⑥青春タイトル争い ~Triangle or Square~

 ~Interlude~


「じゃ、じゃあなエリス。また明日」

「うんっ、また明日ね!」


 軽く手を挙げてブラックキャットを出ていく悠斗を、エリスは大きく手を振って見送る。

 アンティーク調の趣のあるドアがギィっと音を立てて閉じられた。


「悠斗……」


 高鳴る鼓動がいまだに収まらず、エリスは苦しげに彼の名を呼ぶ。

 

 どうして……どうして、あなたはこんなに優しいの?


 でもそれはきっと、わたしにだけじゃなくて―――――。


 ずるい、ずるいよ悠斗―――――。


「エーリースーさんっ!!」


 切なさで胸が潰れそうなほど一杯にしているエリスに、琴音が背後からいきなり抱き着いた。


「ひゃあっ!? え? こ、琴音!?」

「へへー、今日のエリスさん成分補給~」


 琴音はすりすりと匂いをマーキングする猫みたいに甘える。


「もう琴音ったら。エリスが困ってるじゃない」


 呆れた声で溜息をつく千秋。しかし、エリスは「ううん、平気だよ」と向き直ると、嬉しそうに目尻を下げ、琴音を抱き締め返した。


「ほら琴音! ぎゅーっ!」

「きゃっ! えへへー、エリスさんあったかーい! いい匂いするー!」

「もう……完全にメロメロね」


 仲睦まじい二人に苦笑する千秋に、エリスの胸に顔を埋めている琴音は、目線だけ彼女に向けてぶつくさと文句を言い始める。


「だってあのバカ兄貴、さっきからエリスさんをずっと独り占めしてるんだもん。あたしだって、エリスさんとこうやってイチャイチャしたかったのにさ」

「……まあ、その気持ちはちょっとわからないでもないけど。男子と言えども美人の親友を取られたままなのは複雑ね」


 意外にも千秋がうんうんと頷くと、エリスは「えっ」とばかりにあたふたとした様子で言った。


「ふ、二人とも。わたしは悠斗とイチャイチャしてたわけじゃ……」

「ええー? そのわりにはさっきやけに距離近くなかったですか? ……なんかムカついてきたかも」

「らしくもないわね。なんで照れてるのよ? 結構いい雰囲気に見えたけど?」

「……そ、そうかな」


 エリスはちらりと千秋の表情を窺う。

 慌てて否定したのは、恥ずかしかったというよりも、千秋に後ろめたい気持ちが急に湧いてきたから、という理由のほうが大きかった。

 だが、千秋は大して意に介していないように見える。少なくとも、エリスにその心中は推し量れなかった。


「真岡さんも今日かなり攻勢に出てたみたいだし、このくらいはいいんじゃない?」

「……葵が?」


 エリスは思わず自分の声が低くなったことを自覚する。


「祭りの間に何度か会ったけど、やけに挙動不審だったわね。慣れないお化粧してて明らかに浮かれてたし。本人はものすごく否定してたけど」


 今日の件が尾を引いているのか、千秋の舌鋒は微妙に鋭い。


「その葵さんって、エリスさんが前に言ってた人だよね? 兄貴と前から仲の良かったっていうすっごく趣味の悪い女子……あっ」


 琴音は自らの失言に気づいたが、時すでに遅し。

 エリスはもの悲しそうな瞳で琴音を見つめて、


「……琴音。自分のお兄ちゃんをそんなに悪く言わないであげて? 悠斗がかわいそうだよ」

「うっ……」


 怒られると思って身構えていた琴音だったが、それどころか真剣に諭されてしまい、罪悪感の波が押し寄せてくる。悠斗に……ではなくエリスに対してではあるが。


「前にも言ったけど、悠斗は十分かっこいいんだよ? 琴音はいつもすごく近くにいるから、悠斗のいいところに気づきにくいだけなんだよ」


 エリスはきゅっとより強く琴音を抱き締める。


「……そうなの? 千秋姉?」


 琴音は千秋に水を向ける。素直さに欠けるその幼なじみは、「な、なんで私に振るのよ」と困惑気味だ。

 千秋はそのウェーブのかかった栗色の髪を所在なさげに払う。


「ま、まあ? カッコいいかは議論の余地大……というかかなり形勢不利だけど……い、いいところがないわけじゃないわよ」

「それってどんな?」

「え? えっと……」


 琴音のストレートな問いに、千秋はぷいっと顔を逸らし、


「優しい……というか、人の話をきちんと聞いてくれるところ? あとは……やらなきゃいけないことは真剣に取り組んでくれるところも、かな? それから……これが一番だと思うけど、人の性格や考え方を否定しないでありのままを受け入れてくれるところ、かしら」


 顔が熱くなるのを自覚しながらも、それなりに真剣に答える。


「ほらね、かっこいいでしょ」

「……千秋姉」


「わたしの言うとおりでしょ?」と、得意げに笑うエリスに対し、琴音はしらっとした眼差しを千秋にぶつける。


「な、なによ」

「うーうん、なんでもないよ。ただ今日はホントあっついなあって思っただけ」


 いつのまにかエリスから離れていた琴音は、わざとらしく手で顔を煽いだ。


「ちょ、ちょっと琴音。変な勘違いしないでよ。私はただ悠君の性格とか能力を鑑みて客観的な評価を下しただけで……」

「はいはい。千秋姉も大概理屈っぽいよね。誰かさんみたい」

「あ、あんたねえ……」


 二人の実の姉妹のような気の置けないやりとりに、エリスはふふっと穏やかな笑みを見せた。


「たぶん、葵もおんなじなんだよね。悠斗のそういうところが好きなんだと思うな」

「……真岡さんはそれだけじゃないような気はするけどね」


 二人には隠している秘密がある。しかも、かなり私に……じゃなかった、エリスにとって殺傷力のある爆弾。千秋はそう当たりをつけていた。

 

 すると、琴音がおそるおそる、ずっと抱いていた疑問をついに口にした。


「……えっと、ずっと言いにくかったんですけど、その葵さんって人、エリスさんや千秋姉の友達……なんですよね?」

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