第3話④ 初めての亀裂

 走る。

 手当たり次第に、走る。


(どこだ、エリス―――――――)


 グラウンド、中庭、体育館、旧校舎、部活棟――――――。

 片っ端から探して回る。


(くそ、見た目も格好もあれだけ目立つのに)


 文化祭の喧噪のなか、人をかき分け、準備委員たちにエリスを見かけていないか聞いて回る。

 しかし。


「ダメだ。いねえ」


(でもあの格好で学校の外に行くなんてさすがに……。でも、だとしたら――――――)


「あ……」


 もしかして―――――。


 俺は再び走り出した。



 ×××



「エリス。やっぱりここだったのか」

「……悠斗」


「やっと、見つけた」


 校舎のすぐ裏にそびえる小さな丘。その頂上にエリスはいた。

 別に立ち入り禁止とかではないが、庄本高生にとってはあるのが当たり前すぎて、完全に意識の外だった。


「えへへ……よくここがわかったね」


 彼女は振り返る。ジュリエットの衣装であるサマードレス姿だった。薄いブルーでフリルの入ったワンピース。この色にしておくと、舞台のスポットライトの浴びた時に丁度白色になるらしい。


 控えめに言っても、いや言うまでもなく綺麗だった。


「いや、正直めちゃくちゃ探したよ。校内のどこにもいないからダメ元でここかなって」

「……ここ、わたしのお気に入りの場所なんだ。編入してわりとすぐに見つけたの」

「そっか……」


 全然、知らなかった。


「たまにここに来るんだ。……一人になりたい時とか」

「……! そっ、か……」


 ……ちくしょう。なんてダメな奴なんだ、俺は。

 エリスの普段の優しさや明るさに甘えて、彼女をフォローしきれていなかった。

 今までに何度もサインを出してくれていたのに。


「……ごめんね、悠斗」

「なんでエリスが謝るんだよ」


「もう少しで大事な劇の時間なのに、勝手に怒って、勝手に飛び出してきちゃって。千秋も葵もあんなにかばってくれたのに。わたし、めんどくさい子だよね……」


 エリスはうつむく。

 俺は強く彼女の自傷を否定した。


「そんなことない。あんなこと言われて傷つかないほうがおかしいんだ。……ごめん。うちの学校の奴らがあんなことを……」


「ううん、それは平気だよ。学校の人全員に好かれるなんて無理だって、わかってるから。それに、悠斗が謝ることじゃないでしょ?」

「……エリス」


「ち、違うの! ごめんね、ちょっとキツい言い方になっちゃって……。 それは別に日本の人だからとかじゃなくて。どこの国だろうと、すべての人と仲良くなれるわけじゃないから。わたしだって、自分の国にもあまり相性のよくなかった同級生とかいたし」


「それはそうだけど……」


 確かにその通りではある。だけど、あの連中のあの言い方は、やっぱり許容することなどできない。

 なぜなら、それは……。


「それに……あの人たちの言うこともわからないわけじゃないの。あの二人、ずっと真剣に練習してたから。いい劇にしたいって気持ち、わたしにも伝わってきてたよ」


 俺は“それを”言う。


「仮にそうだとしても、エリスの出自や母国を絡めて貶すのは絶対に違うだろ。許されることじゃない」


 俺は強く訴えた。


「だから……俺のこと“なんか”で怒るよりも、自分のために怒ってほしいし、辛いって言ってほしい。抱え込まないでほしい」


 俺の、本当の、心底の気持ちだった。


 だが――――――――――

 エリスはなぜか肩を震わせ「……なんかって」とつぶやいた。


 その時だった。


 まるで噛み合わない歯車がギチギチと鈍い音を立てたかのような、何かが“ずれた”感覚。得体の知れない、だけど決定的に何かを間違えた、そんな果てしなく嫌な予感。


「悠斗」


 エリスのその声は、いままでに聞いたこともないほどの底冷えしたものだった。


「また、それ言うんだ。“俺なんか”って。……これで何度聞いたかわからないよ」

「……え?」


 その視線も、悲しげで切なげで……それでいて、どこまでも冷たかった。

 俺は彼女のらしくない反応に気圧される。


「ど、どうしたんだよ。今辛い思いをさせられたのはエリスじゃないか。俺の事なんて後回しでいいだろ?」


 俺のその言葉が、真の引き金だった。



「よくないよっ!! バカッ!!」



「え―――――――」


 ……今、エリスは何て言ったんだ?

 バカ? エリスが? 真岡じゃなくて彼女が? 俺に? 


 いつだって優しい言葉を紡いできたその桜色の唇から吐き出されたのが、俺への怨嗟の声。

 信じられなかった。誰が聞いても100%罵倒の使い古された日本語。なのに脳が上手く言葉の意味を読み込んでくれない。


 呆然としている俺に、エリスはまくし立てる。


「どうして!? どうして悠斗はそうなの!? 自分のことはいつもいつもないがしろにして! ひどい事言われたのは悠斗もなんだよっ!? 悠斗こそ、どうして怒らないの!?」


 彼女の叫びの意味がわからないわけではなかった。

 でも、俺はもうそうするには色々と諦めすぎていて。


「た、確かに俺も少し言われたけど……エリスがされたことに比べたら全然大したことないじゃないか。それに、俺のは中傷でも何でもないただの事実で……」


「事実って、そんな言い方…‥! それじゃあ、そんなんじゃわたし……!」


 エリスは小さく何かをつぶやき、そして。


「なんでわかってくれないの……? 悠斗のその考え方が、千秋も、葵も、琴音も……みんなをすごく傷つけてるって……! そんなの優しさじゃないよ……! それに、それにわたしだって……」


 しかし、その先を聞き取ることはできなかった。

 代わりに耳に届いた彼女の言葉は。


「きらい……! 今の悠斗、大きらいっ……!」


 あ―――――


 エリスはまたしても俺の隣を通り過ぎ、去っていく。

 

 俺はただただ、馬鹿みたいに立ち尽くす。


 今度は足が鉛のように動かなかった。

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