりと全身から冷や汗が噴き出す。
『よくないよっ!! バカッ!!』
『今の悠斗、大きらいっ……!』
エリスのあの涙が、くしゃくしゃに歪んだ表情が、解像度の高い4Kテレビのように脳内で再生される。あの叫びが、罵倒が、ステレオヘッドホンのように何度も鼓膜に響く。
……そうだ。俺、エリスに嫌われたんだ。愛想尽かされたんだ。
……拒絶、されたんだ。
「ぐっ……」
その事実に再び思い至っただけで、心臓に氷の杭でも打ち込まれたかのような寒々しい痛みを覚える。
何だよこれ。息ができない。酸素が入ってこない。心が痛い。胸が潰れそうだ。
……何でだよ。クラスメートに避けられるなんて今までに何度もあったじゃないか。女子に嫌われるなんて俺にとっては平常運転じゃないか。
なのに、どうしてこんなに苦しいんだよ。ショックなんか受けてんだよ。
「悠君!? 悠君っ!! しっかりして!!」
俺の眼前にいる桐生が、なぜか今にも泣き出しそうな表情で再び俺の肩を揺さぶる。
……なんで、なんで桐生がそんな顔するんだよ。
「お、おい桐生! ちょっと落ち着けって!」
真岡が取り乱す桐生を止めに入る。
こいつが止める側になるなんてレアな光景だな。明日は雨……じゃなくて台風でも来るんじゃないの。
そんな現実逃避でしかない渇いた笑いが漏れた。
×××
俺は桐生たちに促されて……というより、ほとんど引きずられる形で体育館横の階段に座らされる。
そして自分なりに何度も深呼吸を繰り返し、ようやく少しだけ頭が冷えた。
「それで。エリスはどうしたんだよ? ……まあ、おまえのその様子を見れば察しはついちゃうけどさ」
またもや真岡が問う。
「……会えたけど、逃げられちまった……。俺なんかと話すことなんかないってさ。はは……」
もう、自虐の笑いしか出てこない。口元が醜く歪んでいる気がする。
「逃げられた、って……」
桐生は戸惑いを隠せず口をつぐむ。
……俺はぽつりぽつりと、裏の丘であった出来事を話し始めていた。
普段の俺なら絶対に黙っているような恥ずかしい顛末なのに。よほど心が弱っているんだろうか。
すべてを聞き終え、しばらくの沈黙ののちに最初に言葉を発したのは桐生だった。
「……悠君、落ち着いて。それは絶対にエリスの本心なんかじゃないから。ちょっと感情的になって心にもない言葉が出ちゃっただけよ」
桐生が、憔悴しているらしい俺を優しく慰めてくれる。
なのに、今の俺はそれを信じることができない。
……そのくらい、心がささくれ立っていた。
「……そんなわけあるかよ。感情的で、とっさに出たからこそ本心なんだろ」
「悠君……」
「……そうだよ。エリスは、ずっと俺のそういう自虐的で自信のないところに呆れてて……」
考えてみれば当たり前だ。彼女たちの国では、常日頃から自己主張や自らを貫く意志の強さが求められる環境にいるのだ。
エリスは優しいから、ずっとその違和感を口にしないでいてくれただけに違いない。
「……そうさ。自分への理不尽に対して何を言い返せない、戦おうともしない、そんな情けない俺のことが嫌いで……」
とめどなく自分の弱い部分が溢れ出してくる。何やってんだよ、俺。こんなことしたって誰も俺になんか同情してくれない。何度同じ過ちを繰り返せば気が済むんだよ。
「悠君っ!!」
苛立ちが抑えられなかったのだろう。桐生が大声で叫んだ。その鳶色の瞳には燃えるような怒りが宿っている。
……ほら見ろ。いい加減学習しろよ。
「あなたねぇ!! そんな言い訳ばっかりして項垂れてる場合じゃないでしょ! しっかりしてよ! ……立ってよぅ……!」
桐生はしゃがみ込んで無理やり俺と視線を合わせると、ネクタイを強く掴んできた。
……ほら。桐生だってさっきのエリスとまったく同じ顔してる。
……俺に、失望、してる。
「本当にエリスがそんなこと思ってるわけないじゃない! どうして信じてあげられないのよっ! あの子はただ、ただ……悠君に……!」
桐生の手が震えている。なのに、俺はそれをただ見つめているだけ。身体がまったく動いてくれない。
その時だった。
俺のネクタイを握り締める桐生の手を、もう一つのしなやかな手が静かにそれを振りほどいた。
「……やめろ、桐生」
「真岡さん……」
「……ひどい顔だな。おまえのほうが泣きそうになってるじゃないか」
「そ、そんなこと……!」
桐生は真岡の手を振り払うと、慌てて指で目元を何度も拭う。
「なあ柏崎」
「………」
「……悪くない」
「……え?」
「柏崎は、悪くないよ」
真岡はこれまで一度たりとも見たことのないほど、優しい微笑みを俺に向けた。
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