第3話② 悪意と憤怒 

「は、はあっ!?」


 西條先輩の依頼に対して、反射的に大声をあげたのは。


「なんで柏崎がそんなことしなくちゃいけないんだよ!? あの木戸って奴が勝手にやったことに、こいつは関係ないだろ!?」


 俺ではなく真岡だった。

 しかし、西條先輩は真岡の怒りにも怯むことなく、静かに首を振る。


「酷いこと頼んでるって自覚はあるよ。でも残念だけど、主演の木戸君がいなくちゃこの劇は成立しないし、立候補したからには気まずかろうかバツが悪かろうが、最後までやり遂げてもらわなくちゃならない。そのためには、探す人手は一人でも多いほうがいいの」


「だからって、よりによってこいつに……」


 真岡は不安を隠せない表情で俺に視線を移す。


「いや、いいよ。俺には今、それくらいしかできることはないし。真岡、サンキュな」

「柏崎……」


 本当のところを言えば、どうして俺がという気持ちはある。エリスに余計な心労を与えた奴に、俺に突っかかってきた奴なんかに、なぜフォローするような真似をしなくてはいかないのかと。


 しかし、この劇の責任者である西條先輩の苦渋の判断だ。従うしかない。

 それに、


「……わかったよ。おまえがそういうなら。あたしも、少しでもエリスの負担が減るように脚本をどうにか変えてみせるから」

「……頼む」


 こっちには味方がいないわけではないから。

 それじゃ行きますか、と肩をぐるんと回し、気合いを入れようとしたところで、なぜか桐生が複雑な顔で俺を……そして真岡を見ていた。


「……桐生? どうした? まだ何かあるのか?」

「え? う、ううん、何でもないわ」

「……?」

「悠君、気をつけてね。木戸君もここを飛び出してまだ時間が経ってないし、頭が冷えてるかわからないから」

「……あ、ああ」


 どうしたってんだ?


「……かなわないな。エリスにも……真岡さんにも」


 そんな諦観にも似た、桐生の悔恨の混じったつぶやきは、


「正直、原因は木戸君だけのせいじゃないと思いますけどねー?」


 その不快な声によってかき消された。


  

  ×××



 割り込んできたのは、今回の劇に出演する女子生徒だった。彼女が演じるのはロザライン、物語当初にロミオが想いを寄せている少女である。


「……それ、どういう意味だよ?」


 聞き返したのは真岡だ。その声色には明らかな怒気が混じっている。


「エリスさんにも責任あるってことでしょー」


 さらに、別の役の女生徒が追撃してくる。今度は桐生も、「ちょ、ちょっと待って。どうしてそんな話になるの?」と困惑気味に問い返した。


「告白を断るにしても、劇終わった後にするとか、『少し考えさせて』って日を改めるとか、いくらでもやりようあったじゃん。それをみんなの目の前でその場でバッサリって、木戸君かわいそー」


「いかにも遠慮がなくて、場の空気よりも自分の主張を優先する外国の人って感じですよね。……だから空気読めない人って困るのよ」


 ……あ?


「ホントホント。どう見たって、木戸君も別にエリスさんを困らせてやろうとか、そういう意図がなかったのは彼の真剣さを見ればすぐにわかったはずなのに。演技をしているうちに、本当に気持ちが高ぶって思わず言っちゃったって感じだったのに」


「やっぱり、白人の超絶美人からしたら、日本人のイケメンなんてカッコよくもなんでもなくて、ただのアウトオブ眼中なんでしょう」


「ねえー? 昨日のライブじゃ『好きな人には、好きって言ってほしいです!』なんて男ウケするようなあざといアピールしておいてさー」


「実際に言われたら、すぐに我に返っちゃったんじゃないですか? 『このわたしに告白するなんて身の程知らず』みたいな」


「そうよねー! だってヨーロッパのお姫様だもんねー!」


 交互に吐き出される、悪意と嘲笑に満ちた誹謗と中傷。


「――――――――」


 頭に血がのぼるとはこのことだった。視界が赤く染まったような気さえした。

 憎悪と憤怒という負の感情が理性を赤黒く塗り潰す。

 

 自慢じゃないが、俺は怒りという感情には乏しいほうだ。自分に守りたいプライドもないし、侮辱されて義憤に駆られるような大切な人間もいなかったからだ。


 しかし、今だけは。

 あの子を、エリスを傷つける奴だけは絶対に許さない。


 ふざけるなよ。

 その無自覚な言葉のナイフにどれだけ彼女が傷つくのか、わかってるのか―――――


「ちょっとあなたたち! いい加減に……! って悠君!?」


 止めに入った桐生を俺は静かに押しのける。

 しかし。


「…………」


 先客がいた。


 真岡だった。

 彼女はその女ども二人の前にゆらりと立つ。

 その瞳には、これまで見たことのないような暗い虚無が反射していた。

 

 怒っている。あいつもまた。俺と同様に。いや俺以上に。


「な、何よあんた」

「も、文句でもあるの?」

「………文句は、ない。おまえらみたいのには、口で言っても無駄だからな」


 やばい。


 そう思った時には先ほどまでの怒りが急激に収束し、身体が勝手に動いていた。


 真岡が何の前触れも予告も脅しもなく右手を勢いよく振り上げる。

 女たちは何が起きようとしているのか理解できない、そんな驚愕の表情で硬直していた。


「真岡さんっ!! だめっ!!」



「やめろバカッ!!」



 飛び出した俺は、無我夢中で真岡と女たちの間に身体を割り込ませる。


 その次の瞬間、室内に肌と肌がぶつかる甲高い音が響き渡った。


「か、柏崎……? なんで……?」


「悠君っ!!」


 いってえ……。

 

 真岡の右手が、俺の頬を強く張っていた。

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