②青春タイトル争い ~追憶~
「あ、そうだ! 美夏、その昔のライブの事でちょっと聞きたいことがあるの!」
琴音と今日の話題で盛り上がっていたエリスがいきなり何かを思い出したように立ち上がり、勢い込んでテーブルから身を乗り出した。
「え? お、おう……?」
その圧に押された美夏さんは珍しくたじろぐ。
「わたしが歌ったあの曲、作った人から美夏あてへのラブレターだったってホント!?」
エリスから突然放り投げられた核心を突く問いに、何も知らない琴音はぽかんと口を開け、事情を知るだろう桐生はぴくりと眉を吊り上げた。
そして、その当人は。
「あー……それ、知ってたの? エリス」
またもや珍しく、美夏さんは顔を逸らしつつ言葉を濁した。
「うん! 学校の色んな人から聞いたよ! 有名な話だったんでしょ!? その人から告白されたんだよね?」
「えっ、何それ! 美夏姉、どういうこと!? 教えて!」
「それで美夏、その人とはどうなったの!?」
「きゃあー! なんか恥ずかしくなってきたー!!」
年頃の女子らしく、きゃあきゃあと騒ぎ始めたエリスと琴音に、あの美夏さんが防戦一方になっている。
「「ねえ!!」」
二人の声がハモる。
しかし、美夏さんは気まずそうに頬を掻くと、
「えっと……まあ、アレよアレ。そいつとは結局そういう感じにはならなかったんだよ。乙女の夢壊すようで悪いけどさ」
「えっ……」
「……美夏姉、フッちゃったってこと?」
「まあ、そうといえばそうかな……」
曖昧な返答に終始する。
それを聞いたエリスと琴音はそろって青ざめた表情をした。見事なまでに地雷を踏み抜いてしまったようだ。
「あ、あははー。そ、そうだよね。実際付き合うかは別だよね」
「……ごめん、美夏。ちょっとはしゃぎすぎちゃったみたい。すごくロマンチックなエピソードだったから……」
二人してシュンと落ち込んでしまった。
「いいよ、別に。もう何年も前のことだしね。あたしにとっても高校時代の思い出の一つにもうなってるし」
美夏さんは、どう考えても割り切れているとは思えない、寂しげな笑みを浮かべながら言った。
そして。
「……思い出、か」
桐生のその小さなつぶやきがやけに俺の耳に残った。
×××
「ふう……なんか、疲れたな」
姦しい女子会から退散した俺は、マスターに淹れてもらったブルーマウンテンを持ってテラス席に出た。なんだか、無性に夜風に当たりたい気分だった。
「……って、めっちゃあちぃ……」
埼玉の夜は蒸し暑い。気温が全国トップをたたき出すのも当たり前。センチメンタルな気分に浸らしてくれる環境じゃなかった。風情がない。翔んで埼玉。
それにしても、今日はマジで色々あった1日だ。まず間違いなく、俺の人生の中で一番濃い学校行事だった。まだあと1日残っているなんて信じられん。
「悠斗」
「……美夏さん?」
なんて頑張って物思いにふけっていたら、美夏さんが俺と同じくコーヒーを持って店から出てきた。俺の隣のテーブルに「ふう」と一息つきながら腰掛ける。元気娘たちの相手でかなり疲弊しているらしい。今日は本当にレアな美夏さんを見るな。
「そういえば」
この用件から片づけておこう。俺は目上の人間の指示には従順なタイプだ。……やっぱり将来は社畜かな……。
「高梨会長が、明日は美夏さんにもぜひ生徒会へ顔を出してほしいって言ってました。一応伝えておきます」
「何、あんた瑠璃とも仲良くなったの? ホント最近のあんたときたら、急に女の影が増えて姉さん複雑だぞ」
美夏さんはニヤニヤしながら俺を弄り倒してくる。不服ではあるが、こういうノリのほうが美夏さんらしい。
「んなわけないでしょう。今回、準備委員として、あの人から色々と指示を受けているだけです。とにかく、会長かなり楽しみにしてるみたいですから顔を出してあげてください」
「はいはい。りょーかい」
美夏さんはひらひらと手を振った。
「それにしても……やっぱりリアルってそんなもんなんですね」
「ん?」
「さっきの話……遠い放課後のことですよ。その純情で痛々しい男子は、美夏さんのお眼鏡には叶わなかった哀れなピエロだったってことっすね。完全な黒歴史だ」
自分でもなぜだかわからないが、やけに攻撃的な言葉が突いて出た。
エリスの言うようにロマンあるエピソードに水を差された気分になったからか。
……だとしたら、なんだかんだで俺もこの曲に感情移入してたってことなのか? キャラでもガラでもねえのに。
……あるいは、生々しい現実を見せつけられたからもしれない。
そんなアグレッシブな告白をしようとしたあたり、その男子はわりと勝算があったんじゃないだろうか。一緒にバンドを組むくらいだし。
だが、どんなに勇気を奮っても、あれこれ策を弄してみても、恥ずかしい真似をしてみても、どれだけ想いが深くても、気持ちが受け入れられるかどうかは結局相手次第でしかない。
選択権があるのは、あくまで好意を示された側だ。
美夏さんにとって、その男子はそういう対象には見られなかった。きっと、ただそれだけのことなんだろう。
でも、こういう話を聞いてしまうと、俺のような卑屈で弱虫で自信を持てない人間はすぐ我に返ってしまう。
「夢見てんじゃねえぞ」と。
最近、彼女たちと同じ場所に立て始めていたように思っていたのは、きっとただの勘違い。
そう正気に戻るには十分すぎる真実だった。
「あんたがその手の話題に食いつくの珍しいじゃない。いつもなら斜に構えて興味のないフリするくせに」
美夏さんも似たような感想を抱いたらしい。意地悪げに口の端が弧を描いた。
「……そうちょっと文句つけたくなるくらい、エリスの歌に感動したのかもしんないです。余韻がなくなっちゃったっていうか」
俺は必要最低限に要約した気持ちだけを言葉に乗せる。
しかし、人生の先輩にして付き合いの長い美夏さんにそれだけで躱せるはずもなく。
「それって、エリスの“歌”にだけ?」
「…………」
答えたくなかった。
俺の沈黙をどう捉えたのか、美夏さんは苦笑して。
「うーん……さっきはあたしの言い方がまずかったね」
「……?」
「まず、あのエピソードは一番の前提が間違ってるんだよ」
「……一番の前提?」
「そもそも、あの曲はあたしあてじゃないんだよ。たぶん、ライブの影響で変な広まり方をしちゃったんだろうけど」
……なんだって?
「……えっとその、どういうことですか?」
「そいつが……その痛い歌詞を書いた陰気野郎がね、曲を送った相手は別の子なんだよ。あたしの友達……というより悪友って感じかな。その子あてだったの」
……え?
「ちょ、ちょっと待ってください。その状況意味わかんないですよ。何でそんな曲を美夏さんが歌うことになるんです?」
「……あたしも代役だったの。今回のエリスじゃないけどね」
「代役?」
「もともとは、そいつが書いた歌詞にその子が曲をつけたの。それで、その子がボーカルもやるはずだったんだけど、ギリギリになって親の仕事の都合で外国に行くことになっちゃってさ。向こうの新学期は9月でその準備とかあったから、杜和祭の前には庄本高を去らなきゃいけなかったんだよ」
美夏さんは夏の夜空に瞬く星々を見上げる。海の向こうに想いを馳せるように。
「じゃあ、美夏さんは友達だったその人に頼まれてあの曲を歌ったってわけですか」
俺は何気なく、状況から推察される結論を口にしただけだったが。
「…………。そんな残酷なこと、あいつがするわけないよ」
美夏さんは、俺にではなく独り言のように漏れたその言葉で、否定した。
「……は? ……残酷?」
コミュ力に乏しく、色恋沙汰については微弱な電波受信力しか持たない俺は、その文脈の意味を咀嚼するのに一拍以上の時間が必要だった。
それって、つまり―――――
「美夏さん、ひょっとして」
その男のことを―――――
「はい。この話はこれでおしまい」
強引に遮られた。美夏さんにしては極めて強い口調で。
「後もつっかえてるみたいだしね」
「え?」
美夏さんは立ち上がり、背後を振り返る。その視線の先には、なぜか俺たちの様子を窓越しに窺っているエリスがいた。
そんな彼女を見た美夏さんは悲しそうに瞳を細め、
「ま、あんたの身にもこれから色々と起きそうだけどさ。しっかりとあの子たちと向き合って、後悔のない選択をしなよ」
「…………」
「あたしみたいにならないようにさ」
そう、はっきりと忠告した。
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