第5話⑧ 真岡葵 その5
~Interlude~
『何だよ! しつこいぞ、真岡!』
珍しく怒りを露にする悠斗の声が耳元で響いた。
……よかった、出てくれた。
なのに、不安より安堵が勝る。
「おお、やっと出た。だって、柏崎がいきなり逃げるからさ。マイク切りやがるし」
葵は内心から滲み出る嬉しさを押し隠し、努めて平静を装う。
お化け屋敷を出てから……いや、正確には悠斗への気持ちが暴走しかけたあの時から、ずっと気まずい状態が続いていた。
でも、このぎこちない雰囲気のまま、今日を終わりたくない。
そんな焦燥感に駆られた葵は、急くようにスマホを取り出していた。
だって、もしこのままズルズルいってしまったら―――
人との関わりが苦手で、素直じゃない自分では、このタイミングを逃すとどんどん話しかけにくくなるに決まっている。悠斗との接点がどんどん薄れていって、そのうち疎遠になる。そんな顛末がいとも簡単に予想できた。
悠斗も悠斗で、自分から接点を持たなければ、向こうから近づいてくることはないだろう。人付き合いは基本待ちの姿勢で受け身。同類だから手に取るようにその思考がわかるし、何よりこの男はすでに前科持ちなのは千秋の件で明らかだ。
この文化祭という浮ついた空気が消えないうちに、自分のようなキャラが男に電話をかけても不自然じゃない今のうちに、一本で多くこの棘を抜いておかないといけない。
葵は、今まで一度もかけたことがない悠斗の番号を呼び出していた。
………‥…‥。
『……まあ、何だ。話が逸れたな。とにかく、その……柏崎に色々悩みがあるなら、話くらいは聞いてやろうと思ってさ』
「え」
『おまえはあたしの……その、ファン第1号だからな。このくらいはしてもバチは当たらないだろ』
「……ははっ、何だよそれ。ホントに意味不明に上から目線だよな、真岡って」
……よかった、電話越しなら、大丈夫。普通に会話できる。
本当は、ファン1号じゃなくて、違う言葉が頭をよぎったけれど。
あれだけ減らず口を叩いてみたのに、悠斗が嫌がっている雰囲気はない。
……あたしのこんな性格に引かないでいてくれるの、おまえくらいなんだよ。だから……。
『別に悩んでるってほどじゃないけど、ちょっとその……エリスのことでさ』
……知ってるよ。
最近のおまえの頭の中、9割くらいエリスじゃん。
「エリスがどうかしたのか?」
白々しく聞き返すと、悠斗は一瞬言い淀むも、やがて訥々と話し始める。
『ついっさっき、エリスからステージをその……見……ああいや、「応援して」って言われたんだけど……なんか微妙な気分で』
「ふーん?」
『エリスって色んなことを頑張って、吸収しようとして、いつも前を向いて走ってるだろ? そんな子のことを、俺みたいな無気力野郎が応援する資格あんのかな、とか』
「……なに?」
『演劇の主演もそうだけど……みんながエリスのこと見てるし、注目してる。俺みたいな窓際野郎とは違うなって改めて思い知らされたり、とか』
「…………」
葵は思わず押し黙る。
何コイツ。ダサい。いやマジでダサすぎる。ただのええかっこしいじゃん。しかも似合ってないし。主に顔。めっちゃイラつく。
まあ、話を聞いてやると言ったのは自分なんだけど。
……なのに、悠斗がこんな情けない部分を自ら晒してくれるのは自分だけだろうとも思う。エリスはもちろん、普段からどことなくぎこちない態度で接している千秋にも見せることはないだろう。
そう思い至ったら、何とも言えない優越感と嬉しさも同時に込み上げてきた。
しかし、一方でひどく冷静な自分もどこかにいて。
まさか自分が、このあたしが、男のことでこんなに一喜一憂するようになるなんて。
「……あのさ柏崎」
『……何だよ』
……バカじゃないの。キャラじゃないだろ。
………‥……。
『……ありがとな、真岡。ちょっと気合入ったよ』
穏やかな口調。
そして、自分には決して向けられることのない、どこか舞い上がっているような声。
「……っ」
胸を刀で斬りつけられたかのような痛みが走る。
『……真岡?』
「……バカ。ホントバカ。どんだけエリスのこと……」
大切に思ってるんだよ。
……好きなんだよ。
なのに。
『……柏崎は、どうしてエリスのためにそこまでできるんだよ? それが答えじゃないの?』
『……だから素直になれ、とまでは言わないけど。あたしもそういうの、すっげー苦手だし。ただ、もうちょっとだけ、ギアを緩めてみてもいいんじゃないか。おまえのあさっての努力とか、どうせエリスには無駄なんだし』
なぜ、自分はこんな敵に塩を送るような言葉を並べているのだろう。
なぜ、全然釣り合ってない、身分不相応だぞ、やめとけよ、と自分のエゴを口にできないのだろう。
……いや、理由はわかっている。
もちろん、葵は自分の性格が優しいなどとは微塵も思っていない。
……ただ、こうしていれば、想いを伝えなければ、少なくともそばにはいられる。傷つかずに済む。そう、さっき唐突に告白しかけたのはあの場の雰囲気に流れされただけ。
それに、悠斗は自身がエリスとどうこうなる将来は、たぶん全然イメージしていない。その内面にどれだけ重い感情を抱えていても。
きっと悠斗のことだ。エリスが離れるいつかその日が来ても、必死で強がって、傷が浅いフリをして、何事もなかったかのように振舞おうとするのだろう。
……いや、正確に言えば何事もなかったことにできてしまうのが、自分たち陰キャの性質であり、弱さでもあり、強さでもあるのだ。
なら、このまま粘っていれば、いつかはチャンスが来るかもしれない。
今は別に無理をする必要などない。リスクを負うタイミングじゃない。
そんな打算が幾度となく脳裏をかすめた。
………………。
『……うん。……やっぱありがとな、真岡』
「……わかればいいんだよ」
葵はスマホを切り、
「……これじゃ桐生のことなんてまったく言えたもんじゃないな」
そうつぶやいた。
ずっと、他人に干渉されるのが嫌いで、ドライなくらいが丁度良くて、だから自分は他者に執着することなどないと思っていた。もし、もし仮にも仮定にもイフにも彼氏ができたとして、会う頻度は月1回くらいで十分、一緒に暮らすなんて絶対無理、浮気されても怒るより「あっそう」と冷めるだけ――――そんなタイプだと自己分析していた。
小説を書いているのも、結局は自分のような虚ろな人間にはない性質を、願望として投影したいからなのだと思っていた。
だが、葵はたった今自覚した。
自分は、誰よりも重くて女々しくて未練がましくて諦めが悪くて執念深い、そんな地雷要素満点の女だということに。
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